表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
5/20

第五話 ボスはボス部屋で待ってろ

 空気が変わった。


 リナが第一階層の中ほど、毒沼区域へ足を踏み入れた。


「……うわ」


 リナが顔をしかめる。


 目の前の通路いっぱいに紫色の沼。

 泡と強烈な臭気。


「これが……」


 俺が昨日話した毒沼。

 第一階層の名物。


 昔はくるぶしほどの深さだった。

 だが、腐食王ヴェノムスライムが四十年前に改良し、現在は腰まである。


『改めて見ると……』


 俺はつぶやく。


『ひどいな』


 誰だ、こんなものを作らせたのは。

 俺だ。


 リナは周囲を見渡す。


 迂回路はない。

 飛び移れる石はない。

 ロープを引っかける場所もない。


 ただ渡るしかない。


「うーん」


 リナが考える。


 そして靴を脱ぎ始めた。


『何でだ』


 レギンスの裾をまくる。


『いや、待て』


 荷物を頭の上に載せる。


『待て待て待て』


 そして一歩。


『入るのか!?』


「一、二、三……」


 リナは毒沼に足を浸けて数え始めた。


『お前!』


 俺はカウンターを叩いた。


『普通いきなり入るか!?』


「十……うん。何とかいけそうかな」


 紫煙が上がる。


「っ……!」


 リナの顔が歪む。


『まずい』


 耐性はある。

 だが、完全無効ではない。


 痛みはあるはずだ。

 毒も少しは入る。


 それでもリナは一歩進む。

 毒沼が膝までつかった。

 さらに進む。


 俺は気づく。


 リナは苦しそうではある。

 だが、毒は回っていない。

 普通なら三歩で足が痺れる。

 十歩で倒れる。


 俺の料理は効いている。


『よし』


 思わず拳を握る。


 リナは毒沼の中央まで来た。


 そこで止まった。


『どうした?』


 動かない。

 顔が青い。


『……まさか』


 耐性が足りない?


 俺は状態を見る。

 毒―微量。

 問題はない。


 では、なぜリナは動かなくなった。


「……お腹」


 俺はぎくりとした。


「お腹が」


「……痛い」


『紫煙茸……?』


 毒耐性は成功。

 だが、副作用を俺は考えていなかった。


『嘘だろ』


 リナの顔が青から、さらなる青へ。


「ナラックさんのスープ……」


『違う』


 俺は即座に否定した。


 聞こえてないのに。


『俺のスープは……悪くない』


 たぶん。


 リナは毒沼の真ん中で腹を押さえた。


「……帰ったら」


 つぶやく。


「ナラックさんに……聞こう……」


『聞かないでくれ』


 俺は初めてダンジョンとしてではなく、料理人としての危機を感じた。


 それでもリナは渡り切り、毒沼の向こう岸へ這い上がった。

 床に転がる。


「はあ……はあ……」


 疲労。

 微量の毒。

 腹痛。


 だが生きている。


『よくやった』


 俺は小さく息を吐いた。


 昨日のリナなら間違いなく死んでいた。

 いや、そもそも毒沼まで辿り着けなかった。


 今日、初めてダンジョンに入った。

 それだけでここまで来た。


 俺はリナを見る。


 強くない。

 まだ全然強くない。


 だが育つ。

 間違いなくこいつは育つ。


『リナ』


 俺は自分でも気づかないうちに笑っていた。


『お前なら本当に』


 俺を攻略するかもしれない、そう思ったとき、地響きがした。


『……ん?』


 第一階層の奥からだ。


 巨大な何かが、リナへ近づいている。


 俺は嫌な予感がした。


『おい。ガルド』


 通信を開く。


『オーガは出すなと言っただろ』


 返事がない。


『ガルド?』


 響き渡る足音。


 重い。


 明らかにオーガ。


 いや、普通のオーガではない。


『まさか……』


 角を曲がって現れた。


 身長三メートル。

 全身を覆う筋肉。

 巨大な戦斧。

 額に一本角。


 第一階層守護者、《剛腕》ガルド。


 俺は固まった。


『何でお前が出てくる!?』


 リナも固まった。


「……え?」


 目の前に。明らかに今までとは格が違う魔物。


 ガルドが戦斧を床へ叩きつけた。


 迷宮が揺れる。


 リナがふらつく。


「オ、オーガ……?」


「我は第一階層の守護者ガルド」


 声が辺り一帯に響く。


「えええっ?」


「小娘よ。ここから先へ進みたければ……」


『待て、ガルド』


「我を倒してみよ」


『待て!』


 俺は迷宮通信で怒鳴る。


「何でしょう、主」


『何でしょう、じゃないだろ!』


 俺は酒場のカウンターを拳で叩いた。


『お前は第一階層のボスだろ!』


「はい」


『ボスはボス部屋で待ってろ!』


「侵入者が来ないので、迎えにあがりました」


『接待みたいに言うな!』


 リナが震えながら剣を抜く。


『おい、嘘だろ』


 勝てるわけがない。

 今のリナでは、絶対に。


「主」


 ガルドが俺だけに聞こえる声で言った。


「弱者を守ることが、迷宮の役目になったのですか?」


『……』


「昨日までの主ならば」


 ガルドが戦斧を持ち上げる。


「ここで死ぬ者に興味など持たなかった」


『ガルド……』


「迷宮に挑戦する者よ……」


 構える。


「力を証明してみよ!」


 リナが剣を握る。


 逃げるべきだ。

 逃がさなければ。


 俺がそう思ったその瞬間。


 リナが一歩前に出た。


『……は?』


「ほう」


 ガルドが笑う。


『リナ……』


 逃げろ。

 そう言いたい。


 俺はダンジョンだ。


 ガルドを強制転移させることもできる。


 なのに、俺は動けなかった。


 見てしまったからだ。


 リナは全身を震わせていた。

 顔は青く、唇もこわばっている。


 怖い。死にたくない。逃げたい。


 そう訴えているように、俺には見えた。

 それでも、その目だけは別のものを追っている。


 ガルドの足。

 戦斧。

 重心。

 間合い。


 観察している。


『もしかして、こいつなら』


 迷宮適応率――測定不能。


 リナが小さく息を吐いた。


「……一回」


 つぶやく。


「一回だけ」


 剣を握り直す。


「やってみます!」


 ガルドが笑った。


「よい」


 戦斧を振り上げる。


「ならば来い」


 俺はこのとき初めての感情に直面した。


『絶対に死ぬなよ!』


 攻略してほしい。確かにそう願った。

 強くなってほしい。それも本当だ。


 だが、育てるというのは思っていたより、ずっと心臓に悪いらしい。


 俺に心臓などないはずなのだが。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ