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最強の姫騎士と、見えない糸で結ばれた異国の王子  作者: 旭屋綉
第1部 ヴァレンタイン帝国編 第1章

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第10話「真の仲間は、金で転ばぬ」

 それから、二日が過ぎた。


 その日もまた、朝の穏やかな時間だった。メイドが、来客を告げに来る。


「タクミ様。お客様がお見えです」


 今度は誰か、と玄関へ向かうと、そこに立っていたのは見慣れた巨躯――ガルムだった。だが、その隣にはもう一人、見慣れぬ人影がある。


「よう、タクミ! 邪魔するぞ……って、うおっ!? なんじゃこの立派な屋敷は! 城の目の前の一等地たぁ聞いとったが、想像以上じゃのう!」


 ガルムは屋敷を見上げ、素っ頓狂な声を上げた。それから、その隣に立つ人物へと、タクミの視線が向く。


 すらりとした長身の、若い女だった。フードを目深に被っているが、その頭からは――ぴょこりと、獣の耳が覗いている。ネコのそれによく似た、三角の耳。腰のあたりには、しなやかな尻尾が揺れていた。背には、自分の身の丈ほどもある長弓を負っている。


 獣人だ。ギルドの受付が言っていた、あの――。


 そのとき、また例のごとく、二階から軽い足音が近づいてきた。


「もう、朝から騒がしい……って、今度は誰なの……」


 寝ぼけ眼のリズが、またしても寝間着姿のまま、ひょっこりと階段に姿を現した。


「なっ……」


 今度はガルムが、思わず目を逸らす番だった。歴戦の戦士も、さすがに姫君の寝乱れ姿には目のやり場に困るらしい。だが、そこは百戦錬磨、すぐにニヤリと下品な笑みを浮かべてみせた。


「ほほう? こりゃまた……昨夜は姫さんと、随分お楽しみだったようじゃな、タクミ!」


「なっ……ち、違っ……!」


 自分の格好に気づいたリズの顔が、朝日よりも赤く染まった。


「ち、違うわよ! ガルム、あんたも出ていけぇ――ッ!!」


 二日前とまったく同じ叫び声を残して、リズは再び二階へと駆け上がっていった。ぱたぱたという足音が、どこか可愛らしい。


「がっはっは! 相変わらず元気じゃのう、姫さんは!」


 ガルムは豪快な笑いが屋敷に響いた。




 しばらくして、身なりを整えたリズが、仏頂面で下りてきた。


「……で? 朝っぱらから何の用なの、ガルム」


 むすっとしたまま問うリズに、ガルムは傍らの獣人の女を手で示す。


「おう、そうじゃった。こいつを紹介しに来たんじゃ。カティア、っていう。腕利きの獣人の狩人でな。今回の依頼に、参加してくれるそうじゃ」


「よろしく」


 カティアと呼ばれた女は、フードを外し、短く挨拶した。琥珀色の瞳が、鋭くこちらを見据えている。人懐こさはないが、その立ち姿には、歴戦の手練れだけが持つ静かな迫力があった。


 リズは、その紹介を聞いて、きょとんとした。


「……で、他の仲間は? ガルムが見つけてきてくれた腕利きって、まさか、この一人だけ?」


 その問いに、ガルムの豪快な表情が、ばつの悪いものへと変わった。


「……すまん、タクミ。面目ない」


 ガルムは、太い首を垂れた。その仕草に、タクミは眉を寄せた。


 この男が頭を下げるところを、見たことがなかった。剣闘試合の決勝で敗れた時ですら、この巨躯は膝をついたまま清々しく笑っていたのだ。


「何があった」


 ガルムは、しばらく顔を上げなかった。


 朝の光が、その白髪混じりの頭に落ちている。傍らのカティアは、腕を組んだまま黙って壁にもたれていた。何かを知っている顔だった。


 やがて、ガルムは低い声で言った。


「……集まらんかったのじゃ」


「集まらない?」


「一人もな」


 リズが、息を呑んだ。庭の薔薇が、朝風に揺れていた。


 広間の卓に、四人が着いた。メイドのハンナが茶を運び、静かに下がっていく。扉が閉まると、部屋には朝の光と、気まずい沈黙だけが残った。


 ガルムは、茶に口をつけなかった。卓の上で太い指を組み、しばらく何かを整理するように黙っていた。やがて、意を決したように顔を上げる。


「事情を話す。お前さんに言われた通り、ワシはギルドの腕利きどもに片っ端から声をかけた。剣闘試合の決勝まで残った連中にもな」


 ガルムは、太い指を折り始めた。


「ギルドで一番腕が立つと評判の大剣使い。二回戦でワシと当たった槍の兄弟。B級だが場数だけは誰よりも踏んどる老いぼれ。それに、東部から流れてきた双剣の女……十四人じゃ。十四人が、その場で受けると言ってくれた」


 その顔に、一瞬だけ誇らしげな色が浮かんだ。


「腕の立つ奴らばかりでな。これだけおれば、樹海だろうが何だろうが行けると思った。……一昨日までは、そう思っとったんじゃ」


 声が、そこで沈んだ。


「昨日じゃ。……昨日の朝、一人が来て、断ると言いおった」


「一人が」


「そこまでは、まだ驚かんかった。気が変わることもある。……じゃが、その日のうちに、二人目が来た。昼過ぎに三人目。夕方には、まとめて四人が来おった」


 ガルムの拳が、卓の上で固く握られた。


「夜になる頃には、十四人全員じゃ。……カティア、ただ一人を除いてな」


「全員が……?」


 リズが、身を乗り出した。


「どうして。理由は聞いたの?」


「聞いた。皆、同じことを言うんじゃ。急に都合が悪くなった、別の仕事が入った、家族が病気になった。……理由は違えど、全員、嘘と分かるような苦しい言い訳をしおる」


「そんなの、明らかに……」


「おかしい。ワシもそう思うた。じゃから、最後に来た若いのを、ワシは引き止めた。腕を掴んで、酒場の裏に連れ込んで。ただ、正面から聞いた。何があったんじゃ、と」


 彼は、目を閉じた。


「そいつは、泣きそうな顔をしとった。……そして、こう言いおった」


 声が、低くなる。


「『すまねぇ、旦那。俺だって行きたかった。……でも、あんな額を積まれちまったら、断れねぇんだよ』とな」


 広間が、静まり返った。


「金じゃ」


 ガルムは、目を開けた。


「誰かが、あいつら全員に大金を握らせたんじゃ。『今回の案件からは手を引け』とな。……一人二人ならともかく、十四人全員にじゃぞ。相当な額を、一晩で動かしとる」


 その言葉に、リズの表情がさっと変わった。


「一晩で、十四人分……?」


 彼女は、卓の上で指を組んだ。傭兵一人を釣るのに、いくら要るか。討伐の報酬を上回る額でなければ、彼らは動かない。それを十四人分、しかも即金で。


 帝都でそれができる人間は、多くない。そして、それをする理由がある人間となれば、さらに絞られる。


 リズの脳裏に、二日前の朝が蘇った。包帯だらけの身体を引きずり、門前で拳を震わせていた男。議員たちに置き去りにされ、それでも捨て台詞だけは残していった男。


 ――貴様の邪魔を、徹底的にしてやるからな。


「……コニャックだわ」


 リズが、ぎりりと歯を噛んだ。


「間違いない。あいつよ」


「あの坊ちゃんか?毎年一回戦で沈んどる?」


「そう、その坊ちゃんよ」


 リズは、吐き捨てるように言った。


「腕は立たないけど、家は帝国屈指の大貴族なの。父親は内務総監。……十四人分の金くらい、あの人にとっては小遣いみたいなものだわ」


 彼女の拳が、震えていた。


「自分では何一つできないくせに、金だけはあるのよ。剣で勝てないから、金で邪魔をする。……なんて卑劣な」


「まあ、坊ちゃんらしいと言えば、らしいがのう」


「笑い事じゃないわ!」


 リズが、卓を叩いた。


「ガルムが三日かけて集めた人たちよ。あなたが一人ずつ頭を下げて回った人たちでしょう。それを、あいつは一晩で――」


 そこで、声が詰まった。悔しいのだ。自分のためにこの男が走り回ったことも、それが幼馴染の嫌がらせ一つで無に帰したことも。


 カティアが、壁際で小さく息を吐いた。


「……あんた、いい主だな」


「え?」


「なんでもない」


 だが、タクミは――静かに笑っていた。


 その笑みに、最初に気づいたのはガルムだった。


「……なんじゃ、お前さん」


「いや」


 タクミは、顎の前で組んでいた腕を解き、人差し指だ卓を叩いた。


「一つ、聞かせてくれ。ガルム。おまえのところにも、来たんだろう。金を持った男が」


 ガルムの動きが、止まった。太い首が、ゆっくりと持ち上がる。


「……なぜ、分かる」


「十四人全員に配って、束ねているおまえだけ素通りする理由がない。……むしろ、おまえが本命だろう」


 広間が、静まり返った。


 ガルムは、しばらく卓を睨んでいた。


「――ああ。来た」


 ガルムはぽつりと話し始めた。


「一昨日の晩じゃ。他の連中より、桁が一つ多かった。……ワシが受ければ、全員が黙ってついてくると踏んだんじゃろうな」


「なぜ、断った」


「断るに決まっとろうが!」


 ガルムは、鼻を鳴らした。


「……いや、正直に言えばな。一瞬だけ、指が動いた」


 彼は、自分の手を見下ろした。


「ワシはもう若くない。傭兵稼業も、いつまで続けられるか分からん。あの金があれば、酒場の一軒でも買って、余生をのんびり過ごせる。……そう考えた」


 太い指が、ゆっくりと握られた。


「じゃが、その瞬間に思い出したんじゃ。闘技場での戦いを」


「あの時の試合か」


「そうじゃ」


 ガルムは、顔を上げた。


「ワシは負けた。何が起きたのかも分からんまま、あんたに動きを止められてな。……あの時、悔しいとは思わんかった。ただ、こう思ったんじゃ。この兄ちゃんの後ろについて行けば、何かとんでもないものが見られるかもしれん、とな」


 彼は、そこで一度、大きく息を吸った。


「五十年生きて、そう思ったのは初めてじゃった。……それを、金で売れるか」


 沈黙が落ちた。リズは、その横顔を見つめていた。この男は、報酬のために来たのではない。名誉のためでもない。ただ、この先を見たかっただけなのだ。


「ガルムには悪いが……好都合だ」


 タクミが、静かに言った。


「え?」


 リズが、きょとんとして彼を見上げる。


「考えてもみろ。コニャックは、金をばら撒いた。その結果、金で心が揺らぐ者は、皆去っていった。つまりあいつは、俺たちの代わりに、仲間の選別をしてくれたようなものだ」


 タクミは、卓の向かいに座る二人を見やった。


「もし奴が何もしなければ、十四人が揃ったまま樹海へ入っていた。……そして、最初に本当の危機が訪れた瞬間に、何人が残ったと思う」


 リズの目が、見開かれた。


「……あ」


「金で降りる者は、命でも降りる」


 タクミは、あっさりと言った。


「あの晩に降りた奴らは、樹海の奥で降りていた。しかも、逃げ場のない場所でだ。……そうなってから知るより、今知れたほうが遥かにいい」


 彼は、視線をカティアへ移した。


「カティア。おまえは、なぜ残った」


 カティアは、しばし黙っていた。やがて、腕を組んだまま、ぽつりと言った。


「……あたしのとこにも、来たよ」


 全員が、彼女を見た。


「昨日の夜だ。宿の前で、上等な身なりの男が待ってた。顔は覚えてない。……袋を出して、中を見せてきた」


「いくら」


「数えてない」


 カティアは、短く答えた。


「見た瞬間に、断ったからな」


 ガルムが、太い眉を上げた。


「見もせんで断ったんか。……なんでじゃ」


「金で動く仕事じゃないからだ」


 琥珀色の瞳が、どこか遠くを見るように揺れた。


「あたしには、あたしの理由がある。……今は、言わない」


 その声には、確かな決意が滲んでいた。


「ただ、大樹海に用があるのは、本当だ。あんたたちの依頼に乗るのも、嘘じゃない。……足手まといには、ならないよ」


「それで十分だ」


 タクミは、あっさりと頷いた。


「え、いいの?」


 リズが、思わず口を挟んだ。


「理由も分からないのに? これから命を預け合う相手なのよ」


「言いたくないことを吐かせて、それで何になる」


 タクミは、静かに言った。


「無理に暴けば、こいつは次から本当のことを言わなくなる。……語りたくない事情の一つや二つ、誰にでもある」


 カティアの耳が、ぴくりと動いた。琥珀色の瞳が、意外そうにタクミを見ている。


「それに、聞かずとも分かることはある」


 タクミは、続けた。


「金を見もせずに断った。それだけで十分だ。……理由が何であれ、この女は金より重いものを抱えている。そういう人間が、いざという時に逃げるものか」


 カティアは、しばらく黙っていた。


 やがて、ふいと顔を背けた。


「……変な奴だな、あんた」


 だが、その耳の先が、わずかに赤かった。


「リズ」


 タクミは、まだ少し腑に落ちない顔をしているリズに向き直った。


「数だけ揃った烏合の衆より、金で転ばぬ二人の方が、遥かに頼りになる。コニャックは、俺たちに最高の仲間を選り分けてくれた。……礼を言ってやりたいくらいだ」


 その言葉に、リズは毒気を抜かれたように、ぽかんとした。


 それから、ふっと、肩の力が抜けたように笑った。


「……そうね。あなたにかかったら、コニャックの嫌がらせも、ただのお膳立てになっちゃうんだから」


 だが、笑った後で、彼女はふと真顔になった。


「でも、タクミ。一つだけ気になることがあるの」


「なんだ」


「コニャックが金を出したのは、間違いないと思う。……でも、あいつ一人でそこまでやるかしら」


 リズは、指を組んだ。


「あの人、五年間ずっと私に付きまとってきたけど、やることはいつも正面からなの。試合に出て、負けて、それでも来る。……こんな、裏から手を回すような真似は、あいつの性に合わない気がする」


 タクミの目が、細くなった。


「……誰かの入れ知恵か」


「分からない。ただ」


 リズの声が、低くなった。


「あの日、あいつの後ろには貴族議会がいたわ」


 広間が、静まり返った。


 ガルムが、髭を撫でながら唸る。


「面倒な話になってきたのう」


「なるさ」


 タクミは、窓の外を見た。


「こちらが動けば、向こうも動く。……今回は金で済んだが、次はどうかな」


 その声には、警戒よりもむしろ、面白がるような響きがあった。


 窓の外では、すっかり昇った朝日が、庭の薔薇を明るく照らしている。集まった仲間は、たったの二人。だが、その二人は、どんな甘言にも、どんな大金にも揺らがなかった、真の同志だった。

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