昨夜はお楽しみでしたね
「……う、頭が割れる」
翌朝、執務室の簡易寝台で目を覚ましたリクは、こめかみを激しい頭痛に叩かれ、顔を覆った。
酒の熱が完全に引いた脳へ、昨夜の記憶が驚くほどの鮮明さで蘇ってくる。
最初は張り詰めすぎた重圧を吐き出し、リアの優しさに救われた。
そこまでは良かった。問題はその先だ。
美人の前で見栄を張りたいがために立ち上がり、両手を広げて、
「俺が皆を導き、共に戦ってやる!」
「侵略者どもを交渉の席に引きずり出して和解してやる!」
などと、真っ赤な顔で大絶叫した自分の姿が、これでもかと脳裏を駆け巡る。
「……死にたい」
現代日本で心を殺して生きてきたはずの男が、人生で最大級の、のたうち回りたくなるような羞恥心に悶絶していた。
よりによって一国の女王の前で、あんな恥ずかしい大ボラを、これ以上ないほど格好つけて語ってしまったのだ。
布団に顔を埋めてしばらく声を殺して叫んでいたが、社畜の習性で時間は待ってくれない。
リクはなんとか身の支度を整え、無理やり冷徹な仮面を貼り付けて外へと出た。
だが、そんなリクを待っていたのは、空をひらひらと舞う精霊たちの、いたずらっぽい視線だった。
「あ、リクが起きてきたー!」
「昨夜は女王様とお楽しみでしたねぇ、勇者様~♪」
青いツインテールの水精霊ミーナと、金髪の光の精霊エレナが、ニヤニヤと笑いながらリクの顔を覗き込んでくる。
紫色の短い髪をした風の精霊シルフにいたっては、頬を膨ませてリクの前に立ちはだかった。
「リアだけ付きっきりなんてずるいわ! 私たちだって新しいお菓子のおねだりくらい、夜通し付き合わせるんだからね!」
ピンク髪のお団子をしたフローラと、茶髪ロングのテラの双子も、
「おねだり!」「私たちもね♪」
と、楽しそうにリクの周りでキャッキャと戯れ始める。
精霊たちにまで筒抜けだったのかと、リクの羞恥心は限界を超え、耳まで真っ赤になった。
いつもなら冷徹なロジックで言い返す口が、今朝ばかりは一言も紡ぐことができずに固まってしまう。
「こら、みんな。朝からリクをからかうのはおよしなさい」
凛とした、けれどどこか楽しげな声が響き、精霊たちが一斉に道をあけた。
歩いてきたのは、いつも通り美しい礼服をまとったエルフの女王――リアだった。
リクはまともに彼女の顔を見ることができず、気まずそうに視線を地面へ落とする。
昨夜、美人の前で見栄を張って暴走した恥ずかしさが、胸を締め付けていた。
「おはよう、リク」
かけられたその言葉の響きに、リクは微かな違和感を覚えた。
いつもは何百年も一族を率いてきた長としての、あるいは腹黒い交渉人としての、硬く張り詰めた響きがあった。それが、今は驚くほどに柔らかく、温かいものに変わっている。
思わず顔を上げると、そこにはにっこりと、心からの愛おしさを込めて微笑むリアの姿があった。
からかうような色も、弱みを握ったという意地の悪さも、そこには一切ない。
ただ、リクという男のすべてを包み込むような、底なしの慈愛だけがそこにあった。
「っ……」
その笑顔を見た瞬間、リクの胸の奥に、言葉にできない何かが深く響き渡った。
前の世界では、どんなに必死に働いても、こんな風に自分を信じて微笑んでくれる存在はいなかった。
自分はもう、一人で孤独に戦っているわけではないのだと、理屈ではなく心がそれを自覚してしまった。
「……おはよう、リア」
リクがようやくそれだけを返した時、その静寂を破るように、遠くから騒がしい足音が近づいてきた。
「勇者様ー! ついにやったぞ!」
「リク、素晴らしい成果物よ! 早く見て!」
ドワーフの族長ブロッグと、魔術師の少女クロエが、職人たちを引き連れてワイワイと大騒ぎしながら走ってくる。
二人の手には、人間の国費で買い漁った希少な金属で組み上げられた、禍々しいほどに輝く一挺の魔導銃――『結紮銃』の試作品が握られていた。
「昨夜生け捕りにした人形の解剖データを元に、出力を盛りまくってやったわ!」
「火力こそ正義だ! これならどんな殻でも消し飛ばせるぞ!」
はっちゃけ感全開で自慢げに胸を張る天才技術者たち。
リアとの温かい沈黙を破られたリクは、瞬時にいつもの厳しい顔へと戻り、冷たい目でその銃を見つめる。
リクはひどい二日酔いでズキズキと痛む頭を押さえながら、目の前に突きつけられた過剰な大火力の塊を睨みつけた。
「……おい。出力は最小限に抑えろと、あらかじめこれ以上ないほど分かりやすく書いておいたはずだが。なぜこんな大層なものになっている」
クロエは得意げに胸を張り、リクにことの顛末を説明し始めた。
「だって、昨夜捕まえたあの無機物の岩人形、体をバラバラに調べてみたら、信じられないくらい頑丈な結晶の体だったのよ! 普通の矢や魔法じゃ傷一つつけられないわ。でもね、その結晶の硬さや構造を調べていたら、完璧な標的が見つかったの!」
ブロッグが前線砦のさらに後ろ、エルフの領地の境界にそびえ立つ、巨大な山脈を指差した。
「おうよ! あの岩人形の硬さは、わしらの国を守るあの『グラディス裏連山』の岩盤と全く同じ成分なのだ! つまり、あの巨大な山を撃ち抜くことができれば、これから敵が送り込んでくる無機物の軍勢を、一撃で木っ端微塵にできるという証明になる!」
案内された場所は、雲を突き抜けるほどの高さを誇る、切り立った巨岩の山だった。
何百年もの間、嵐を防ぎ、世界の境界線としてそこに鎮座してきた、国一つを跨ぐほどの圧倒的な規模を持つ岩山。
その麓に立った人間など、豆粒にすら見えないほどの巨体だ。
「いくわよ、リク! 私たちの最高傑作、その目に焼き付けなさい!」
クロエがドヤ顔で銃を構え、はるか上空の、雲に隠れた山腹へと照準を合わせた。
引き金が引かれた瞬間、耳を聾するような大爆音――ではなく、プツン、という、糸が切れたような奇妙に軽い音が響いた。
次の瞬間、恐るべき事態が世界を襲った。
バチバチバチッ! という、空間そのものが悲鳴を上げるような歪な光が、雲を突く巨大な岩山全体を包み込む。
破壊の衝撃波も、爆炎も一切ない。
しかし、弾を撃ち込まれたあの広大な山は、根底を流れる『大地の循環組織』――すなわち龍脈を隅々まで完全に縛り潰され、土への栄養供給を一瞬で絶たれてしまった。
それは、大地の『壊死』だった。
何百年もの間、国を守る巨大な壁として君臨していたはずの、あの巨大な岩山が。
麓から山頂にいたるまで、まるで世界の記憶から消し去られたかのように、音もなく、光の塵となって跡形もなく消滅してしまったのだ。
「え……?」
銃を構えたまま、クロエの動きが完全に止まった。
ブロッグも自慢の髭を震わせたまま、口をぽかんと開けて、地平線の彼方まで遮るものがなくなり、完全に更地になってしまった前方を見つめている。
破壊ではなく、大地の仕組みそのものをショック死させて、国一番の巨大な山を丸ごと消し去ってしまうという、あまりにも凶悪すぎる欠陥兵器の誕生だった。
見上げるほど高かった山が一瞬で消え、唖然とする開発チーム。
その背後から、二日酔いの頭痛が怒りによってさらに悪化したリクの、地獄の底から響くような声が降ってきた。
「クロエ、ブロッグ……」
「ひ、ひえっ!?」
「最初に渡した約束事を読めとあれほど言っただろう!! 世界を壊してどうするんだ! 害虫を駆除するために、家ごと焼き払う馬鹿がどこにいる! 大火力を捨てて、最安の費用で確実に敵の血管だけを消し去る繊細な出力にしろ!」
「だ、だって、人形が硬かったから、盛りたかったんだもん……」
「ドワーフのサガには逆らえんというか……」
完全に縮こまる天才二人。
だが、リクはこの大失敗をただでは終わらせない。
「完全翻訳」の目で、山が消え去った不自然な更地(空間の残滓)を冷徹に睨みつける。
「……いや、待てよ。世界の仕組みを逆探知すれば、このショック死の流れをほんのわずかな単位で制御できる。出力を数万分の一に抑え込めば、敵の急所の血管だけを正確に消し去る完璧な狙い撃ちの銃になるはずだ」
リクはクロエたちの襟首を掴み、執務室へと強引に引きずり戻した。
「やり直しです。これより、最安の費用で確実に不具合を消し去るための、気の遠くなるような出力調整の居残り作業を開始します。指示通りに動くまで、一歩も外に出ると思わないでください」
「「ひ、ひいいいーーー!?」」
こうして、他種族のプライドを完璧に保ったまま、敵の知性を超えるための泥臭い技術開発が、いよいよ本格的に幕を開けるのだった。




