第六話 自分でできたって言えることが欲しかった
第一階層守護者、《剛腕》ガルド。
この迷宮においては、浅層も浅層。
入口を守る程度の魔物だ。
だがそれは、あくまで俺の基準である。
『ガルド』
「何でしょう」
『殺すなよ?』
「善処いたしましょう」
『善処じゃ困る!』
「では小娘」
ガルドは俺を無視した。
「参る!」
「はい!」
『返事するな!』
俺の声は届かない。
ガルドが踏み込んだ。
速い。
巨体からは想像できない速度で、一気に間合いを詰めて。
戦斧の横薙ぎ。
『避けろ!』
リナが後ろへ飛ぶ。
遅い。
避けきれてない。
斧が革鎧をかすめる。
「バリッ」と音を立てて、胸当てが裂けた。
「くっ!」
リナは着地に失敗し、床に肩を打つ。
『ガルド! お前本気でやっただろ!』
「生きております」
リナが起き上がる。
呼吸が乱れている。
剣を握る手も震えている。
『……やめろ』
「主」
『命令だ』
「この娘を何のために、迷宮へ入れたのです?」
『……』
「守るためですか?」
『違う』
「死なせないため?」
『……違う』
「ならば、挑戦させるためでしょう」
言葉に詰まった。
正論だった。
正論なのが腹立たしい。
「主は仰った」
ガルドの声が響く。
「弱き者が死ぬだけならば、迷宮ではなく処刑場だと」
『ああ』
「ならば」
戦斧の刃が持ち上がる。
「弱き者が、試練を越えるところをご覧ください」
俺は言い返せない。
ガルドが再び踏み込む。
リナはガルドを見ている。
その目線は戦斧ではない。
足元。右足。
二撃目。
振り下ろし。
リナは横に跳んだ。
戦斧が床を砕く。
重い響きとともに石片が飛ぶと、リナの頬を切った。
「……っ」
今度は避けた。
『二回目で?』
俺はつぶやいた。
一撃目。
横薙ぎ。
二撃目。
振り下ろし。
そうか。
共通しているのは右足。
攻撃に入る直前、ガルドは右足を半歩前に出す。
あの巨体を安定させるための癖。
普通はそんなこと、何十合も打ち合った末に気づく。
いや、気づかない者の方が多い。
リナは二回見ただけだ。
「小娘……」
ガルドも気づいたらしい。
少し笑った。
「悪くない」
三撃目。
右足。
リナが動く。
戦斧が来るより先に。
左へ。
斧が空を切る。
「避けれた!」
リナの声は、自分でも驚いているように上ずっていた。
「……分かったかも」
小さくつぶやく。
そうか。
こいつ自覚しているのか。
自分が相手を理解していくことを。
ガルドが四撃目を放つ。
避ける。
五撃目。
避ける。
六撃目。
避ける。
俺は見入っていた。
筋力は変わってない。
速くなったわけでもない。
技術が急に上がったわけでもない。
なのに当たらなくなる。
強くなったというより、正解に近づいていく。
そんな戦い方だった。
「なるほど」
ガルドがつぶやく。
「主が目をかけるだけはある」
そして構えを変えた。
『ガルド?』
「だがな」
右足を前に出さない。
「癖を読めば勝てるほど」
『やめろ』
「迷宮の守護者は甘くない!」
斧が来た。
『リナ!』
今までとは違う。
予備動作なし。
縦。
と、見せかけての。
斜め。
「くっ!」
リナが反応する。
遅い。
避けきれない。
とっさに剣を構える。
『受けるな!』
金属のぶつかりあう音が響く。
「うっ!」
リナの体が浮いた。
剣ごと吹き飛ばされる。
床を三度転がって止まる。
『リナ!』
動かない。
俺の中が冷たくなった。
状態確認。
意識――ある。
骨折――なし。
内臓損傷――軽微。
右腕――強い痺れ。
生きている。
「……はあっ」
リナが息を吐いた。
よかった。
その瞬間、俺は心から安堵していた。
『……何だ、これ』
俺は攻略者を求めている。
試練を越えてほしい。
そう思っていたはずだった。
なのにリナが倒れた瞬間、勝負なんてどうでもいいと思った。
「主」
ガルドの声がした。
「まだ続けますか」
静かな声だった。
俺に選ばせている。
ここで終わらせるか。
それとも続けさせるか。
『……』
俺は床を見た。
リナが倒れている。
剣は手から離れた。
右腕は動かない。
勝ち目などない。
終わりだ。
俺はそう判断した。
そこまでだ、と言おうとした。
そのとき、
「まだ……」
リナは動いた。
左手を床につき、ゆっくりと体を起こす。
「まだ……負けてません」
『いや負けてるだろ!』
リナは立ち上がる。
右腕は垂れたままで剣は拾えない。
ガルドが問う。
「武器も持てぬぞ」
「腕は上がらないけど、まだ手は動きます」
「それでも戦うのか」
「……戦います」
『戦うな!』
なんで冒険者という生き物は、こういうところで頑固なんだ。
だが俺は気づく。
リナはガルドだけを見ていないことに。
床。
周囲。
壁。
天井。
壊れた石。
さっきの戦闘跡。
何を見ている。
――そうか。
リナのすぐ後ろ。
床石。
わずかに色が違う。
――罠だ。
数百年前からある、踏むと壁から丸太が飛び出す。
初歩的な衝撃罠。
リナはそれを知っている。
来る途中に一度、似た罠に引っかかっている。
俺は笑いそうになった。
『そういうことか』
リナが後退する。
ガルドが歩く。
一歩。
また一歩。
リナは逃げているように見える。
ガルドにも、そう見えているはずだ。
「どうした。小娘」
「……」
「逃げるだけでは、我は倒せぬぞ」
リナは答えない。
あと三歩。
二歩。
一歩。
そしてリナは床石を踏んだ。
「む?」
壁が開く。
「今!」
巨大な丸太が横から飛び出す。
「ドォン!」と音を立て、ガルドの脇腹へ、
直撃。
「ぐおっ!?」
巨体が初めて揺れた。
「やった!」
『やった!』
リナが叫ぶ。
俺も叫んだ。
だがガルドは倒れない。
「ほう……」
ゆっくりと顔を上げ、リナを見る。
「……あ」
リナの顔から喜びが消える。
「よい手だ」
ガルドが笑った。
「だが」
戦斧を持ち上げる。
「我を倒すには足りぬ!」
「ですよね!」
リナは踵を返して走った。
『逃げろ!逃げろ!』
俺も応援する。
ガルドが歩く。
リナは走る。
左に曲がる。
狭い通路。
『……おい』
俺は気づいた。
今度は天井の落石罠。
リナはそこへ向かっている。
『こいつ』
覚えているのだ。
来る途中に、すべて見ていた。
自分が踏んだ罠だけじゃない。
避けた罠も。
魔物の配置も。
地形も。
全部が頭に入っている。
「待て!」
ガルドが一歩、一歩、追う。
リナは縄を取り出す。
『ロープ?』
朝、一本だけ残したあれだ。
リナは走りながらロープを床に張った。
「こんなもの!」
ガルドが踏み越える。
「でしょうね」
リナがつぶやく。
「何?」
ロープの先は罠の起動石に結ばれている。
「……!」
引く。
「ぬ!?」
天井が崩れ、「ドドドッ!」と岩が降りそそいだ。
ガルドの巨体が瓦礫に埋まった。
しばしの静寂。
「はぁ、はぁ……」
リナが息を切らす。
「やった?」
『ボスにそれは言うな』
俺がつぶやいた直後、
瓦礫が動く。
『言わんこっちゃない……』
埃まみれとなったガルドが出てきた。
「見事なり」
額から血が流れている。
だが、まだ立っている。
「頑丈すぎませんか!?」
「オーガなのでな」
ガルドが笑う。
リナが引きつった顔をする。
もう罠はない。右腕も動かない。剣も遠い。体力も限界。
今度こそ終わりだ。
「小娘」
「……はい」
「最後に問う」
ガルドが戦斧を床に突き立てた。
「何のために、この迷宮へ来た」
「え?」
「名誉か」
「違います」
「金か」
「……すこしは欲しいですけど」
「力か」
「それもすこし」
「何を一番に求める?」
リナは黙った。
少し考えてから口を開く。
「……悔しかったから」
「何が」
「役立たず、って言われたこと」
一昨日、こいつはパーティーを追い出された。
「お前がいると死ぬって」
リナは少し笑った。
「多分、正しかったんです」
俺は黙って聞く。
「私、本当に弱いから」
スライムにも三回殴られた。
罠にも引っかかった。
毒沼にも入った。
オーガに吹き飛ばされた。
「でも、それでも」
リナがガルドを見る。
「弱いからって」
一歩、前に出る。
「何もできないって決められるのは」
もう一歩。
「嫌だったんです!」
ガルドは動かない。
「だから、今度は」
リナは両手で拳を作った。
「一つくらいは……」
「自分でできたって言えることが欲しかった」
静かになった。
昨日、リナを見た。
俺も弱いと思った。
どうしようもない。
だが見つけた。
誰も見ていなかったものを。
迷宮適応率――測定不能。
こいつは測れない。
「そうか」
ガルドが戦斧を持ち上げた。
『ガルド……』
「案ずるな、主」
戦斧を床へ置いた。
「小娘。お前の攻略能力を認めよう」
リナが目をまたたく。
「……え?」
ガルドは壁に手をかざす。
淡い光と共に門が開いた。
「満身創痍であろう。ここを通って戻るがいい」
「どういうことですか?」
「第一階層の試練は終わりだ」
「……我は敗北を認める」
「いや、倒してないですよ!?」
「我が認めた」
「でも!」
「不満か」
「いえ!」
リナが勢いよく首を振る。
ガルドは少しだけ、笑ったように見えた。
「力では届かぬ相手に地形と罠を使った」
「……」
「迷宮においては」
ガルドが言う。
「それもまた、強さ」
俺は少し驚いた。
『いいこと言うじゃないか』
「聞こえておりますぞ」
『聞かせてるんだ』
「それと主」
『なんだ』
「この小娘」
ガルドがリナを見る。
「確かに面白い」
『だろ?』




