第11話「その討伐は、正義なのか」
空いた茶器を、ハンナが下げていった。
扉が閉まると、タクミは席を立ち、壁に掛けられた地図の前へ歩み寄った。帝国北東部の広域図である。しばらく無言で深緑の一帯を眺めてから、振り返る。
「――さて。ここからが、本題だ」
その声に、ガルムは太い腕を組み直し、カティアは椅子の上で背筋を伸ばした。リズもまた、タクミがどう切り出すつもりなのか、横顔にわずかな緊張を滲ませて見守っている。
「今回、俺たちが受けた依頼――その討伐の相手は、大樹海に棲む獣人だ」
その一言に、広間の空気が変わった。
「なんじゃと……?」
ガルムが、太い眉を跳ね上げた。獣人が相手だとは、依頼を受けた時点では聞かされていなかったのだ。
そして――カティアの反応は、それ以上だった。
琥珀色の瞳が、かっと見開かれる。椅子を蹴倒す勢いで立ち上がり、テーブルに両手を叩きつけた。ネコのそれに似た耳が、ぴんと逆立っている。
「――獣人の、討伐だと!?」
その声には、抑えきれない怒りが滲んでいた。
「あたしたちを、狩るっていうのか。あんたたちは、それに加担するのか!?」
「落ち着け、カティア」
タクミは、静かな声で制した。その落ち着きが、かえってカティアの激昂を押し留める。
「加担するとは言っていない。俺は、この依頼には裏があると見ている」
「……裏?」
「そうだ。順を追って話そう」
タクミは、一度目を閉じ、記憶を手繰った。
「そもそも、この討伐の話が持ち上がったのは、皇帝との謁見の場でのことだ。奇妙なのは――討伐を持ちかけてきたのが、皇帝の方だった、という点だ」
タクミは、傍らのリズへと視線を向けた。
「リズ。あの討伐の計画は、俺が現れる前から、既に決まっていたものなのか?」
問われて、リズははっと何かに思い当たった顔をした。
「……そう、だわ。あれは、元々あった話なの」
リズは、記憶を辿りながら語り始めた。
「大樹海の南に、フォルクヴァルツ伯爵の所領があるの。その伯爵領や、近隣を通る街道でね……ここ最近、獣人族による襲撃の被害が、頻発してるって報告が上がってたのよ。もう、伯爵の私兵だけじゃ手に負えないって。それで、伯爵から帝国軍に、正式な出撃要請が出されてたの。討伐軍の編成は、その要請を受けてのものよ」
「帝国軍が……大樹海に、入るだと?」
それまで怒りに震えていたカティアが、今度は愕然とした表情になった。
「駄目だ、そんなことをすれば……とんでもないことになる」
その声には、怒りとは別の――恐れにも似た響きがあった。
「どういうことだ。詳しく話してくれ、カティア。大樹海について、そしておまえたち獣人について」
タクミが促すと、カティアは荒ぶる息をゆっくりと整え、椅子に座り直した。そして、ぽつり、ぽつりと語り始めた。
「大樹海は……広い。あんたたち人間が思ってるより、ずっとだ」
カティアは、壁の地図の、深緑に塗られた広大な森林を見やった。
「森の外縁、人間の街に近いあたりには、あたしみたいな……人間に比較的近い獣人が住んでいる。人間の社会に混じって、狩人や冒険者をやってる者も多い。あんたたちが普段目にする獣人ってのは、大体そういう連中だ」
「だが、森の奥は違う、と?」
「ああ」
カティアの声が、低くなった。
「森の奥深くには……あたしたちとは比べ物にならない、強大な力を持った獣人族が住んでいる。獣の姿に変身する者、人間を遥かに超える寿命を持つ者、そして――魔力を操る者すらいると聞く。人間の魔法使いが珍しいなんてもんじゃない。連中にとっちゃ、魔力は当たり前の力だ」
リズが、息を呑んだ。人間では、リズのように魔法の力を扱える者は極めて稀だ。それが当然のように魔力を操る種族が、この森の奥にいるという。
「あたしみたいな、人間に近い獣人は……その領域には、足を踏み入れたことすらない。畏れ多くて、な。もし、森の奥の獣人たちの怒りに触れれば……どうなるか、あたしにも分からない」
カティアは、身震いするように、自らの肩を抱いた。それは、同じ獣人であるカティアですら畏怖する、未知の領域の話だった。
「なるほどな」
タクミは顎に手を当てたが、思案は一瞬で済んだ。迷いを長引かせる男ではない。すぐに、核心を突く問いを放った。
「一つ聞きたい。獣人というのは……人間の街を、それも集団で襲うような種族なのか?」
カティアは、間髪入れずに、きっぱりと首を横に振った。
「――ありえない」
断言だった。
「確かに、あたしたち獣人は、人間に近い者でも、体そのものは人間より遥かに強靭だ。だが、数が違う。人間に比べれば、あたしたちの数はずっと少ない。それに……あたしたちは、武器を操るあんたたち人間を、恐れてもいるんだ」
カティアは、自嘲するように、口の端を歪めた。
「一対一なら、あたしたちの方が強いかもしれない。だが、人間は数で来る。統率された軍で、武器を持って攻めてくる。そんな相手に、こっちから喧嘩を売る馬鹿がいるものか。……自分たちの領域に、人間が踏み込んでこない限り、獣人の側から人間を襲う。ましてや、街ごと襲撃するなんて――そんなこと、絶対にありえない」
その言葉には、嘘や誤魔化しの気配は微塵もなかった。ただ、真実を語る者の、静かな重みだけがあった。
「……やはり、そうか」
タクミは、目を細めた。
「街を襲うはずのない獣人が、街を襲っている。だとすれば――そこには、必ず理由があるはずだ」
その理由こそが、この一件の核心に違いない。獣人たちを、そうまでさせる何か。あるいは、そう見せかけている、誰かの意図。
すると、それまで俯いて聞いていたカティアが、意を決したように顔を上げた。
「……タクミ、といったな。あんたには、話しておく。あたしが、この依頼に乗った、本当の理由を」
広間の全員の視線が、カティアに集まった。
「実はここ最近……大樹海の近辺で、獣人の子供が、消えてるんだ」
「子供が……消える?」
リズが、眉をひそめた。
「ああ。一人や二人じゃない。何人もだ。ある日突然、姿を消して、二度と戻ってこない。攫われてるんじゃないか、って噂が、獣人たちの間で、密かに広まってる」
カティアの拳が、膝の上で固く握られた。
「あたしは……その真相を、突き止めるつもりだった。だから、大樹海に向かう口実が欲しかった。あんたたちの依頼は、あたしにとっちゃ、渡りに船だったのさ」
消える子供たち。襲うはずのない獣人による、街の襲撃。伏せられた討伐依頼。一つ一つは断片的だが、それらが不気味に絡み合い、何か大きな闇の輪郭を、朧げに浮かび上がらせていく。
その時だった。
「あ、あの……」
広間の入口で、遠慮がちな声が上がった。新しい茶を運んできたハンナが、盆を抱えたまま扉のところで立ち尽くしていた。いつから聞いていたのか、その顔は紙のように白い。
全員の視線が集まると、彼女は怯えたように身を縮めながらも、意を決したように口を開いた。
「差し出がましいこととは、存じますが……その、獣人の方が消える、というお話で……思い出したことが、ございまして」
「構わない。話してくれ」
タクミが促すと、ハンナは躊躇いがちに続けた。
「わたし……この屋敷に上がる前は、とある伯爵様のお屋敷で、働いておりました。その……フォルクヴァルツ伯爵様の、お屋敷で」
その名に、リズがはっと反応した。先ほど、獣人襲撃の被害を訴え、討伐を要請したという、あの伯爵だ。
「あるとき……お屋敷の、地下の方から、見慣れぬ荷馬車が出入りしているのを、見かけたのです。夜更けに、こっそりと。それで……ある晩、たまたま、その荷台を、見てしまって……」
ハンナの声が、震えた。
「檻の中に……縛られた、獣人の方が……何人も、押し込められて、いたんです。子供も、いました。皆、ぐったりとして……とても、正気とは思えないご様子で……」
広間が、水を打ったように静まり返った。
「わたし、怖くなって……何も見なかったことにして……ほどなく、暇をいただいて、お屋敷を出たのです。ずっと、心のどこかに、引っかかっては、いたのですが……」
ハンナは、俯いて唇を噛んだ。真実を口にすることへの恐怖と、良心の呵責。その両方が、彼女の華奢な肩を震わせていた。
「――そういうことか」
カティアが、ぎりりと歯を鳴らした。琥珀色の瞳に、怒りの炎が灯る。
「伯爵の屋敷に、攫われた獣人が……子供が、囚われていた。獣人が消える噂と、伯爵の屋敷。……繋がったじゃないか」
「待って、待ってよ……」
リズが、こめかみを押さえた。頭の中では、今しがた並んだ謎をもう一度整理し直そうとしていたが、考えるほどに糸はもつれ、まとまる気配がなかった。
「じゃあ、何なの。獣人を攫っていたのは、被害を訴えてた伯爵自身だっていうの? 被害者が、加害者? わけがわからないわ……分からないことだらけじゃない……」
「焦るな、リズ」
タクミが、静かに言った。その声だけが、混乱する広間に、一本の芯を通す。
「一つずつ、解きほぐしていけばいい。今、はっきりしているのはこうだ。この討伐には、表向きの理由とは別の、隠された真実がある。そして、その鍵を握る一人が、フォルクヴァルツ伯爵だ」
タクミは、テーブルの上で指を組んだ。
「だが、いきなり伯爵の尻尾を掴むのは難しい。……そもそも、俺がこの任務を引き受けたのは、あくまで成り行きだ。だが、討伐軍の編成計画そのものは、俺が現れるより前から、練られていたはずだ」
タクミの目が、鋭く光った。
「その、当初の作戦計画の中身を、まず調べる必要がある。誰が、どういう名目で、どれだけの兵を、どこへ動かそうとしているのか。それが分かれば、この絵図を描いた者の狙いも、見えてくるはずだ」
「作戦計画……どうやって調べるの?」
「簡単だ。作戦を実行する、当の指揮官に会えばいい」
タクミは、リズを見た。
「編成が決まれば、必ず現場を預かる者が立てられる。その人間なら、少なくとも自分が何をさせられようとしているかは知っているはずだ」
表向きは樹海の蛮族討伐とされた今回の依頼にどのような裏があるのか、まだこの時は知る由もなかった。




