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第三話 商売、下手なのかも

 翌日。


 俺は開店前から、厨房に立っていた。

 正確には厨房も俺なので、立つ必要はない。

 だが酒場の店主としては、厨房に立っていた方がそれらしい。


「……これでいい」


 鍋の中で、紫色のスープがぐつぐつと煮えている。

 見た目は最悪だが、味は悪くない。


 たぶん。


 材料は《紫煙茸》。

 第一階層の毒沼周辺に自生する茸だ。

 生で食えば腹を壊す。

 大量に食えば死ぬ。


 だが、特殊な香草と一緒に煮込めば、一定時間だけ毒に対する耐性を得られる。


 昨日、リナにも少量だけ食わせている。


 今回はさらに調整した。

 毒耐性効果は四時間といったところか。

 第一階層を進むには十分だ。


「問題は……」


 俺は鍋を見下ろした。


 この色だ、紫。

 しかも泡と湯気まで紫。

 料理というより魔女の壺に入った液体である。


「食うのか、これ」


《食わせるのですか?》


 頭の中に通信の声が響く。


 第一階層守護者のガルドだ。


「ああ」


《誰に?》


「昨日来た冒険者に」


 少し間があった。


《……話しておられた小娘ですか》


「そうだ」


《死にますぞ》


「だから食わせるんだろ」


《毒を?》


「毒の耐性をだ!」


《しかし、あの娘の力量では第一階層突破は不可能です》


「分かっている」


《では、なぜ?》


「俺があいつを育てる」


《そう話しておられましたな》


「だから、オーガ二十体は引っ込めておけ。暫定措置だ」


《わかりました……しかし》


「なんだ?」


《ダンジョン自らが侵入者を育てるなど、聞いたことがありません》


「なら今日から先駆者になる」


《……》


 ガルドはしばらく黙った。


 やがて、低い声で言った。


《主は変わられましたな》


「そうか?」


《以前なら侵入者が弱くても、喜んで罠を一つ増やしていた》


「……」


 否定できない。


 前までの俺ならそうした。


 突破された、なら強くする。

 避けられた、なら見えなくする。

 解除された、なら解除できないようにする。


 そうやって、俺は俺を磨いてきた。


《弱い者は死ぬだけ。それがダンジョンでは?》


 ガルドが言う。


「違う」


《違う?》


「弱い奴が死ぬだけなら、ただの処刑場だ」


 自分で言ってから少し驚いた。

 そんなことを考えたことなど、一度もなかったからだ。


 今、俺が欲しいのは死体ではない。


 攻略する者だ。


 俺はダンジョンとして、冒険者を迎え入れ、試練を与え、それを越える者を見る。


「挑戦して、失敗して、それでもまた来る」


 俺は鍋をかき混ぜながら言う。


「次は前より進む」


《……》


「そういう奴が欲しい」


 ガルドは何も答えなかった。


 酒場の入口で鐘が鳴った。


「来た」


 俺は通信を切った。


    ◇


「……はあ、はあ、お、おはようございます」


 リナは昨日よりも少し早い時間に来た。

 息が上がっている。


 格好は変わらない。


 ただし、


「何だ、その巨大なものは」


「家でばっちり準備してきました」


 リナは誇らしげに言った。


 背中には、本人の半分ほどある荷袋が見える。


「何が入っている?」


「ロープです」


「ほう」


「予備のロープもです」


「ほう?」


「予備の予備のロープもです」


「なんでそんなにロープがいる」


「ダンジョンにはロープが必要だと聞いたので」


 誰から聞いたんだ。


「他は?」


「松明十本」


「多い」


「水筒三つ」


「多いわ」


「毛布」


「寒くはないぞ」


「あと鍋も」


「鍋?」


「現地で何か食べられるかなって」


「何を拾って調理するつもりだ」


「だめですか?」


「だめではないが……」


 俺は荷袋を見る。


 どう考えても重い。


「背負って歩けるのか、それ」


「大丈夫です」


 リナが笑った、その瞬間。

 荷袋が後ろに傾いた。


「あっ!」


 リナごと、床にどすんと倒れる。


「……」


「……」


「荷物を減らせ」


「でも」


「一層には毒沼がある。そんなに持つと足を取られるぞ」


「そうなんですか?」


「ああ」


「ナラックさん。やけに詳しいですよね」


 ――しまった。


「昔、冒険者から聞いた」


「へえ」


 危ない。

 昨日もそうだった。

 俺はこのダンジョンについて知りすぎている。


 当然だ。


 俺自身なのだから。


 だがリナにとって俺は、ただの酒場の店主だ。

 怪しまれない程度にしておかないとな。


「荷物を見せろ」


「はい」


 俺は中身を確認した。


 ロープ三本。松明十本。水筒三つ。毛布。鍋。塩。木皿。小刀。包帯。薬草。石鹸。


「石鹸?」


「寝泊まりするときに必要かなって」


「第一階層をどんな場所だと思ってる」


「キャンプ場みたいな」


「なんで昨日の話からそうなる」


 俺は荷物を半分以下にした。


 ロープ一本。松明二本。水筒一本。包帯。薬草。小刀。


 以上。


「これくらいでいい」


「少なくないですか?」


「多いほどいいわけじゃない」


「そうなんですね」


「逃げるときに重くて走れないのも危険だ」


「たしかに……」


 リナは素直に頷いた。


「それと」


 俺はカウンターに器を置いた。


「これを食っておけ」


 紫色の液体を見たリナが固まる。


「……これを、ですか?」


「ああ」


「料理ですか?」


「見ての通り、料理そのものだ」


 リナは器を覗き込む。


 紫の泡が、ぼこっと弾けた。


「……今、なんか動きましたけど」


「動く料理もある」


「普通は動かないと思います」


「熱いからだ」


「なんか湯気も紫なんですが」


「香草の色だ」


「表面に目みたいなの浮いてません?」


「きのこだ」


「きのこって目ありましたっけ」


「細かいことを気にするな」


 リナはひきつった顔で俺を見る。


「本当に食べないと駄目ですか?」


「駄目だ」


「どうして?」


「今日のおすすめ料理だからだ」


「それだけ?」


「それだけだ」


 本当はお前が毒沼で死なないためだ。


 だが言えない。


 毒沼があることは、さっき話した。

 

 問題は、この料理がその毒に対応していると説明すると不自然ということだ。


「分かりました……」


 リナは覚悟を決めたようだ。


 匙ですくう。

 口に入れる。

 目を閉じる。

 飲み込む。


「……」


「どうだ」


 リナが目を開けた。


「意外とおいしい」


「だろ?」


「見た目があれなのに」


「料理を見た目で判断するな」


「ちょっと辛いですけど」


「香草だ」


「でも後から甘い」


「きのこだ」


「舌が少し痺れるんですが」


「細かいことを気にするな」


「細かいことですか?」


「いいから食え」


 リナは結局、全部飲んだ。


 よし。効果発動。


 俺には分かる。

 

 彼女の体内に微弱な魔力膜が形成される。

 毒耐性。


「ごちそうさまでした」


「よし」


「ナラックさん。これ、いくらですか?」


「いらん」


「また?」


「試作品だ」


「おすすめ料理なのでは?」


「おすすめ料理の試作品だ」


「昨日も試作品でしたよね」


「うちは試作品が多い店なんだ」


「……」


 リナがじっと俺を見る。


 ――しまった。

 ――怪しまれたか。


「なんだ?」


「もしかしてナラックさんって……」


「商売、下手なのかも」


 俺は黙っていた。

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