第四話 はじめてのダンジョン
奈落の千層迷宮。
第一階層入口。
巨大な石門の前で、リナは深呼吸をしていた。
「よし」
右手で剣の柄を握る。
左手で荷袋を確認。
一歩。石門へ近づく。
俺は酒場の扉前に立ったまま、その様子を見ていた。
酒場から石門までは二十歩程度。
リナが振り返る。
「ナラックさん。行ってきます」
「おう」
「……」
「どうした?」
「普通、こういうとき何か言いません?」
「何か?」
「頑張れ、とか。気をつけろ、とか」
「頑張れ。気をつけろ」
「言わせた感がすごい……」
「死ぬなよ」
リナが少し笑う。
「そっちの方がナラックさんらしいです」
そう言って石門を押した。
◇
リナが俺の中へ入ってきた。
その瞬間、世界が変わった。
酒場の店主としての俺。
それはただの器だ。
本当の俺は。
石。土。通路。天井。扉。罠。
迷宮そのもの。
俺は意識を集中した場所で起きていることを、知ることができる。
リナが一歩進むたび、靴底が床を叩く。
その振動を感じる。
『来たか』
千年間。
数えきれないほどの冒険者を迎え入れてきた。
だが今回は、妙に落ち着かなかった。
◇
第一階層の入口通路。
壁沿いに並ぶ蝋燭が、弱々しい光をはなつ。
リナは慎重に歩いている。
千本毒針廊下。
左右の壁に、五百ずつの射出口。
千本というのは比喩ではない。
実数だ。
「これがナラックさんの言ってた……」
起動装置は床の色が違う。
入口直後だから平気だ、という冒険者の盲点をついた罠。
存在を知っていれば抜けられる。
リナは松明で照らしながら、壁、床と順番に見る。
『いいぞ。そうだ、慌てるな』
「うん。もう大丈夫そうかな」
『次は上も見ろ』
リナは上を見ない。
『上だ』
見ない。
『上だってば!』
聞こえるはずがなかった。当然だ。
次の瞬間。
天井から、「ぼてっ」とリナの頭に落ちてきた。
「きゃっ!」
とっさに飛び退く。
落ちてきたのは一匹のスライム。
青色の最弱種。
不注意からの会敵。
だが、第一戦闘の相手としてはちょうどいい。
スライムが跳ねる。
リナが剣を構える。
「えい!」
斬る。
外す。
『……』
スライムが跳ねる。
顔面に直撃。
「ぶっ!」
リナが尻もちをつく。
『何やってる!』
俺は酒場のカウンターを叩いた。
スライムが再び跳ねる。
リナが剣を振る。
また外す。
『ちゃんと見ろ!』
弱い。
分かっていたが、本当に弱い。
歴代の冒険者なら、このスライムなど足を止めずに倒す。
『剣を振り回しすぎだ』
一撃ごとに体勢が崩れる。
剣の重さを制御できていない。
スライムが、「ぽよん」と、またリナの額に当たる。
「いたっ!」
『スライムに三発も食らう奴、初めて見た!』
思わず叫ぶ。
もちろん届かない。
だがそこでリナは変わった。
「ふぅ……」
剣を構え直す。
今度は振らない。
待つ。
スライムが跳ねる。
右へ。
リナは避けた。
『お?』
スライムが床に着地して、もう一度跳ぶ。
今度は左。
リナは半歩、体をずらす。
避けた。
三回目。
スライムが跳ぶ。
その瞬間。
リナの剣が横へ小さく動く。
振り回すのではなく、軌道上に置いた。
スライムが真っ二つになって弾けた。
「倒せた?」
リナが自分でも驚いたように目を見開く。
俺も驚いていた。
最初はスライムの動きすら、追えていなかった。
それが、三度攻撃を受けたところで動きを読んだ。
『まさか……』
俺はリナを見る。
迷宮適応率――測定不能。
『これなのか?』
危機になる。
観察する。
理解する。
適応する。
驚くのは、その飲み込みの早さだ。
「やった」
リナは小さく笑った。
その笑顔を見て俺も笑っていた。
『まあまあ、やるじゃないか』
◇
そこからリナは第一階層を進んだ。
危なっかしかった。
何でも触る。
罠を見落とす。
足音を隠さない。
角を不用意に曲がる。
目の前には少し色味の違う床石。
『止まれ!』
聞こえない。
リナは踏み出す。
それを踏む。
「カチッ」と、乾いた音が鳴る。
『馬鹿!』
壁からは矢。
「えっ?」
避けられない。
肩に直撃。
『リナ!』
矢は革鎧の肩あてに刺さった。
幸いにも普通の矢だ。火や酸はない。
リナが青ざめる。
「……今の、当たったら」
『当たってるぞ』
俺は一人で突っ込んだ。
リナは矢を抜く。
床を見る。
踏んだ石。
壁の穴。
天井。
しばらく観察する。
そして次の通路。
似たような床石を見て、リナは立ち止まった。
「……これ」
踏まずに剣の鞘で押す。
「カチッ」という音。
同時に壁から矢。
「やっぱり!」
リナが嬉しそうな顔をする。
『同じだ』
俺はぞくりとした。
たった一度。たった一度、罠にかかっただけで学んだ。
◇
次、毒蛙。
一度舌で足を取られた。
二度目は距離を取った。
三度目は舌が伸びる瞬間に踏み込んだ。
次、ゴブリン。
最初は剣を受け止めようとして力負けした。
二度目からは受けない。
避ける。
崩れたところを斬る。
徐々に動きが変わっていく。
強くなったわけではない。
筋力は変わらない。
魔力もない。
剣技も雑だ。
俺は気づいた。
『こいつ……』
同じ失敗を繰り返さない。
それどころか、一度見た危険を次から利用している。
これが迷宮適応なのか。
『面白い』
久しぶりだった。
冒険者を見てこんな気持ちになるのは。
次に何をする?
この罠にはどう対応する。
この魔物なら。
この通路なら。
『来い』
俺はつぶやく。
『もっと来い』




