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第七話 奈落亭の常連客、一名

 すでに日は傾いている。


 《奈落亭》の扉が開いた。


「ただいま……です」


「おう」


 リナが戻ってきた。


 ぼろぼろだった。


 革鎧は裂け、髪には泥。

 頬に傷。

 右腕を布で吊っている。


 だが、顔は笑っていた。


「ナラックさん。聞いてください」


「なんだ」


「第一階層のボスまで行きました!」


「ああ、ガルドまで行けるとは思わなかったぞ」


「えっ、何で名前を?」


「いや……以前、冒険者から聞いた」


 ――危ない。


 リナはカウンター席に座った。


「すごかったんですよ」


「何が?」


「すごい大きなオーガがいて」


「へえ」


「斧がこれくらい!」


 左腕を大きく広げる。


「へえ」


「床がドーン! って!」


「へえ」


「私もバーン! って飛ばされて!」


「へえ」


「ナラックさん。全然興味なさそうです」


「そんなことはない」


 全部見ていたからな。


「大変だったけど」


 リナは少し得意そうに笑った。


「勝ちました。たぶん」


「そこは自信を持って勝ったと言え」


「倒してはないんです」


「なら勝ってないな」


「どっちですか!」


 俺は笑った。


「よく帰ってきたな」


「……はい」


 リナの表情が少しだけ柔らかくなる。


「帰ってきました」


 俺は朝から用意してあった鍋を火にかけた。


「腹減っただろ」


「減りました!」


「今回は金を取るぞ」


「えっ?」


「商売だからな」


 リナが慌てて革袋を見る。


「でも私……」


「銅貨一枚だ」


「一枚ですか?」


「ああ。初心者割だ」


「そんなのあるんですか?」


「今、作った」


「やっぱり商売下手ですよね」


「うるさい」


 俺は器を置いた。


 白いスープ。

 鶏肉。豆。根菜。


 今回は紫ではない。


「わあ」


 リナの顔が明るくなる。


「普通の色の食事ですね」


「どういう意味だ」


「ふふっ。何でもありません」


 リナが匙を取る。

 一口。


「とってもおいしいです」


 そう言うと顔が止まった。


「どうした?」


「あの……ナラックさん」


「なんだ」


「朝のスープなんですけど」


 ぎくり。


「なんだ」


「私、毒沼で平気だったんです」


「そうか」


「でも途中で急にお腹が痛くなって」


「気のせいだ」


「まだ何も聞いてませんけど」


「それも気のせいだ」


「やっぱりあれのせいですよね!?」


「気のせいだと言ってるだろ」


「ごまかさないでください!」


 《奈落亭》に二人の声が響いた。


 俺は不思議な気分になった。


 百年前。ダンジョンには毎日何百人も冒険者が来た。


 騒がしかった。

 楽しかった。


 でも今、客は一人しかいない。


 なのに妙に悪くない。


「ナラックさん」


「なんだ?」


「明日からも来ていいですか?」


 俺はリナを見る。


「なぜだ?」


「まだ、第一階層しか見てないので」


「……」


「もっと奥まで行ってみたいんです」


 胸の奥。

 いや、俺の迷宮核の奥の何かが熱くなる。


 迷宮核。

 最深部にある、俺の命。

 誰にも触れられたことのない場所。


「そうか」


「はい」


「ならば、リナ……」


「仲間を探せ」


「仲間?」


「一人で行けるのは、ここまでだ」


 第二階層。

 迷宮は本格的に侵入者を殺しにくる。


 いや、違う。


 挑戦者を試しにくる。


「剣士が必要だ」


「え? 私、剣士ですよ」


「お前を剣士に数えるのはまだ早い」


「ひどい!」


「前衛がもう一人。あとは回復役」


「知り合いがいません」


「ここに連れてこい」


「そんな簡単に」


「酒場だぞ」


「……?」


「仲間と親交を深める場所だ」


 そう言って俺は思い出した。

 

 そうだ。


 酒場というのは、料理を出すだけの場所ではない。


 冒険者を集める場所。

 出会わせる場所。

 そして、送り出す場所だ。


 俺はそのために、ここを生やしたのだ。


「これから忙しくなりそうだ」


「私が?」


「俺が」


 リナは首を傾げた。


「リナ」


「はい」


「怪我がよくなったら、剣の振り方から教える」


「ナラックさん剣も使えるんですか?」


「……」


 ――しまった。


「昔、冒険者から聞いた」


「またそれですか?」


「うるさい」


 リナが笑う。

 俺も少し笑った。


 千年間、俺は誰かが来るのを待っていた。


 強い奴。賢い奴。勇敢な奴。

 俺を攻略してくれる奴。


 でも今は違う。


 飯を作って。傷を治して。仲間を集めて。

 失敗したら、もう一度送り出す。


 そうやって、俺自身の手で攻略者を育てる。


「面白くなってきた」


「何がです?」


「こっちの話だ」


 本日の侵入者。一名。

 第一階層突破者。一名。

 そして《奈落亭》の常連客。一名。


 この先どうなるかは、まだ分からない。


 ただ、この一人を育て続ければ、いつか俺の酒場に……


 変人。天才。落ちこぼれ。英雄。魔族。


 そして、俺自身を殺せるほどの冒険者まで引き寄せるかもしれない。


 そんな予感がした。


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