第38話「帝国軍同士は、味方だと言ったな」
ヴァルデンブルクの市庁舎は、いまや野戦病院と化していた。一階の広間には藁が敷き詰められ、そこに三十人を超える重傷者が横たわっている。折れた足に添え木を当てられた者、火傷を負った者、煙を吸い込んで咳き込み続ける者。第五師団の衛生兵が総出で手当てにあたり、市民の女たちが水と布を運んでいた。昨日まで、この街の誰も彼らを見たことがなかった。
二階の会議室に、四人が集まったのは、その日の午後だった。
「――ヴェーバー将軍」
部屋に入ってきたフェリクスが、右手を胸に当てて一礼した。左腕は、まだ吊ったままである。
「レーヴェンシュタイン閣下」
グスタフも、立ち上がって答礼した。今回の任務において二人が顔を合わせるのは、これが初めてだった。
同じ帝国軍の師団長でありながら、片や堅実な守りの老将、片や剣闘試合十連覇の平民上がり。年齢も、経歴も、気質も、何一つ重なるところがない。だが、この一月ばかりの間、二人は同じ絵図の上で動いていた。互いに何も知らされないままで。
タクミが、卓を示した。
「――座ってくれ。情報を突き合わせておきたい。……全員が、別々のものしか見ていないからな」
彼は、地図を広げた。
「まず、順を追いたい。ヴェーバー将軍。この討伐計画は、元々どういうものだった」
「はっ」
グスタフは、姿勢を正した。
「フォルクヴァルツ伯爵より、上申がありました。領都ヴァルデンブルクが獣人の襲撃を受けている、私兵では抑えきれぬ、と。……その上申を受け、軍が立てた当初の作戦は、第三師団より精鋭一個大隊を抽出し、市街に駐留させ、襲撃があれば迎え撃って捕らえる。そして、捕らえた者から住処を聞き出し、調査する――というものでした」
「調査」
フェリクスの碧眼が、細くなった。
「討伐ではなく、調査ですか」
「はい」
「……その案を立てたのは、誰です」
「私です」
フェリクスが、しばらくグスタフを見つめた。
「将軍。一つ、伺ってよろしいか」
「なんなりと」
「なぜ、捕らえると書かれた。……なぜ、討ち取るではなく」
グスタフは、卓の上で組んだ自分の手を見ていた。
「……襲撃の報告が、おかしかったのです」
「おかしい?」
「十一件の襲撃報告がありました。しかし、討ち取った獣人の死体は一体も上がっていない。捕虜もいない。帝国軍の人間で、実際に襲撃を目にした者は一人もいない。……全て、伯爵家の書記局を通じた書面のみでした」
フェリクスの眉が、跳ね上がった。
「それを、そのまま軍が受け取ったと」
「領主の上申は、公文書ですので」
「――将軍」
「言い訳です。公文書だから疑わなかった。それは軍人の建前です。私は、それを建前だと知りながら口にしてきました」
彼は、顔を上げた。
「三度、上申しました。この報告には裏があると。……三度とも、握り潰されました」
「三度」
「はい」
「……誰に、握り潰されたのですか」
「分かりません。上申書は、軍務局を通って上へ行きます。どこで止まったのかは、私には辿れません」
「――ですから、私は捕らえると書きました。討ち取ってしまえば、何も分からなくなる。捕らえて、話を聞けば、何かが分かる。……そう考えました」
「話を聞く」
フェリクスが、その言葉を繰り返した。
「将軍。それはつまり、あなたは最初から――」
「相手が蛮族などではないことを、知っていました。三十年余り、軍務についております。獣人が冒険者としてギルドに登録していることも、街で商売をしていることも知っている。……知っていて、蛮族という言葉を書類に書いてきました」
彼は、そこで一度、言葉を切った。
「二十年前にも、同じことがありました」
その一言に、部屋の空気が変わった。
「別の領地です。名も違います。形も、少し違いました。ですが、同じことが行われていた。私はまだ大隊長でしたが、報告書を上げました。……戻ってきた報告書には、朱が入っておりました。獣人と書いたところに、全て、蛮族と」
「……それで」
フェリクスが、低く促した。
「書き直して、出しました」
グスタフの拳が、震えていた。
「それきり、返事はありませんでした。それで、諦めました。……二十年です」
誰も、何も言わなかった。
「昨日、私は蔵を開けました。二十年前に目を逸らしたものを、正面から見ました。……あれは、私が二十年前に見なかったものです」
しばらくの沈黙の後、フェリクスが口を開いた。
「……こちらの事情も、申し上げておくべきでしょうな。俺が第五師団を率いてこの作戦に加わったのは、およそ一月ほど前です。だが、当初の計画については、今この場で初めて伺った」
「知らされていなかったと」
「一切です。俺が受け取ったのは、勅命の写しと、編成命令だけでした。大樹海の蛮族討伐。第三師団は市街の防衛、第五師団は樹海から出る者を止めよ。……役割は書いてあった。だが、なぜ二個師団なのかも、そもそもこの作戦が何から始まったのかも、一言もない」
「では、閣下は第三師団の参戦をご存じだったと」
「割り当てを読めば分かります。……逆に伺うが、将軍はご存じなかったので」
「存じませんでした。私が知らされたのは、第三師団の派遣までです。第五師団の参戦を知ったのは、ヴァルデンブルクに入ってからでした」
「……なるほど」
フェリクスが、卓の地図に目を落とした。
「片方だけが知らされている、と」
二人が顔を見合わせたところへ、タクミが口を挟んだ。
「整理しよう」
彼は、指を折った。
「一つ。当初の計画は、精鋭一個大隊による調査。立案者はヴェーバー将軍」
「はい」
「二つ。俺が剣闘試合に勝ち、姫の同行が決まった。その直後に、計画が書き換えられた。調査は飛ばされ、討伐となり、第五師団が追加された」
「……その通りです」
「三つ。書き換えを行った者は、ヴェーバー将軍にもレーヴェンシュタイン将軍にも、その経緯を伝えていない」
タクミは、卓を指で叩いた。
「現場の指揮官の一方は、もう一方の参戦すら知らされず、双方とも作戦の変更理由を知らされていない。……これは、手違いではない」
誰も、すぐには口を開かなかった。
「意図的に、分断されていたわけですな」
「そうだ。そして分断されていれば、二人は互いに連絡を取らない。取らなければ、この場のような会話は起きない。もし俺が何もしなければ、貴殿らは最後まで、別々のものを見たままだった」
グスタフが、はっと顔を上げた。
「帝国軍同士は、味方だ。……というあの厳命は」
タクミは、頷いた。
「あの一言は、貴殿らを繋いでおくための保険だった。……何のために分断されているのかは、その時点では分からなかったがな」
グスタフは、しばらく無言で卓の地図を見つめていた。何かを思い返しているような目だった。やがて、彼は顔を上げた。
「――一つ、腑に落ちんことがございます」
「なんだ」
「人事です。長く軍務についておりますと、編成というものの癖が分かってまいります。……此度の第五師団の追加は、どうにも据わりが悪い」
「据わりが悪い、とは」
「帝国には師団が幾つもございます。北方に駐屯している部隊もあれば、帝都近郊で遊んでいる部隊もある。動かすなら、そちらのほうが遥かに早い。なのに、なぜ第五師団だったのか」
フェリクスの碧眼が、わずかに動いた。
「――俺も、そこは考えていた」
タクミが、口を開いた。
「編成が決まった時、俺はゲルハルト近衛副団長に確認した。第三師団と第五師団は、同じ命令を受けているのかとな。……あの男は、両師団とも蛮族討伐のための参戦だと答えた」
「では、なぜ二個師団なのだと」
「そこだ」
タクミは、フェリクスを見た。
「レーヴェンシュタイン将軍。貴殿は当時、どこにおられた」
「……別任務で、西方に」
「西方に」
グスタフの目が、細くなった。
「失礼ながら閣下。任務の途上にある師団長を、わざわざ呼び戻してまで加えたということになりますな」
「そうなります」
「なぜ、です」
フェリクスは、すぐには答えなかった。
リズは、卓の端からフェリクスの横顔を見つめていた。
あの日、司令室で。タクミが「姫殿下が隣にいる限り、俺を闇に葬るという手段は取れなくなる」と言った瞬間、フェリクスの表情から、あらゆる感情が抜け落ちた。ほんの一瞬のことだった。あれが何だったのか、リズは今も確かめていない。確かめれば、彼との間に、取り返しのつかない線が引かれる気がしたからだ。
「……分かりません」
嘘ではない、とリズは思った。フェリクスは、なぜ自分が選ばれたのかを、命令書からは知らされていないのだろう。だが、それが答えの全てだとも思えなかった。
「軍務ゆえ、理由は問いませんでした」
「左様ですか」
グスタフは、それ以上追及しなかった。長い軍務が、彼にそうさせたのかもしれない。あるいは、追及すべきでないと察したのかもしれない。
リズは、椅子の背にそっと体を戻した。横目に、タクミがこちらを見ているのが分かった。だが、彼も何も言わなかった。
「――さて」
タクミが、話題を変えた。
「では、次だ。代官をどうする」
「軍法上は、明白です」
フェリクスが、即答した。
「三万人が暮らす市街で人質を取り、あまつさえ蔵に放火した。延焼すれば街ごと焼けていた。……未遂であろうと、極刑です」
「では、帝都へ移送するか」
「それが手続きでしょうな」
「――だめよ」
全員の目が、リズに集まった。
「殿下?」
「移送したら、あの人は殺されるわ。街道で盗賊に襲われたとか、獄中で病死したとか。……そういう形になる。絶対に」
「証拠がありませんな」
「証拠はないわ。でも」
リズは、卓に身を乗り出した。
「去年、辞めたいと言った私兵が一人、行方不明になってる。ヴェッセル本人が言ってた。自分が手配したって。あの人は、それができる側にいた人よ。だから分かるはずなの。次は自分がそうされるって」
「……なるほど」
フェリクスが、右手で顎を撫でた。
「では、どうなさる」
「私が預かる。エーデルフェンに留め置く。私の監督下で。……皇位継承者が身柄を預かっている人間に、そう簡単には手を出せないでしょう」
「殿下。それは越権では」
「越権よ。でも、あの人が死んだら、証言する人が一人もいなくなる」
その一言に、フェリクスが黙った。碧眼が、じっとリズを見ている。この娘は既にその先を見ている――そう言いたげな目だった。
「――俺は、賛成だ」
タクミが、口を開いた。
「理由は二つある。一つは、リズの言う通りだ。あれは唯一の内部の人間だ。伯爵からの書状も、自分の手で受け取っている」
「もう一つは」
「あの男自身が、それを望むからだ。切り捨てられたと知った人間ほど、扱いやすいものはない。……帝都へ戻れば消される。ここにいれば生きられる。そう理解すれば、あれは自分から全部喋る」
リズは、思わずタクミを見た。あの時、火の中から男を引きずり出した自分の隣で、タクミは既にそこまで計算していたのだ。
「……嫌な言い方をするのね」
「事実を言っているだけだ」
「私は、そんなつもりで助けたんじゃないわよ」
「知っている。だからこそ、あの男は喋る。……脅されたのではなく、助けられたからな」
リズは、返す言葉を失った。窓の外では、日が傾き始めている。話し合うべきことは、まだ残っていた。




