軍資金の合法強奪
「お、おい! 勇者様が逃げ出されたぞ!」「追え! 捕まえるのだ!」 背後で衛兵たちの怒号が響く。
だが、私は王宮の長い廊下を全力で走りながら、冷静に自分の頭をフル回転させていた。
ただ逃げ出すだけでは意味がない。 ここは見知らぬ異世界だ。文字も読めなければ、土地勘もない。 何より、無一文のまま外に放り出されれば、魔族に殺される前に飢え死にするか、野犬の餌になるのがオチだ。
(必要なのは、金、装備、そして移動手段。……幸い、あの狂った連中の『バグ』の仕様はさっきの問答で大体掴めた)
私はあえて王宮の正門ではなく、あらかじめ目を付けていた中央庭園へ続く重厚な扉を蹴破った。
そこは、先ほど私に『能力付与の儀式』を執り行おうとしていた、魔術師や神官たちの待機所だった。 突然乱入してきた私に、白髪の老魔術師が目を丸くする。
「ゆ、勇者様!? なぜこのような場所に……前線へ向かわれるのでは」
「前線へ行くための準備だ!」 私は息を切らせながら、ホワイトボードを叩くような勢いで、老魔術師と、追いついてきた騎士団長に向かって言い放った。
「分かりました。そこまで言うなら前線へ向かいましょう。ですが、この世界の常識も言語も知らない私が、裸同然で戦場に行けるわけがない。……いいですか、私は今から『魔族を殲滅するため』に、この国が用意できる最高峰の装備、当面の路銀、そして戦闘能力の付与を要求します!」
騎士団長が、一瞬だけ警戒の目を向けた。「しかし、まだ王へのお伺いが――」
「拒否するなら行きません!」私はさらに声を張り上げる。
「手配に時間がかかればかかるほど、あなた方の望む『魔族の殲滅』はどんどん遠のくんですよ!? それでもいいんですか!?」
『魔族の殲滅』という絶対のトリガーワード。 そして『それが遅れる』という最大のアラート。
その瞬間、騎士団長と老魔術師の瞳からすっとハイライトが消えた。彼らの脳内ハッキングシステムが、私の要求を「最優先の軍事命令」として強制自動承認したのだ。
「う、うむ……! 当然だ! 勇者様に最高峰の備えを!」「早くしろ! 聖石を持ってこい! 勇者様に能力の付与を!」 現金なものだった。
さっきまで私を捕らえようとしていた衛兵たちまでが、手のひらを返してドタバタと物資を運び込み始める。
まずは能力付与の儀式だ。 老魔術師が掲げた輝く聖石から、私の体へと温かい光が流れ込んでいく。
脳裏に、この世界のシステムメッセージのようなものが直接浮かび上がった。
【固有能力:身体強化(逃げ足・防御特化)を獲得しました】
【固有能力:あらゆる言語の完全翻訳を獲得しました】
(……なるほど、大魔法やチート級の攻撃力は一切なし、か。だが、今の私には100点満点の引きだ。火火力なんて下手に持てば、あの狂った王に戦略核として発射されるだけだからな。生き延びて、相手と交渉するための能力としてはこれが最高だ)
続いて、ずっしりと重い革袋が私の前に差し出された。
「勇者様! これが国庫から引き出された軍資金、金貨五百枚にございます!」
「よし、確かに受け取った」 私は金貨の袋をバックパックに放り込み、同時に用意された高品質な旅の防具と、護身用の軽量な短剣を素早く身に付けた。
お金、装備、言語翻訳、そして最低限の自衛能力(逃げ足)。 この狂った世界を生き抜くためのスターターキットが、完璧に揃った。
「ありがたき幸せ……。では勇者様、いざ最前線へ――」 騎士団長が満足げに一礼する。
「ああ、前線には行くよ。自分の足で、自分のやり方でね」 私はニヤリと笑うと、背後の窓枠に足をかけた。
ここは大広間の二階。下には手入れされたふかふかの芝生が広がっている。「え……? あ、あの、勇者様……?」
「物資と資金は軍資金として有効活用させてもらう。お前たちの駒になる気はない、じゃあな!」
「あ、おい!? 勇者様が荷物を抱えて窓から飛び降りたぞ!?」「待て! 待ちなさい勇者様ーーーっ!」 背後から響く悲鳴を置き去りににして、私は芝生へと綺麗に着地した。
【身体強化】の恩恵か、衝撃は驚くほど小さい。そのまま私は王宮の裏門を抜け、活気溢れる王都の雑踏へと一瞬で紛れ込んだ。
背後を振り返る。 高くそびえ立つ王宮は、一見すれば平和で美しい。だがその実、あの中にいるのは全員、目に見えない何かに脳を調教された操り人形の群れだ。
「誰も本当のことを考えようとしない、空っぽの国……。捕まる前に、さっさとここを離れるか」 私はバックパックの紐を強く締め直し、まずは情報収集のために、王都の賑やかな市場へと歩き出した。




