赤狐令嬢を巡る白鼠と蛙のミッションEx ③ ――The Angry Fools Before the Wasp Swarm――
言い切った、じゃないだろ!?
頭の中をじかに駆け抜ける反論。舌打ちを幾つもひっ付けた喧さとともに、血相を変えた笙真の顔がぐっと近くなった。
胴に回されたやつの両腕を、冷たくて気持ち良い――俺がそう覚えた途端「違うよ! 君たちが熱いだけ!」、いつの間にか頬骨の上に立っていた、白鼠姿の笙真から捲し立てられる。
るせぇな⋯⋯。ぎゃんすか⋯⋯ 小鳥みてえ⋯⋯
耳元に突き刺さる、甲高い鳴き声。本当に耳障り。そんな思いで内心毒づいた俺に、すぐさま戻ってきたのは人間の態をしたのとそうじゃない方、二人分の彼の怒号だった。
「うるさくするに決まってるでしょ! リベの格好のまま大怪我したポーリャちゃんが最悪なんだよ!」
しかも! よりによってボクの目の前で!! 馬鹿なの!?
「いいや、絶対に馬鹿だね。馬鹿に決まってる。どうして僕を庇――ねえ、昴。君ってばさ、なんでそう馬鹿なことばっかり、いっつもいっつも――覚めたらお説教なんだからね。覚えてなよ――よーく似てる。やっぱり父娘だよな⋯⋯。ししょーと小鳥ってさ――怒り方そっくりだもん⋯⋯⋯⋯あっ、こら!」
夢の中だからって死なないって、君が豪語したんだろ?
これじゃあ、まるで⋯⋯
「べつに、そうまとう、うかべてなんて」
「浮かべてるって自白と実質一緒だし、それ」
どちらからなのか、よくわかんねえ“呆れ声”。同時に、ぺちん、ぺしんっ!と、鼠の前足と尻尾か? 頬を張られたっぽい。小さな痛み。
連れ立つような、その二つ。その叱責がちゃんと痛かったおかげで、今にも茹だりそうだった俺の意識に、一瞬、芯が通う。
「笙真君、俺⋯⋯」
「落ちなよ。僕が支える」
ともすれば、しがみつくみたいな、もはや皆目見当も付かない――彼の脚のどこかには違いないはずだ、たぶん――デニムの生地に爪を立てていた俺の手首が、鼠の前足でもって、ぎゅっと引かれた。
とっくに儘ならなくなっていた、膝と背中。その裏側。差し込まれた、やつの両手。 スッとうつろになりかけた胸底。齎される心地良い浮遊感。腹の上に置かれたEAPから傷口へ流れ込む、薄荷めいた冷たさとほんのちょっとの重み。
そいつを、
COOL。
ぎりぎりで噛み潰した口角を最後に、レベッカと彼をサシにさせるのが心配で、悪足掻きを続けたがっていた、俺のいじが完璧に解ける。
◇
「意地? それを言うなら意識でしょ? ま、別に維持でもいいけど。⋯⋯どうせ、昴が起きてたら、ややこしくなるだけだし」
確かめるように付け足した、僕の嫌味に、返事はなかった。代わりに戻ってきたのは、心をざわつかせてくる、微かな身動ぎと、頭上からの「よくない。だって、リベのせいよね?」、そのたった二つ。
ハッと見上げれば、見てられないくらい泣き腫らしたリベの片目と、またしても視線がぶつかっていた。
僕が最後に見た彼女と、同じ子だなんて思えないほど顔貌が変わってしまっているのに、瞳の色だけは疑いようがなかった。あの日渡しそびれた、ベゴニアの花束。その黄緑によく似た僕の大切な、
「⋯⋯笙真君は、やっぱり綺麗なままのリベがいいんだ」
「違う!」
「違わないもん」
「違わなくない!!」
何一つ取り繕えないまま僕が口走った、二度目の強い否定。リベが即座に答えた。
「ううん、違わないわ。だって、」
ゆっくり首を振りながら、言う。
「リベのせいだもん、全部」
全部? それってどういう――
尋ねるより速く鋏が奔った。そこにいたはずのリベの姿がまたたく間に掻き消える。
さっきの小さいリベが消えたのと同じだ⋯⋯! 思うけれど、追い縋るには、僕の手は、さっきまで僕の膝下にしなだれていた、|ポーリャちゃんの《五歳のリベそのものな、》肢体を抱えるだけで、疾うに目一杯。
抱え直した拍子、髪の生え際を濡れそ
ぼらせていた脂汗が、リベの《鋏》で切り裂かれたばかりの僕の手首へと、じっとりと居場所を移してきた。
熱い。
沁みて、すごく痛い。
なのに冷たい。目をやれば、ポーリャちゃんの額も、頬も、乾いて土気色になった唇の端も、夢の外側を意識した僕の心に従ってか、あからさまな汗まみれへと、変わっていた。
バッテリー残が15%を切った、体温計みたいなピピッと云うアラート。やけに緊迫感に欠けるその音が、鼓膜よりもっと意識の奥底に近い場所で、ぐじぐじと渦を巻き始めたばかりの悔しい気持ちを嘲笑ってか、無神経に鳴り響いた。
リベのかたちをした、腕の中のポーリャちゃん。わずかに上がり気味になっている彼の口の端が、ほんの少しだけ、わななく。いや、そう見えた。
『夢の中だから俺は死なねぇ。――死ぬわけがない』
僕とのやりとりの間じゅうずっと鳴りっぱなしだった、繰り返し。僕の頭でまだ止まないでいるその声のしつこさをなぞりながら、からからに干上がっていた口の中で、僕の舌先がチクン。
取るに足りないくらい、小さな痛みを訴えてくる。
まったく、もうっ。
「ほんと、君ってば最悪」
あの子の姿で落ちるところが、特に。
まだ、さっきみたいな「アイツ似の黒髪黒目の方」がましだよ、「ほんとにさ!」
腕に抱えた、昴に気取られないように、秒で吐き捨てた。
“マーゴット、ポーリャちゃんは「確保」したよ。リベの熱と《鋏》は今、どんな!?”
焦りも怒気も孕んだままの声で問う。
一拍遅れで、これじゃあまるで八つ当たり。浮かぶ自嘲。
“刃表はいつものレベッカ様の色に戻られたわ。熱は、変わらずひどいまま”
⋯⋯変わらないだって!? 夢の外から戻ってきたマーゴットの平坦な口ぶりに、ぞっとなる。鼠の僕が、チラ。投げかけてくる気遣わしげな上目遣い。代替魔法素子の流量を上げて。
以心伝心に訴えかけてきた緋色の瞳に、短く、うん。そんなふうに即答した僕の全身を、身の毛もよだつような、一段とこっぴどい寒気が包みこんだ。
夢の外の白鼠が、仔狐姿のリベの頭を冷やすために、チル漬けになったまま、彼女の額に全身を押し付けている。
おんなじように、夢の内の僕自身も、リベの格好をしたポーリャちゃんにかかりっきり。
とっくのとんまに合わなくなっていた歯の根なんてまるきり無視して、
今はとにかく、この夢を冷やさないと⋯⋯!
ポーリャちゃんから聞きかじった知識だけを頼りに、ただひたすらに身を寄せた。
門歯を噛み締めている方の僕に一瞬だけ強く重なったせいで、前歯を打ち鳴らして、臍を噛むってこう云う心持ちなんだろうな。ねえ、リベ、きっとそうなんでしょう? 姿を眩ませたままの、リベのこころに耳を澄ませた。
ちきん。鋏の奏でる微かな刃音を探る。
ちゃきん。ぱちん。
かち、ん。かち、カチ、かちり、カチン。
切るための魔法が立てる、金属音めいたその音色は、途切れずに森の奥から、カチカチカチカチカチカチ――ヴぅンッ!!
雀蜂の威嚇そっくりの金切り音。
幾重にも重なって響き渡る、物騒なリピート。繰り返されるその音色を、ほんの一足飛びで薙ぎ払ったのは、明白な殺意の籠もる風斬音。
顕現と同時に肉薄する初撃。呆気なく引き千切られた僕の前髪。その幾本かを刃先に巻き込んだ彼女の鋏が、シギャギンっ! 銅色した鋏身を返す。標的にしているのは、僕の腕の中にいる五歳児姿の、ポーリャちゃん――じゃない! 後追いで認識を上書きし直した、白鼠姿のこの僕自身。
数え切れないほどの焼け色の鋏を従えて、抱えるほどの大型鋏を手に。
僕の眼前へと現れたリベは、壊れて泣き腫らした顔も、昏いメロウイエローの瞳も、隠しもせずに晒していた。
みないで。見たらKillよ。全部。
それだけを、彼女の双眸は、確実に物語っていた。




