仕様定義
第11話:仕様定義
満天の星々をかき消すように、夜空には幻想的な緑の光帯――オーロラが美しく揺らめいていた。
亡命から間もないエルフの古い領地は、今、これまでにない奇妙な活気に包まれている。
「ねえリク、この『けーき』というお菓子、本当に人間の国の富を毟り取って買ったの? 美味しすぎて私、ほっぺたが落ちてしまいそうだわ!」
エルフの女王エルフレディア――愛称リアは、きらきらと輝く瞳で、白い蜜の塊のようなイチゴショートケーキを愛らしく頬張っていた。
見た目は可憐な美少女そのものだが、中身は何百年も一族を率いて戦い抜いてきた腹黒い知性派の長だ。
しかし今の彼女は、リクのもたらした異世界の甘みに完全に心を奪われ、ただの無邪気な少女のように笑っている。
リアの傍らでは、王冠をいただいた伝説の巨大な白狼フェンリルが、リクの差し出した極上の干し肉を信じられないほどの至フの表情で噛みしめ、その横では幼い白い狼が丸くなって気持ちよさそうに寝息を立てていた。
さらにその周囲を、光をまとった愛らしい精霊たちが飛び回る。
金色の髪をした光の精霊エレナが「おかわりちょうだい!」と天然におねだりすれば、紫色の短い髪をした風の精霊シルフは、リクから与えられた最高級の衣服の裾をひらひらと揺らしながら、
「まあ、これくらいで私の風が強くなるわけないじゃない!」
と、頬を赤らめて張り切っている。
青いツインテールの水精霊ミーナも、楽しそうに星空を舞っていた。
その少し離れた場所では、ドワーフの族長ブロッグ率いる職人たちが、人間の国費を湯水のように使って手に入れた希少な金属を前に、お祭り騒ぎの宴を上げていた。
「おい、このオリハルコンってやつ、いくらでも買っていいんだろ!? 盛りまくろうぜ! 火力こそ正義だ!」
「勇者様! 俺があなたの凄さを国中に言い触らしてやりますよ!」
若き騎士のアルマも、熱血漢の空回りで盛り上がっている。
他種族連合の誰もが、リクの持ち込んだ無限の富と、これまでにない戦力補強の楽しさに、お祭り気分で浮かれていた。
そんな愛らしくも騒がしい光景のただ中で、現代日本の過酷な環境を生き抜いてきた天城理久――リクだけは、一人冷徹に周囲を観察していた。
感情を殺したその目は、周囲の浮かれた空気に一滴も染まっていない。
リクは、お菓子を夢中で食べている水精霊ミーナを呼び止めた。
「なぁミーナ。お前たちの生命探知や魔力探知って、実際のところどこまで通用するんだ?」
ミーナは口の周りに白い泡をつけたまま、不思議そうに首を傾げる。
「え? 命があるものとか、魔力を持った悪いやつなら、森のどこに隠れていてもぜーんぶ分かっちゃうよ?」
「じゃあ、例えばだ」
リクは、ドワーフたちが自信満々で人間の商人から買い叩き、防衛資材として本陣へ運び込んできたばかりの、苔むした不自然な形の大岩を指差した。
「あの辺の彼はどうだ? 生き物だと思うか?」
ミーナはフフッと笑って、岩の周りを飛び回る。
「何言ってるのリク、ただの古い岩だよ? 命の気配も、魔力の流れも、これっぽっちも感じられないもん。ドワーフのおじちゃんたちも、ちゃんと検品して持ってきたんだよ?」
リクの目が、わずかに細められた。
リクの持つ能力は、世界の仕組みそのものを読み解く。
リクの視界には、その苔むした岩の奥底から『命令:息を殺して隙を窺え。本陣へ侵入し、内側から自爆せよ』という、自然物には絶対にあり得ない不気味な意味の文字列が、はっきりと翻訳されて浮かび上がっていた。
「……やっぱりな。ミーナ、悪いがその岩に思いっきり水をぶっかけてくれ」
リクの冷たい声に、周囲の空気がわずかに張り詰める。
ミーナが言われた通りに激しい水の弾丸を放った瞬間、ただの岩だと思われていた塊が、不自然なほど滑らかな動きで跳ね起き、刃のような爪を剥き出しにして、凄まじい速度で逃げ出そうとした。
並の兵士ならあまりの不意打ちに呆然と見送るしかなかったであろう、一瞬の出来事。
だが、リクの感情を殺した声が、それよりも早く響く。
「シルヴァ、破壊するな! 生け捕りだ! 動力源の核を傷つけずに四肢を潰せ!」
「合点承知ッ!」
影から一瞬で飛び出した亜人の隠密シルヴァの動きは、まさに職人の技だった。
手にした漆黒の短剣が、逃げようとする人形の関節の隙間へ正確に突き立てられる。
命の通っていない土と結晶の肉体から、駆動を司る細い魔力の管だけを、音もなくミリ単位で断ち切っていく。
バキバキと不気味な音を立てて崩れ落ちた岩人形は、刃のような爪を虚しく痙攣させながら、地面に組み伏せられた。
シルヴァは手際よく敵の体を特殊な縄で縛り上げ、ふぅと息を吐く。
「へっ、危ねぇ危ねぇ。危うくいつも通り首を撥ねちまうところだった。……しかし勇者様、こいつは驚いた。手応えが完全に『ただの泥人形』だ。血も流れねぇし、息もしてねぇ」
一瞬にして静まり返る一同の前に、リクは歩み寄り、冷たく見下ろした。
岩人形はまだ生きて動こうとしているが、関節の自由を奪われ、ただの奇妙な彫刻のように転がっている。
リアの顔から、ケーキを楽しんでいた余裕の笑みが消え失せた。
ドワーフのブロッグも、手にしていた酒杯を落として青ざめる。
「ちょっと待って、リク……。今のは、命の波長を完全に消した、生きていない敵ってこと? 私たちの精霊の目も、ドワーフの検品も、完全にすり抜けられたの?」
リアの、何百年も戦い抜いてきた指導者としての声に、恐怖が混じる。
リクは表情を一切変えず、懐の手形を弄びながら言った。
「そうだ。姿も正体も分からないが、相手には『こちらの索敵の仕組み』を見抜く、極めて高い知性がある。自分たちが完璧だと思い込んで仕入れた資材の中に、最初から敵の罠が仕込まれていたんだ。こいつがもし、何万という数で地底や谷底から音もなく送り込まれていたら……俺たちの見張り網は機能せず、気づいた時には全員後ろから刺されて全滅だった」
リクは動けなくなった岩人形を、ドワーフの族長ブロッグの方へとつま先で転がした。
「ブロッグ、クロエ、これを研究材料として引き渡します。こいつの体をバラバラに解剖して、どういう仕組みで動き、どういう命令で動いているのか、世界の裏側の構造をすべて洗い出してください。敵の仕様が分かれば、それを逆手に取った『特効薬』が作れるはずです」
青ざめていたブロッグとクロエの目が、職人としての旺盛な探求心でギラリと光り変わる。
「……おうよ、任せとけ! 命がないなら、ただの『動く機械』だ。ドワーフの技術と魔術の粋を集めて、ネジ一本にいたるまで全部解剖して、丸裸にしてやる!」
リクは上質な紙とペンを取り出し、一同を冷たく見据えた。
「これ、めちゃくちゃまずいだろ。リア、今すぐ将軍たちを集めてくれ。現在の俺たちの防衛作戦の穴を、全員で共有して、今すぐ全部埋めるぞ」
こうして、愛らしかったお祭り騒ぎは一瞬で吹き飛び、捕獲した一級の研究材料を囲みながら、他種族のプロたちが己の不覚に戦慄し、知恵を絞り合う深夜の緊急会議の幕が開けた。
リクは集まった面々を前に、冷徹に言い放つ。
「私のいた世界には、相手の視点に立って物事を考え、最悪の欠陥を先に見つけた者が勝つという鉄則があります。敵の親玉は、どこまでも知性的で冷徹な奴だ。もし、皆さんが敵の親玉なら、現在の俺たちの防衛線をどうやって破るか、それぞれの目線から最悪の意見を出してくれ」
最初に口を開いたのは、ドワーフの族長ブロッグだった。
「だが勇者様、わからねぇ。敵の軍勢ってやつらは、あのドロドロした大気汚染が濃い場所じゃねぇと生きられねぇのが世界の常識だ。だからこそ、エルフの防波堤の先へは進んで来られなかった。……なのに、なんで大気汚染の一滴もないこんな本陣の真っ只中に、命のない人形とはいえ、敵の手先が平気な顔して潜み込んでるんだ? 前提が間違ってたのか?」
誰もが答えを出せずに沈黙する中、リクは腕を組み、冷徹にその核を見つめながら口を開いた。
「いや、前提は間違っていません。敵は大気汚染がないと活動できない仕様で合っています。だからこそ、これまで大攻勢を仕掛けてこられなかった。……問題は、この人形の中身です。ブロッグ、この人形の核の表面をよく見てください。うっすらと、エルフの領地の綺麗な魔力が吸い込まれているのが見えませんか?」
「あ……? 本当だ。敵の魔力じゃなく、ここの自然の魔力を吸い上げてやがるな?」
リクは静かに頷き、自身の仮説を語り始める。
「おそらく、敵の親玉は気づいたんです。自分たちの不条理な大気汚染を広げるだけでは、エルフの完璧な防衛線に阻まれて進軍スピードが遅すぎる、と。そこで奴は、『こちらの世界の綺麗な魔力をエネルギーに変換して、汚染のない場所でも一時的に活動できる、現地適応型の使い捨て端末』を開発した。この人形は、敵にとってのテスト用なんです」
「現地適応のテスト用……?」
リアが息を呑む。
「そうです。つまり、奴はまだこの人形を何万体も量産できる段階にはありません。なぜなら、こちらの世界の魔力を綺麗に変換する効率が、まだ圧倒的に悪いからです。今、奴の側では『なぜ現地適応型の人形がうまく動かないんだ? 予算に対して赤字が酷すぎるぞ』と、頭を抱えているはずです」
リクは手にしたペンで、上質な紙に二本の線を引いた。
「ですが、奴はどこまでも知性的だ。この一件で、こちらの索敵の仕様が岩人形によって破られたことは、もう奴の元へデータとして送信されています。奴はここから二年間、死に物狂いで『魔力変換の効率化』と『人形の量産化』というシステムの開発を進めるはずです」
紙に書かれた二本の線――それは、敵と自分たちの『開発スピードの競争』を表していた。
「猶予は二年から、長くても五年。奴が『こちらの綺麗な魔力で、大軍勢を完全に動かせる完璧な仕様』を完成させた瞬間、数万、数億の命なき人形が、大気汚染の壁を越えて世界を埋め尽くします。そうなったら、本当に終わりだ。……分かりますか? 敵が本気でこちらの仕様をハッキングし、全力でシステムを更新し始めた。だからこそ、俺たちもこの二年間、毎日泥水をすするような速度でインフラを作り変え、先回りして罠を仕掛けておく必要があるんです」
続いて、リアが凍りつくような笑みを浮かべて呟く。
「私なら、さらにエグいことをするわ。前線にいる人間の兵士たちの頭を縛るのよ。恐怖で狂わせるんじゃない。彼らに『世界を救う最高の作戦』という偽りの天啓を植え付けるの。本気で善意に満ちた笑顔のまま、私たちの防護壁を内側から爆破させるわね」
その言葉を聞いたリクの目が、さらに冷たく据わった。
「……なるほど。人間を戦力として数えるのは、今この瞬間から完全にやめましょう。敵にこれ以上、人間という道具を使わせないために、電波を遮断する壁で囲まれた安全な檻を作り、人間を全員そこに強制的に隔離して軟禁します」
最後に、ドワーフの族長ブロッグが己の髭を震わせる。
「わしらの武器開発も危ねぇな。あいつらの硬い殻を破ろうとして火力を盛りすぎれば、後ろの山や大地の循環組織までショック死させて消滅させちまう。火力を捨てる代わりに、急所の血管だけを正確に狙い撃つ繊細な調整が必要だぞ。これには何ヶ月もの地道なテストがいる」
リクは静かに頷き、ペンを走らせた。
「方針は決まりましたね。猶予は2年。生き物だろうが人形だろうが事前に察知する見張り網を作り、人間を全員檻に閉じ込め、急所だけを縛り潰す銃を完成させる。これより、地獄の2年間の準備を始めます。全員、死ぬ気でついてきてください」
こうして、完璧に見えた防衛線のバグを全て洗い出したリクたちは、敵の知性を超えるための、泥臭くも圧倒的なインフラ構築の戦いへと身を投じていくのだった。




