第8話「金よりも、大切なもの」
商談室を辞し、ギルドの広間へ戻ると――そこに、見知った巨躯があった。
「おお、あんた。剣闘試合の優勝者じゃねえか」
ガルムだった。片手に酒杯を提げ、赤ら顔でこちらに気づく。
「タクミ、といったな。それに……」
その視線が、タクミの隣へと移る。
「隣にいるのは……姫さん?」
その一言が、広間の空気を凍りつかせた。
「な……なんだって?」
「優勝者に……ひ、姫殿下だと!?」
ざわめきが、瞬く間にギルド中へと広がっていく。リズは小さく肩をすくめたが、もはや隠しようもなかった。
「お前さんたち、こんなところまで来て、何をするつもりじゃ」
ガルムが豪快に笑いながら近づいてくる。タクミは声を落とし、慎重に言葉を選んだ。「蛮族」という言葉は、あえて使わない。
「大きな依頼を受けてな。腕の立つ者を探している」
「ほう、大きな依頼か」
ガルムの酒で濁っていたはずの目が、獲物を前にした戦士のそれへと変わった。
「詳しい話は聞かん。だが――ぜひ、このワシも参加させてくれ。ワシはあんたの下で戦いてぇ」
依頼の内容も確かめぬまま、ガルムは即座に食いついた。タクミの武名と、そして隣に立つ姫の存在。それだけで、報酬も冒険の格も、間違いないと踏んだのだろう。
「姫さんと一緒の依頼たぁ、こいつは豪気だ。報酬もさぞかし弾むんだろうよ!」
その言葉に、周囲の冒険者たちが色めき立った。
「お、俺も混ぜてくれ!」
「姫殿下の依頼なら、報酬は間違いねえ!」
「面白そうじゃねえか、乗った!」
金と名誉の匂いを嗅ぎつけた男たちが、我先にと群がり始める。だが、タクミは冷ややかに一言。
「足手まといはいらん」
と切り捨てた。とはいえ、姫の登場で広間はもはや騒然としており、一人ひとりを吟味している暇もない。タクミは思案し、ガルムへと向き直った。
「そうだ、ガルム。お前に頼みがある」
「なんじゃ」
「このギルドの冒険者の中から、見込みのありそうな奴らを選抜してくれ。お前の目なら、信用できる」
「任せておけ。お安い御用じゃ」
ガルムは戦斧の柄をぽんと叩き、頼もしく請け合った。剣闘試合の決勝まで勝ち上がった男の眼力は、伊達ではない。人を見る目にかけては、このギルドの誰よりも確かだろう。
「俺たちは、この住所にいる。何かあったら、訪ねてくれ」
タクミが地図を広げ、下賜されたばかりの邸宅の位置を示す。ガルムはそれを覗き込み、目を丸くした。
「なんじゃこりゃ。城の目の前の、一等地じゃねえか。貴族どもの屋敷が建ち並ぶ地域だぞ」
げらげらと笑い、タクミの肩を叩く。
「お前さん、いつの間にか、随分と出世したもんじゃのう!」
「成り行きでな」
「はっはっは! とにかく、ワシに任せておけ。では――また会おう」
そうして、ガルムとは広間で別れた。
夕刻。茜色に染まる帝都を背に、タクミは下賜された邸宅の門をくぐった。白亜の壁に蔦の絡む、瀟洒な二階建てだった。手入れの行き届いた前庭には、薔薇が咲き誇っている。皇帝の気前の良さが、そのまま形になったような屋敷だった。
玄関の扉を開けると、一人のメイドが出迎えた。栗色の髪をきっちりと結い上げた、二十歳そこそこの娘だ。
「お帰りなさいませ、タクミ様。……あの、お一人と伺っておりましたが」
タクミの背後に立つリズの姿を認め、メイドが戸惑ったように目を瞬かせる。
「私も一緒だから。よろしくね」
リズはにっこりと微笑むと、当然のようにずかずかと屋敷に上がり込んだ。メイドは主人であるはずのタクミへ、判断を仰ぐように視線を送る。タクミは苦笑して、小さく頷いた。もはや止めても無駄だと悟った男の顔だった。
「……かしこまりました。では、お夕食を、お二人分ご用意いたします」
メイドが心得たように一礼し、厨房へと下がっていく。その物腰から、若いながらもよく躾けられた娘だということが窺えた。ちなみにその後、リズがさりげなく彼女の容姿を検分し、「まあ……普通ね」と安心したように呟いたことは、当のメイドは知る由もない。
夜。食堂の長テーブルに、湯気の立つ料理が並んだ。焼きたてのパン、香草を利かせた鶏の煮込み、瑞々しい野菜のサラダ。メイドの腕は確かで、質素ながらも心のこもった夕食だった。
向かい合って食事を進めるうち、リズがふと、フォークを置いて口を開いた。
「ねえ、タクミ。一つ聞いていい?」
「なんだ」
「今回の遠征、元々は帝国軍の計画よ。それなのに、どうしてわざわざ傭兵まで雇うの? 帝国軍だけじゃ、駄目なの?」
核心を突く問いだった。タクミはワインを一口含み、静かに答えた。
「帝国軍は、所詮は帝国のものだ。俺の戦力じゃない」
「……どういうこと?」
「帝国軍だけで蛮族討伐を成し遂げれば、それは帝国の手柄になる。だが、傭兵の力を借りて成せば――その傭兵は、俺に忠誠を誓う俺の戦力になる。帝国への依存度を、下げておきたいんだ」
リズは、指で顎をとんとんと叩きながら、その言葉を咀嚼した。
「つまりこういうこと? たとえ帝国軍だけで討伐に必要な頭数が揃っていたとしても傭兵を雇う。その理由は、帝国に頼りきりにならないためである、と」
飲み込みの早さに、タクミは内心で舌を巻いた。剣の腕だけでなく、この女は政治的な機微にも聡い。城育ちの箱入り娘と侮っていれば、足をすくわれるだろう。
「その通りだ」
「でも……」
リズの表情が、ふと曇った。
「帝国軍と傭兵じゃ、指揮系統がバラバラになるんじゃない? 烏合の衆になったら、かえって足を引っ張り合うわよ」
「問題ない。それぞれに、別の使い道がある。」
「別の使い道……」
リズは半信半疑の様子だったが、それ以上は追及しなかった。だが、しばらくスープを口に運んだ後、また別の懸念を口にする。
「でもさ、傭兵って、基本的に金で動くんでしょう。もし遠征の途中で、誰かが裏で傭兵に圧力をかけたり、もっと高い報酬をちらつかせたりしたら……あっさり裏切るんじゃないの?」
的確な指摘だった。金の流れを断たれれば、傭兵は容易に離反する。彼らには帝国正規軍のような忠誠心は無い。
タクミは、ワイングラスを傾けながら、リズをじっと見た。
「いい着眼点だ。……ならば、聞くが。傭兵には、金より大事にしているものがある。それが何か、分かるか?」
「金より、大切なもの?」
リズは腕を組み、天井を見上げて考え込んだ。
「うーん……名誉? ……いや、違うわね。あの手の連中、名誉じゃ腹は膨れないって言いそうだし」
「ほう」
「仲間意識……も、金を積まれたら裏切りそう。うーん……」
ぶつぶつと呟きながら、指を折って可能性を数えていく。だが、どれもしっくりこないらしい。しばらく唸った末、とうとう両手を上げて降参のポーズを取った。
「わかんない! ずるいわよ、途中でやめないで、教えてよ!」
頬を膨らませ、じっとタクミを見上げる。帝国建国以来最強と謳われる姫騎士が、まるで謎かけの答えを知りたがる子供のような顔をしていた。
「城暮らしのお姫様には、少し難しかったか」
「なっ……!」
「正解は――命だ」
タクミは静かに言った。
「傭兵は金でしか動かない。だが、いくら金を積まれても、自分の命が危うくなれば、真っ先に逃げ出す。奴らにとって、金は命あってのものだからな」
リズの目が、すっと細くなった。
「……つまり。命を守ってくれる指揮官になら、従うってこと?」
一度ヒントを得れば、そこから先の回転は速い。彼女は身を乗り出した。
「金だけ積まれても、『この戦場はヤバい』と思えば逃げる。でも、『こいつについていけば生きて帰れる』と思わせれば――」
ぽん、と手を打つ。
「金なんかいらないくらい、忠誠を誓う。そういうこと?」
「正解だ」
タクミは口の端を上げた。傭兵にとって、金は所詮、契約に過ぎない。命の保証がなければ、紙切れも同然。そんな彼らをコントロールできるのは、圧倒的な武力と、戦場での的確な判断力を持つ者だけだ。
「じゃあ、タクミなら余裕じゃない」
リズがにやりと笑った。
「だって、あなたは私を倒した男よ? 傭兵たちから見たら、化け物みたいなものでしょう。『あの男についていけば死なない』って」
実際、その通りだった。五年無敗の帝国最強の姫を、衆目の前で打ち破った男。その武名はすでに帝都中に轟いており、傭兵たちの間でも「あの男に雇われれば死なない」という噂が、まことしやかに囁かれ始めている。
「そういえば、ガルムも言ってたわね。『あんたの下で戦いてぇ』って」
「ああ。俺とリズが圧倒的な強さを見せ、『こいつらに従えば勝てる』と思わせれば、奴らはついてくる。それどころか――金目当ての命知らずどもが、向こうから群がってくるだろう」
「命知らずって……それ、褒めてるの?」
リズがぷっと吹き出した。だが、否定はできなかった。事実、ギルドでタクミを見る冒険者たちの目の色は、明らかに変わっていた。恐怖と憧憬が入り混じった、獣が強者に惹かれる時の、あの目だ。
だが、笑ったリズは、すぐにまた真顔になった。
「でもさ、逆に考えたら怖くない? 命知らずの傭兵ばっかり集まったら、統率が取れなくなるでしょう。それこそ、烏合の衆になっちゃう」
またしても、鋭い指摘だった。強さに惹かれて集まるのはいい。だが、集まった猛者たちを一個の軍として機能させられるかは、まったく別の問題だ。烏合の衆は、時に強大な敵よりも厄介になる。
タクミは満足げに頷いた。
「――だから、その選別を、ガルムに任せた」
リズは、はっとした顔をした。ギルドでの一幕。あの何気ないやり取りの中に、すでにこの男は布石を打っていたのだ。集まる有象無象の中から、真に使える者だけを、信頼できる目で選り分けるために。
「……あなたって、本当に」
リズは呆れたような、それでいてどこか誇らしげな溜息をついた。
「一手も二手も、先を読んでるのね」
燭台の炎が、静かに揺れる。窓の外では、帝都に夜の帳が下りていた。明日から始まる遠征準備の慌ただしさを、まだ二人は知らない。だが今この食卓には、これから幾多の戦場を共にするであろう二人の、確かな信頼が芽生え始めていた。




