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最強の姫騎士と、見えない糸で結ばれた異国の王子  作者: 旭屋綉
第1部 ヴァレンタイン帝国編 第1章

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第4話「檻の外へ誘う、その手を掴んだ」

 ヴァレンタイン帝国の現皇帝ヴォルフガング三世は、リーズレットの祖父にあたる。


 かつて一度は退位し、娘婿に玉座を譲った身でありながら、十六年前のある出来事をきっかけに再びその座へ返り咲いた――いわゆる重祚である。娘婿の名はテオドール。オリハルコンの聖剣を振るい、大陸中にその名を轟かせた稀代の勇者であった。ヴォルフガングの娘と大恋愛の末に結ばれ、圧倒的な実力と人望を背に皇帝の座に就いた男だ。


 だが十六年前、当時五歳だったリーズレットを残し、テオドールは忽然と姿を消した。行き先は、帝国北の大山脈だったという。だが、以来消息は一切途絶えている。追うようにして母までも病でこの世を去り、幼いリーズレットに残されたのは、父の形見である聖剣と、皇位継承者としての重責だけだった。


 空いた玉座を継いだのが、齢七十を超えてなお矍鑠としていたヴォルフガングである。前々帝としての治世と合わせれば、その帝位はすでに五十年近くに及ぶ。政治的なバランス感覚に長けた賢帝と評される一方で、孫娘であるリーズレットをそれはそれは溺愛していることは、帝都中の知るところだった。


「……檻の中とは言え、帝国の中で皇帝陛下のご意志に逆らう訳にもいかないな」


 タクミは小さく呟くと、リーズレットの手を取った。


「姫、参りましょう」


 タクミに手を取られたリーズレットの頬が、さっと紅潮する。だが、それを振り払う素振りは見せなかった。


「べ、別にエスコートなんて頼んでないんだけど」


 ぷいっと顔を背けながらも、握り返す力はしっかりしている。完全なツンデレだった。近衛騎士たちの前だという体裁を辛うじて保っているが、繋いだ手の親指がタクミの甲をそっと撫でていることに、本人はまるで気づいていない。


 先導していた近衛副団長のゲルハルトが、ふと振り返って二人が手を繋いでいるのを目撃し、一瞬固まった。しかし歴戦の武人らしく即座に表情を戻し、何事もなかったかのように先導を再開する。


「こちらへ。陛下は大変お待ちです」


 一行は闘技場の地下通路を抜け、螺旋階段を上り、城の回廊へと出た。夕暮れの帝都が窓の外に広がっている。祭りの喧騒が遠くから聞こえ、屋台の灯りがぽつぽつと点き始めていた。


 歩きながら、ゲルハルトがちらちらと背後の二人を窺っている。無理もない。帝国建国以来最強の姫騎士が、得体の知れない剣闘試合の優勝者と手を繋いで歩いているのだ。噂は明日の朝には帝都中に広まるだろう。ゲルハルトの胃が痛む音が聞こえた気がした。


「ねえ、陛下の前では一応ちゃんとしてよね? 檻がどうとか絶対言わないでよ」


 小声で囁くリーズレットに、タクミは軽く頷いた。


「もちろんです。姫の顔に泥を塗る訳にはまいりません」


 謁見の間の巨大な扉が見えてきた。扉の両脇に立つ衛兵二人が槍を交差させて一行を待ち構えている。衛兵が槍を引き、重い扉がゆっくりと開かれた。




 謁見の間は圧巻だった。天井まで届く巨大なアーチ窓から夕陽が差し込み、赤い絨毯を血のように染めている。壁際には文官や武官が整然と並び、奥の玉座には白髪の老人が座っていた。それがヴォルフガング三世――穏健派として知られる皇帝その人だった。老いてなお鋭い眼光が、二人をじろりと見下ろす。


 繋がれた手を一瞥し、深いため息をついた。


「リーズレットよ。余が呼んだのは一人のはずだが」


 リーズレットはさっと手を離し、片膝をついて跪いた。見事な切り替えだった。


「申し訳ございません、陛下。優勝者をお連れするよう仰せつかったとのことでしたので」


「よい。楽にせよ。……して、そなたが今年の優勝者か」


 皇帝の視線がタクミへと注がれた。品定めするような、あるいは娘の婿を見る父のような、なんとも形容しがたい目つきだった。


「名は何という。出自は。……それと、うちの姫をどうするつもりだ?」


 最後の質問だけ、妙に声が低かった。周囲の文官たちが微かに身を縮めたのは気のせいではないだろう。


 タクミは謁見の作法として完璧な所作で一礼した。


「皇帝陛下、お初にお目にかかります。名はタクミ・アマギ、東方の島国ヤポニクより参りました」


 その一礼の見事さに、居並ぶ文官たちがどよめいた。東方の田舎者だろうと高を括っていたのだろう、何人かが眉をひそめ、何人かは感心したように顔を見合わせている。武官の中には、値踏みするような目でタクミの立ち姿――重心の置き方や隙のなさ――を観察している者もいた。得体の知れない優勝者という評判とは裏腹に、この男はただの荒くれ剣士ではないらしい。その空気が謁見の間に静かに広がっていく。


 一呼吸置き、タクミは周りを見渡した。


「姫がどうされるかは、先程の試合の中で、姫ご自身が宣言されたではないですか。歓声で皇帝陛下のお耳までは届きませんでしたか?」


 東方の出自でありながら、帝国式の礼法を寸分の狂いなくこなすタクミに、居並ぶ文官たちが目を見合わせている。


 皇帝の片眉がぴくりと上がった。


「ほう。姫ご自身が宣言された、とな」


 傍らに控える侍従長にちらりと目を向ける。侍従長が慌てて羊皮紙の巻物を広げ、震える声で読み上げた。


「え、えー……本日午後、剣闘試合決勝戦において、リーズレット=ヴァレンタイン皇女殿下は、優勝者に対し……『あなたが勝ったら、結婚してあげてもいいわよ?』と……宣言され……」


 侍従長の声が尻すぼみになっていく。謁見の間にざわめきが走った。


 皇帝はこめかみを指で押さえた。


「聞こえておったわ。あの馬鹿でかい歓声の中でも、孫娘の叫びだけはしっかり届いた」


 ばつが悪そうに目を逸らす。


 やがて玉座から身を乗り出し、タクミを見据えた。老いた瞳の奥に、為政者の冷徹さが光る。


「タクミとやら。一つ聞く。東方から来たと言ったな。つまりそなたには帝国での後ろ盾がない。爵位も領地も血縁もない男が、余の孫娘を娶ると言うのか」


 空気が張り詰めた。文官の一人が露骨に顔をしかめ、武官たちは腕を組んでタクミを睨んでいる。帝国貴族社会において、血筋と家柄は何よりも重い。それを持たぬ男に姫を渡すなど、前代未聞の暴挙だった。


「姫は、騎士として二言は無いと仰っておられます」


 周りを見渡してから、タクミは続けた。


「ただ……たとえここで皇帝陛下がお認めになられても、この国の大臣や有力貴族達は決してお認めにはなりますまい」


 その言葉に、謁見の間が水を打ったように静まった。図星を突かれた文官や貴族たちが互いに目配せし、誰が最初に口を開くかを牽制し合っている。


 皇帝はふんと鼻を鳴らした。


「当然であろうな。余とて同じ立場なら認めん」


 あっさりと肯定した皇帝に、文官の列から悲鳴にも似たざわめきが上がる。しかし皇帝はそれを片手で制した。顎髭を撫でながら、値踏みするようにタクミを見る。


「だが、認めたくないからこそ聞いておる。お主、何を企んでおる? 姫の前での振る舞い、この場での度胸、ただの腕自慢ではあるまい」


 老獪な皇帝だった。感情論ではなく、政治的な駆け引きとしてタクミの真意を探ろうとしている。ここで下手な策を口にすれば即座に叩き潰されるだろうし、かといって沈黙すれば器が知れると見なされる。


 リーズレットは横で拳をぎゅっと握りしめ、タクミがどう出るかを固唾を飲んで見守っていた。


「私自身が実力をもって、皇帝陛下が姫の結婚相手として相応しいとお認めになるだけの実績をあげるしかないでしょうな」


 実績。つまり言葉ではなく行動で示すという宣言だった。謁見の間に居並ぶ者たちがざわつく中、皇帝だけが静かに目を細める。


「具体的に申せ。何をもって実績とする」


 この問いは試金石だった。曖昧な答えでは皇帝は首を縦に振らない。かといって無謀な要求をすれば自滅する。絶妙な匙加減が求められている。


 リーズレットは横から口を挟もうとしたが、ぐっと堪えた。これはタクミ自身が切り開くべき道だと理解しているのだろう。唇を噛んでじっと見守っている。


 沈黙が長くなったと判断したのか、皇帝は助け舟とも罠ともつかない言葉を投げた。


「一つ提案してやろう。帝国北東に広がる大樹海――古来より亜人の蛮族が跋扈し、幾度となく討伐軍が送り込まれては返り討ちに遭ってきた地だ。来月、新たな討伐軍を編成する予定があるが、指揮官がまだ決まっておらん」


 大樹海。鬱蒼と生い茂る深い森に巣食う亜人の蛮族たちが交易路を脅かし、過去に送り込まれた討伐軍はことごとく壊滅してきたという、帝国軍の上層部ですら手を出しあぐねる難題だった。文官たちの顔色が一斉に青ざめたのがその証拠だ。


「じ、樹海の亜人共か……」 「あそこに足を踏み入れて生きて帰った者など、この十年で片手で数えるほどしかおらぬというのに……」 「あんな人ならざる化け物共を相手にせよと……?」


 誰からともなく漏れた囁きが、謁見の間にさざなみのように広がっていく。人語を解さず、獣のような咆哮と共に襲いかかってくるという亜人の蛮族――その存在は、帝国の民にとって単なる「敵」ではなく、得体の知れない恐怖そのものだった。


 皇帝はにやりと笑った。老狐の笑みだった。


「見事成し遂げれば、姫の伴侶として不足なしと余が太鼓判を押してやろう。……ただし、失敗すれば」

 皇帝は言葉を切った。「失敗すれば」の先をあえて言わない。言わずともわかる。帝国中の笑い者となり、姫との婚姻は永久に潰える。


「承知致しました。蛮族討伐の指揮を取りましょう」


 一呼吸おいて。


「但し!」


 その一言で謁見の間の空気が変わった。皇帝の口元から笑みが消え、文官たちが息を呑む。条件付きの承諾。それは臣下の態度としては不遜の極みだが、東方から来たこの男に帝国の礼儀を説いても始まるまい。


 皇帝は目を細め、顎をしゃくった。


「申してみよ」


 聞くだけは聞いてやるという姿勢だった。だがその眼光には、くだらぬ要求なら即座に斬り捨てるぞという威圧が込められている。


 リーズレットはタクミの横顔をちらりと窺った。「但し」と切り返した男の次の言葉が気になって仕方がない。不安と期待が入り混じった複雑な表情で、無意識に半歩だけタクミに近づく。


 皇帝の指先が玉座の縁をとんとんと叩いた。


「余は気が短いぞ、東方の若造」


「蛮族討伐は、姫にもご同行していただきます」


 謁見の間が凍りついた。


 ――このまま討伐を引き受けても、人知れず消されて、蛮族に殺されたと発表されることになるだろう。


「剣闘試合の優勝者は姫と結婚するはずだった。しかし不運にも蛮族討伐中に命を落とした……というシナリオは、ごめんです」


 タクミが放った言葉は、皇帝への不信を公然と突きつけるに等しかった。文官の何人かが椅子から腰を浮かせ、武官の一人が剣の柄に手をかける。


 長い沈黙。玉座の間に燭台の炎が揺れる音だけが響いた。


 やがて皇帝が口を開いたとき、そこに怒気はなかった。むしろ、感心とも苦笑ともつかない響きがあった。


「……ほう」


 たった二文字。だがその声には重みがあった。図星を刺された人間の反応を、この老人は巧みに隠してみせている。


 ゆったりと背もたれに体を預けた。


「つまりお主はこう言いたいわけだ。討伐を受けたところで、姫と引き離され、蛮族の手にかかったふりをして消されるのがオチだと」


 否定しなかった。「そんなことはない」と言わなかった時点で、その可能性を皇帝自身が考慮していたことが露呈している。


 リーズレットは目を見開いた。


「お祖父様、まさか……」


 皇帝は娘を一瞥した。


「黙れ、リーズレット。余は今この男と話しておる」


 その一言が全てを物語っていた。可能性があったのだ。皇帝の中で、あるいはその側近の中で、「邪魔者は消す」という選択肢が確かに存在していた。リーズレットの瞳が怒りと悲しみで揺れたが、祖父の威光の前に口をつぐむしかない。


 タクミは皇帝を見つめて続けた。


「もちろん、ご同行頂くからにはこの命に代えても姫をお守り申し上げます。……しかし、姫の実力であれば屈強な蛮族にも引けを取らないことは、この国の人間であれば皆知っているでしょう」


 タクミは巧妙だった。リーズレットの同行を要求しつつ、同時に彼女の実力を皇帝に認めさせることで、暗殺の口実を一つ潰している。姫を連れて行くということは、姫を危険に晒すということ。仮にタクミだけを消そうとしても、リーズレットが隣にいれば刺客ごと斬り伏せられる。そして何より、姫に傷一つでもつければ刺客自身の首が飛ぶ。


 皇帝はしばし目を閉じた後、低く唸った。


「……小賢しい男よ」


 だがその口調には不快さよりも愉悦が混じっていた。この若造、ただの蛮勇ではない。政治を知っている。皇帝はその事実を正確に読み取っていた。


 目を開き、じろりとリーズレットを見た。


「リーズレット。お前、この男と一緒に北の地獄へ行く気はあるか」


「もちろんです、お祖父様。私を倒した男の戦いぶりを間近で見られるのです。これ以上の喜びがありましょうか」


 一瞬の躊躇もなかった。皇帝ははぁ、と深く息を吐いた。もはや何を言っても無駄だと悟った祖父の顔だった。


 傍らの侍従長に目配せする。侍従長が震えながら羊皮紙を広げた。


「よかろう。蛮族討伐軍の指揮権をタクミに与える。編成は一ヶ月以内に完了させよ。……そしてリーズレット、お前も同行を許す」


 謁見の間にどよめきが走る。だが皇帝はそれを手を上げて制した。


「ただし一つ条件がある」


 老人の目がぎらりと光った。


「何なりと」


 にぃ、と口角が吊り上がる。老人の笑みとは思えぬ邪悪さだった。


「討伐が成功した暁には、姫との婚姻を認めてやろう。……だが、失敗した場合」


 皇帝が立ち上がった。老体とは思えぬ威厳が謁見の間を満たす。


「リーズレットは、サングリア公爵家に嫁がせる」


 リーズレットの顔が真っ青になった。


「な……っ! あの家に!? 冗談ではありません!」


「冗談ではない。帝国法に基づく正式な勅命とする」


 帝国法第七条。姫の婚姻は皇帝の裁可による。つまり皇帝が決めれば覆せない。五年間、剣闘試合という抜け道を用意していたからこそリーズレットは自由でいられたが、その道をタクミに提示した今、もう逃げ場はない。


 座り直しながら、皇帝は言った。


「どうする、若造。命を賭けるか、それとも尻尾を巻いて東方へ帰るか。好きな方を選べ」


 究極の二択だった。成功すれば栄光と姫、失敗すれば全てを失う。


「リーズレット、檻から抜け出したくはないのか?」


 小声で、リーズレットにしか聞こえないように囁く。


 その囁きに、瞳が大きく見開かれた。檻。まさにその通りだった。帝国最強の騎士という称号は、裏を返せば帝国という檻に繋がれた鎖に過ぎない。祖父の許可なく婚姻もできず、自分の意思で相手も選べない。どれほど強くとも、どれほど美しくとも。


「……抜け出したいに決まっているでしょう」


 小声で返す唇が、わずかに震えていた。それは、帝都に轟いた常勝の姫騎士の言葉ではなかった。帝国建国以来最強と謳われる姫騎士の鎧が一枚剥がれ、その下にある二十一歳の女の素顔が覗いている。


 リーズレットはタクミの手をきゅっと掴んだ。無自覚の仕草だった。


「でも……失敗したら、あなたが死ぬだけじゃない。あの家に……」


 想像しただけで鳥肌が立ったのか、リーズレットは小さく身震いした。


「……勝てるの? その蛮族たちに」


 揺れる瞳の中に、覚悟と恐怖が同居している。


「リーズレット! 俺に着いて来い!! 皇帝に宣言しろ!!!」


 謁見の間が震えた。タクミの声が石壁に反響し、燭台の炎がびりびりと揺れる。皇帝も、文官も、武官も、全員が目を丸くしていた。


 びくっと肩が跳ねた。しかし次の瞬間、リーズレットの瞳に火が灯った。あの試合で見せた獣の目。追い詰められた時にだけ浮かぶ、戦う者の本能だった。タクミから手を離すと、一歩前に出る。


 背筋を伸ばし、聖剣の柄に手を添えて、謁見の間全体に響き渡る声で告げた。


「皇帝陛下! リーズレット=ヴァレンタイン、ここに宣言いたします! このタクミこそ、私が五年間待ち続けた唯一の男。彼が大樹海の蛮族を討ち果たすその時まで、私の全てはこの男と共にあります。そしてもし失敗した暁には……潔くこの首を差し出しましょう!」


 文官が一人椅子から転げ落ちた。「不本意な相手と結婚させられるくらいなら死を選ぶ」という、ある意味リーズレットらしい極端な宣言だった。


 皇帝は口が半開きのまま固まっていた。長年の治世で培った鉄面皮が完全に崩壊している。


 タクミはリーズレットの頭を撫でた。


「よく言った」


 やがて再起動した皇帝が咳払いをした。


「……もうよい。話はまとまった。一ヶ月後、北方へ出立せよ。編成は任せる。……以上だ」


 追い出すような口調だった。これ以上この二人に好き勝手させたら胃に穴が開くとでも言いたげな老人の顔。衛兵たちがそそくさとタクミとリーズレットの退出を促し始める。




 謁見の間を出て、城の回廊を歩く二人の足取りは、行きよりもいくらか軽かった。窓の外はすっかり夜の帳が下り、帝都のあちこちに祭りの灯りが揺らめいている。


「まさか本当に討伐まで引き受けるとはね……。しかも私を巻き込んで」


「俺を一人で行かせて、後ろから刺されるよりはいいだろう」


「否定できないのが悔しいわ」


 軽口を叩き合いながら回廊を進んでいると、前方の柱の陰から、見覚えのある人影が飛び出してきた。


「待てッ!!」


 城の使用人に見咎められることもなく城内に入り込んでいたのか、乱れた身なりのコニャックだった。金髪を振り乱し、目は血走っている。礼服のボタンが一つ弾け飛んでいた。


「リズは俺のものだ! 出自もわからぬ野良犬に渡してなるものかッ!」


 心底うんざりした顔で、リーズレットが額を押さえる。


「……また来たの、あなた」


 コニャックはタクミを睨みつけたまま、なおも喚き続けた。


「聞いたぞ、蛮族討伐だと!? 失敗すればお前の首が飛ぶそうじゃないか! いい気味だ、そのまま樹海の奥で野垂れ死ね!」


「あら、耳が早いのね」


 リーズレットは冷ややかに一瞥をくれると、一歩、コニャックに向かって進み出た。その目には、先ほど謁見の間で見せたのと同じ、揺るぎない光が宿っている。


「ちょうどいいわ。陛下に宣言したことを、あなたにも聞かせておく」


 背筋を伸ばし、堂々とした声で告げた。


「このタクミこそ、私が五年間待ち続けた唯一の男よ。討伐が成功しようが失敗しようが、私の心はもう決まってる。あなたに付け入る隙なんて、最初からどこにもないの」


 コニャックの顔から、みるみる色が抜けていく。


「な……そんな、馬鹿な……僕は五年前からずっと……!」


「五年も付きまとって、一度も私に勝てなかったでしょう。いい加減、現実を見なさい」


 正論がコニャックの胸を抉った。ぐふっと呻きを漏らし、よろよろと後退る。


「あの男が蛮族討伐に失敗すれば、僕にもまだ……」


「失敗なんてしないわ。蛮族討伐には私も同行するのだから」


「な……っ、お前も蛮族の巣に行くだと!? 正気か!?」


 コニャックの顔から怒りが引っ込み、代わりに焦りが色濃く浮かんだ。憎々しいはずの相手への敵意より、リーズレットの身を案じる本能のほうが勝ったらしい。


「危険な場所なんだぞ! もし何かあったら……」


「あら、心配してくれるの? 柄にもない」


 リーズレットは意外そうに目を瞬かせたが、すぐに不敵な笑みを浮かべた。


「大丈夫よ。腕には自信があるもの」


 タクミが横から口を挟んだ。


「お前も来るか、コニャック」


 思いがけない誘いに、コニャックは呆気に取られたように固まった。


「な……何を言って……」


「本当に姫を想っているのなら、遠くから吠えているだけでは何も変わらない。自分の目で、姫の隣に立つ資格があるかどうか確かめてみればいい」


 挑発とも本気ともつかない物言いに、コニャックは屈辱と困惑がないまぜになった顔で立ち尽くした。


「……っ、覚えてろよ……絶対に、後悔させてやるからな……!」


 捨て台詞を残し、コニャックは覚束ない足取りで回廊の闇へと消えていった。


 その背中を見送りながら、リーズレットは小さく息を吐いた。


「ふう……。相変わらず疲れる男」


 タクミは苦笑しながらリーズレットの手を取り直す。


「北方遠征の準備で、しばらくは忙しくなるな」


「望むところよ」


 夜風に金の髪をなびかせながら、リーズレットは不敵に笑った。その横顔には、これから待ち受ける困難への恐れよりも、檻の外に踏み出す高揚が色濃く滲んでいた。

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― 新着の感想 ―
古き良きRPGみたいな展開でいいね(・∀・)
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