条件
新世暦411年 秋
扉が叩かれると、宗一郎は立ち上がり、椅子の脚が床を擦る音を聞きながら玄関へ向かった。
扉の向こうには、銀白色の髪を低く束ね、墨色の上衣を着たシオンが立っていた。腰には、長い黒鞘がある。
彼女は宗一郎の顔を見ると、何も尋ねずに一歩、中へ入った。
「……座ろう」
宗一郎が頷くと、シオンは食卓に残された朝の買い物の紙へ目を留めた。けれど、それには触れずに椅子を引き、宗一郎が向かいへ座るのを待った。
「水晶で聞いたことを、もう一度確かめたい。数字が出たのは、争いのあとだったな」
「ああ。2人とも、最初は10,000だったと言っていた」
「相手は、その場を離れていた」
「そうだ。教師と生徒は学院へ戻っていた。そこで治療を受けながら、相手を追っている隊へ情報を送っていた」
「数字が見えていたのは、負傷者だけか?」
宗一郎は首を振った。
「追跡の情報を扱っていた職員にも出ていた。そいつらも消えた。現地の隊とは、連絡が取れなくなったそうだ」
シオンは少し考えた。
「治癒師は?」
「残っている」
「お前には、出なかった」
「ああ。傷を負ったかどうかではない。治癒師は生徒に触れ、魔法も使っていた。それでも残った」
宗一郎は、卓へ視線を落とした。
「消えた職員は、相手の行方を調べるために情報を扱っていた。追跡隊も同じだ。場所は違うが、やっていたことは繋がっている」
「……相手を追う行動か」
「今のところ、共通しているのはそれだ。俺も同じ部屋にいたが、数字は出なかった。近くにいるだけで巻き込む力ではないのかもしれん」
シオンは頷き、宗一郎の手へ目を向けた。卓の上で、その指が固く握られている。
「消える瞬間、何か感じたか。魔力の流れでも、空間の変化でもいい」
「何もない」
答えた声が、思ったより強く響いた。
「……何も、掴めなかった。凛にもアリアにも触れていた。転移なら、何か分かるはずだった。だが、術式も、残滓も……」
宗一郎が手を開くと、シオンはその手から彼の顔へ視線を戻した。
「お前が、そこまで近くにいて掴めなかったのか」
「ああ」
宗一郎は手首へ目を向けた。
「数字は、瞬きをしたときに変わっていた。だが、目を閉じている間にも減っていた。瞬きは、残数を見せているだけだろう」
「何を数えていると思う」
「心拍かもしれん。凛の脈は速かった。周りで人が消え始めてから、数字の減り方も激しくなった」
彼は指を緩めた。
「確かめる前に、消えた。最初からの記録と、各人の状態を比べなければ分からん」
あのときも、息を落ち着けようとはした。だが、怖がる2人を前に、自分の声にも焦りが混じっていたことを思い出しながら、宗一郎は顔を上げた。
「同じ数字で始まったのに、消える時刻は違った。一律の時間ではなく、本人ごとに進む何かを数えている。その可能性は、調べたい」
シオンは少し考え、頷いた。
「その見方も、記録と照らそう」
しばらく言葉が途切れ、家の外を通る荷車の音だけが近づいては遠ざかっていった。
「似た事件を、知っている」
シオンの言葉に、宗一郎は顔を上げた。
「どんな事件だ」
「第七観測室一斉失踪事件。22年前、元老院の観測に関わっていた者が、全員、行方不明になった」
「観測……?」
「私たちを監視していた者たちだ」
「中央元老院十三機関には、超越者と呼んでいる者がいる」
シオンは言葉を続けた。
「英雄より強い者がいるとは、前に話したな。その中で、元老院が存在を確認し、機密として扱っている者たちの分類だ」
「お前も、その一人か」
「ああ」
宗一郎は彼女を見た。知らない言葉だったが、彼女がその分類に入っていること自体は、不思議ではなかった。
「何人いる」
「確認されているのは5人だ。世界にいる強者のすべてを、元老院が把握しているわけではない」
「その5人を、監視していたのか」
「以前は、今よりずっと細かくな。移動先だけではない。誰と会ったか、何を話したか。こちらが気づいていると分かっていても、観測を続ける者がいた」
シオンは卓の端へ指を置いた。
「第七観測室は、その仕事を担っていた。各地の観測者と、報告を集める者、通信や指揮を担う者。それが、まとめて消えた」
シオンは一度、言葉を切った。
「数百人が、ほぼ一斉にだ。大陸も、国も隔てていた。それでも、誰1人、今も見つかっていない」
「誰がやった」
「分かっていない」
宗一郎の眉が動いた。
「元老院は、私たちの誰かが関わったと疑っている。だが、実証できなかった。私も、事件の記録を読んだわけではない」
「なら、なぜ知っている」
「監視の方針が変わった際に、元老院側から概要を聞いた。それ以前と同じ観測は、続けられなくなったと」
シオンは窓へ目を向けた。
「実際、その後は大幅に緩められた。今は、大まかな所在や移動を確かめる程度だ。私たちが何をしているか、常に分かるわけではない」
「その事件でも、数字が出ていたのか」
「そこまでは知らん」
答えは、はっきりしていた。
「分かっているのは、観測に関わった者たちが、各地で姿を消したこと。通常の襲撃としては、説明のつかない事件だったことだ」
宗一郎は、医務室にあった地図と、その机の前から消えた職員の姿を思い出した。追跡隊へ呼びかけていた声も、耳に残っている。消えたのは、怪我をしていた生徒だけではなかった。
「元老院なら、記録があるはずだ」
シオンが言った。
「数字の警告があったか。消失まで、何をしていたか。今回と照らし合わせられる」
「同じ数字が出ていたなら……」
「同じ力が使われた可能性は、極めて高い」
宗一郎は息を吸った。
「そいつが、超越者なのか」
「その疑いは強くなる。ただ、まだ誰かは分からない。相手を決めつけて動くには、足りない」
シオンの声は落ち着いていた。
「私が知っていることは、ここまでだ。2人の行き先も、戻す方法も、知らん」
宗一郎は卓へ目を落とした。手掛かりはあるが、その先まで繋がったわけではない。過去に消えた者たちも戻ってきてはいないのだろうと思うと、尋ねようにも喉が詰まった。
「……シオン」
「何だ」
宗一郎は顔を上げた。
「2人は、生きていると思うか」
返事を待つ間、宗一郎は息を詰め、卓の縁を握る指に力を込めた。シオンは、その彼をまっすぐに見ていた。
「生きている」
静かな声だった。
「私は、そう判断する」
宗一郎は、すぐには動けなかった。
「……なぜだ」
「相手が超越者なら、教師と生徒を殺すために、長い猶予を与える必要はない。その場で終わらせられる」
シオンは言った。
「現地を離れた生徒も、あとから追跡に加わった者も消えている。相手が立ち去ったあとまで続く、条件を持った力だ。単に殺害するための攻撃とは、仕組みが違うように見える」
「殺す以外の、何か……排除、隔離とかか……」
「そこまでは分からん。だが、私は捜す。死んだと決めて、手を止める理由はない」
宗一郎の指が僅かに緩んだが、シオンは視線を逸らさなかった。
「お前を慰めるために、言っているのではない」
「ああ……」
息を吐くと、今度は少し深く吸うことができた。宗一郎は呼吸を整えながら、彼女の腰にあるラミセクトへ目を向けた。
斬られる前に傷が生じ、避けるための動作さえ意味を失った。かつて自分も、その力の前で理解が追いつかないまま血を流したのだ。
「あの力、因果遺物の可能性はあると思うか」
「ある。私も、それを疑っている」
シオンが答えた。
「お前が術式も残滓も掴めなかった。現地の者だけでなく、離れた場所で情報を扱っていた者にも作用している。通常の魔法では、説明し難い」
彼女の目が、僅かに細くなった。
「未知のレアアーティファクトという可能性も、まだ残る。だが、因果遺物の働きと考えれば、お前が現場で何も掴めなかったことも説明はつく」
「お前の刀のように、か」
「原理まで同じとは言っていない。私が理解しているのは、ラミセクトの能力だ。他の遺物の働きまで、分かるわけではない」
シオンは首を振った。
「だから、記録が要る。何が起きたかを、一つずつ確かめる」
元老院へ行く話は、春にもした。自分が何者なのか、老いない身体とゼルグレアについて、何か知ることができるかもしれない。それでもあのとき断ったのは、転移魔法陣を使っても片道に2か月かかり、往復と調査を合わせれば、さらに長く家を空けることになるからだった。凛とアリアを、2人だけで残すわけにはいかなかった。
宗一郎は、空いた椅子を見た。
「遠いな」
「ああ」
シオンが答えた。
「飛行船の航路も調べる。使える転移魔法陣と組み合わせれば、少しは縮められるかもしれん」
「水晶で、先に聞けないか」
「この家にあるものでは、届かない。携帯用も、普通の水晶なら同じだ」
シオンは棚を見た。
「専門の調査機関で使う特別な水晶なら、周囲に増幅魔法陣を展開して、大陸を隔てた通信もできる。第七観測室の観測網も、そうした設備を使っていたはずだ」
「学院に、同じものは」
「設備の有無は、学長に確かめよう。ただ、繋ぐ手段があっても、事件の機密記録をそのまま渡してもらえるとは限らん」
宗一郎は頷き、春に交わした話を思い出した。シオンには元老院へ話を持ち込める相手がいるが、それでも全ての資料を見られるわけではないと言っていた。
「お前が、前に言っていた相手に会うのか」
「ああ。私から話す。今回は、生徒たちの失踪と、過去の事件との照合を求める」
「数字だけではなく、消えた者の仕事と、残った者の仕事も見たい」
宗一郎が言った。
「観測者の近くにいた者まで消えたのか。それとも、観測に関わった者だけだったのか。今回と同じなら、相手の力が誰を選ぶか、少しは絞れる」
「そうだな」
「相手の居場所が分かっても、すぐに手を出すわけにはいかない。何をしたら数字が出るのか、分からんままだ」
そう言って、宗一郎は僅かに口を閉じた。救出のために踏み込んだ行動が、自分まで消す条件になるかもしれず、その危険を力の強さだけで退けることはできなかった。
「行けば、何か分かると思うか」
「分かると保証はできない。だが、今ここで考え続けるより、確かめられることはある」
シオンは少し間を置いた。
「ほかに心当たりがないなら、行くべきだと思う」
宗一郎は、彼女の顔を見た。
「行く」
今度は、迷わなかった。
「元老院へ行く。2人を捜すために必要なら、どこへでも」
シオンが頷いた。
「私も行こう」
宗一郎の唇が僅かに開いたが、彼が何かを言うより先に、シオンは続けた。
「条件が一つある」
「何だ」
「常に、冷静でいろ」
宗一郎は黙った。
「悲しむなとは言わん。怖くなるなとも言わん。だが、判断を焦りに任せるな」
シオンの声が、少し低くなった。
「相手が超越者で、因果遺物の契約者でもあるなら、たとえお前でもただでは済まない。仕組みを知らずに飛び込めば、お前まで失うことになる」
「……分かっている」
「分かっているだけでは困る。私が止めたら、まず話を聞け。2人を救うために動け。自分を傷つけることで、埋め合わせようとするな」
宗一郎は彼女を見て、何か言い返そうとしたが、やめた。医務室では怒鳴り、相手が誰かも分からないまま現地へ行こうとした。強く動けば何かが変わる気がして、じっとしていることが2人を見捨てるように思えたのだ。
「……分かった」
シオンは、返事を聞いてから僅かに息を吐いた。
「私より年上だろう。頼むぞ」
宗一郎は、少し目を伏せた。
「今、それを言うか」
「今だから言っている」
彼女の口元がほんの僅かに緩み、宗一郎も息を吐いた。笑うことはできなかったが、それでも、次に何をするかを考えられた。
「アルベルドにも、伝えておく」
「ああ。学院の調査と、得た情報を合わせよう」
翌朝、宗一郎とシオンが学院を訪ねると、アルベルドは夜のうちに届いた報告を机へ広げていた。部屋へ入ってきた宗一郎に気づき、老人は顔を上げた。
「現地の追跡隊も、姿を消しておった。装備ごとじゃ。確認に向かった者から、報告が届いておる」
宗一郎が立ち止まると、シオンがその横へ並んだ。
「過去に、似た事件がある」
彼女が第七観測室の名を告げ、知っている範囲を説明する間、アルベルドは口を挟まずに耳を傾けていた。聞き終えると、広げていた記録へ目を落とした。
「遠く離れた者まで、同じ活動に関わっておったということか」
「今回も、負傷者だけではない。情報を扱った者と、追跡を担った者が消えている」
シオンが答えた。
「まだ共通点を見つけた段階だ。元老院の記録を確かめたい」
アルベルドは長く考えた。
「……分かった。わしらが確認した事実を、持っていける形にまとめよう。目撃者の証言、数字の記録、通信の内容。今回の事件を説明するために、必要になるじゃろう」
「頼む」
宗一郎に続いてシオンが通信設備についても尋ねると、アルベルドは首を振った。
「元老院のある大陸まで、ここから直接繋げる設備はない。学院の水晶にも、届く範囲がある」
「旅の途中なら、連絡できるか?」
「距離が離れすぎぬうちはな。向こうの大陸へ渡れば、難しくなる。一般の携帯水晶だけで、ずっと情報を交換することはできぬ」
宗一郎は頷いた。報告を待ちながらいつでも相談できる旅にはならないが、それでも、行かなければ得られないものがある。
「使える通信設備が見つかったら、こちらから連絡する。届かない場合は、書状を送る」
「うむ。宛先が決まれば知らせてくれ。こちらも調査を止めはせん」
アルベルドは、別の紙を取り出した。
「凛とアリアは、当面、休学として扱う。ほかの消えた生徒も同じじゃ」
宗一郎がその紙へ目を向けると、そこには2人の名があった。
「戻ってきたとき、また学べるようにしておく。授業のことも、必要な手続きも、今はわしらに任せなさい」
宗一郎は、しばらく紙を見つめていた。「戻ってきたとき」と、老人は静かに、当たり前のことのように口にしていた。
「……ありがとう」
アルベルドが頷いた。
「必ず、知らせてくれ。何か分かったら。わしらも、その知らせを待っておる」
家へ戻ると、宗一郎は旅の鞄を出し、衣服や金銭、野営に必要な道具を揃え始めた。長い旅に何が要るかは身体が覚えていて、傷んだ留め具を確かめながら、使わないものを抜き、持っていくものを選んでいく。
シオンが航路と出発の手配を調べに出かけた間に、宗一郎は家を空ける準備を進めた。台所の食材を片づけ、戸と窓を確かめてから、庭の鉢を雨が届く場所へ移した。
食卓の上に残っていた凛の紙は、折れないように本の間へ挟んだ。持っていく鞄には入れず、そのまま家に置いておくことにした。
2人の部屋の前で足を止めると、閉ざされた扉の向こうからは、何の声もしなかった。宗一郎は取っ手へ手を伸ばしかけたが、触れる前にそっと下ろした。
戻ってきたら、凛はまず部屋の窓を開け、アリアは鞄を置く前に何か話し始めるかもしれない。
そのとき、自分もここにいたい。
階下へ戻って壁際のゼルグレアを手に取り、いつもの重さを腕に感じながら、宗一郎は家の中を見渡した。
誰もいない家を出ていくのは初めてではなく、帰る理由を持って旅立つことも、もう知っていた。
今度は、2人を連れて帰る。
玄関の扉を開けると秋の光が差し込み、宗一郎はその中へ踏み出して、家に鍵を掛けた。




