藤堂剛の存在証明
不思議な感じだった。
俺は今、スーツを着てパーティーなるものに出席しなければならない。
サマーフェスタのイベントの関係者が集まる食事会のようなものだ。
虎ノ門のホテルのバーラウンジを貸し切って、立食ブッフェが行われる予定であった。
俺は一人で虎ノ門の駅に降り立つ。ビジネスマンが行き交う街。あまり馴染みのない場所であった。任務で一度だけ降りたことがある。……あの時のカフェは潰れてしまったようだ。
目的地へと移動をする。
田中と西園寺は別行動であった。といっても会場ですぐに合流する予定であった。
天気は雨。なんだか今日は変な気持ちだった。あのアイドル――雀燐火を見ていると昔のことを思い出してしまう。
俺は会場であるホテルの前で足を止めた。思考が定まらない。リセットをした後みたいに、何かが抜け落ちたような感覚であった。
「……そういえば、一人は久しぶりだ」
最近はずっと田中と一緒だった。どこへ行くにも田中の護衛としてついて行った。
「妙な感覚だ。何かを忘れているような……」
もう俺はリセットはできない。だから何かを忘れることなんてない。
心の奥底に引っかかる感覚。田中の記憶をなくした時のようで……、嫌な気持ちであった。
そんな想いを胸に抱えたまま、俺は会場へと向かった。
会場はとても広かった。着飾った人間が楽しそうに歓談をしている。
どうやら田中たちはまだ来ていないようだ。他に俺の知り合いがいるわけでもない。
なんだろう、やはり昔の感覚を思い出してしまう。
幼稚園の頃、中学の頃、そして、高校1年の頃……。
他のみんなは仲良く話しているのに、俺は独りぼっちでただポツンと立っているだけだった。
クラスメイトに話しかけようとしても、無視されるか嫌な顔をされるだけだった。
今が同じ状況というわけではない。俺は壁によりかかり周囲を観察する。
今があの時と同じ状況というわけではない。だが、思い出してしまう。
あの頃は、そんなことが普通だと思っていた。だが、今は違う。それは異端であり、俺が異常だったと理解できるからこそ、嫌な気持ちになってしまうんだ。
「……己を知ることは成長できたということだろう」
小さな声で一人つぶやく。
以前はこんな独り言はしなかった。
心が強くなったはずなのに……知れば知るほど、弱くなっていくような感覚は気のせいだろうか?
ふと、歓声が会場から上がった。
視線の先には堂島あやめと田中、それに西園寺がいた。
様々な人に囲まれて、歓迎を受けている。
俺の足は止まったままだ。状況は理解している。あの中に入ってはいけない。
田中は笑顔だった。大人のように、受け答えをして堂々とした姿を見せていた。
安心と同時に少し寂しさを感じられた。
田中がこちらを向いた。視線が――俺を通り過ぎた。
一瞬だけ俺は困惑した。
本来の田中だったら、笑みを浮かべてくれたり、目線を送ってくれたりするだろう。だが……、いまのは一体?
「あら、無視されたんですか? 田中さんとは大変仲が良いお友達じゃなかったんですか?」
俺の隣に立つ雀燐火。気配を消している。会場の誰もがここに雀がいることに気がついていない。
「花子……」
「……花子じゃないです。私は雀燐火です」
「ああ、そうだったな」
「田中さんのところにいかなくていいのですか?」
「いや、今はいい。それにしても花子は大きくなったな。俺が知っている花子は」
雀燐火の瞳の色が揺らいだような気がした。まるで、自我が新たに生まれてくるような雰囲気。
そして、俺の言葉を無視して歩き去ろうとする。
「……藤堂さん。あなたのドラムは悪くなかったです。いつでもうちの事務所に来てもいいですよ」
と言いながら。
なんだろう、さっきまでの嫌な気持ちが少しだけ軽くなった。
きっと誰かと話すことができたからか?
そうだ、俺は今日はスーツを着ている。昨日、島藤が用意してくれたものだ。
まだ田中にも見せていない。きっと感想を言ってくれるはずだ。
感情は表情に現れる。俺はこの数ヶ月でそれを理解した。様々な人々の表情を見てきた。
問題は残っていないわけじゃない。
俺自身、本当は誰が好きなのかまだわからない。
大切な人が沢山いた。
俺はその人達の気持ちを何度も消し去った。その罪はとても重い。
そして、今でも思う。普通じゃない俺が普通の青春をしていいのか、と。
それは誰かを不幸にしてしまうんじゃないか?
頭を振る。もう俺は昔の俺じゃない。前に進むんだ。
田中に向かって歩く。
なぜか、周りの時間がゆっくりと感じられた。今朝から感じる違和感。
それがわからない。
田中はまだ俺に気がついていない。俺は田中を見て胸がドキドキするのを感じる。それがリターンの感情の方向性の変化だと理解している。
やはり何かを忘れている。
俺は……最後に学校へ行ったのはいつだ?
俺には、幼馴染がいる。
それは、誰だ? 花園華だ――
おかしい、俺にとって一番大事な人のはずだ。なのに、俺は意識していなかった。
この数日、ほとんど話していなかった。
俺は足を止めた。思考が高速回転する。
大丈夫だ。『記憶を失くしたわけではない』
自己分析。感情の優先順位のせいで、意識が飛んでいただけだ。
深呼吸をする。花園の件は後回しだ。今は田中の護衛を――
後ろ姿の田中との距離は2メートル。意識が田中へと向かう。
田中が振り返った。
俺の目が合う。
全身の血が逆流するような感覚だった。
俺はこの視線を知ってる。
「……あ、あの、どなた……ですか?」
唇を噛みしめて、感情の衝撃を吸収する。なにか異常な事態が起こっている。それが田中の身に起きているのか、俺に身に起きているのかわからない。
叫びたい衝動を抑えて、俺は周りを観察する。
堂島あやめが俺を注意深く観察していた。その瞳は敵対者を見るそれだった。
そして、西園寺希は堂島の後ろに隠れていた。
「……失礼、人違いで、あった……」
感情を押し殺す声。大丈夫だ。慣れている。こんな不条理はいつものことだ。
もう一度だけ俺は田中を見た。その表情からは一切の好意の感情を感じられなかった。
胸が締め付けられる。
動き出しそうな身体を理性で抑える。
俺は走って会場を抜け出したのであった。
***
涙というものを知っている。俺はリセットした時に何度も涙を流していたらしい。
だが、俺を意識していなかった。
今、俺は涙というものを流したい気分だった。
その感情を消し去るために、俺は走った。
向かう先は学校。スマホで花園の連絡先を確認する。
不思議な現象が起きていた。花園の連絡先が見つからなかった。それだけじゃない。俺の友人たちの連絡先が一切見つからなかった。
嫌な胸騒ぎがしてたまらない。
意識が花園へと向かう。
俺はこの数日、花園と話していなかった。
花園は俺の大事な幼馴染だ。幼稚園の頃から一緒で、花園はリセットされても、俺を何度も思い出してくれた。
「大丈夫だ。きっと……大丈夫だ……」
俺は何度も何度も花園の名前を繰り返した。
学園の敷地内に入る。校門の近くには五十嵐くんたちが歩いていた。俺と目があっても知らない人を見る目つきだった。
道場と廊下ですれ違った。道場は俺を認識していなかった。
花園のクラスへと入る。生徒たちの視線がこちらへと向かう。花園はいなかった。
廊下の窓から中庭が見えた。花園の姿を確認できた。
俺は窓を開けて中庭へと飛んだ――
着地の衝撃をうまく殺すことができずに、凄まじい音と衝撃が身体に襲いかかる。
息が上がっている。きっと心が焦っているからだ。
俺は下を向いたままだった。
顔を上げるのが怖かった。
足音が聞こえてきた。その足音は花園のものであり、聞き慣れたものであった。
「だ、大丈夫ですか?」
その言葉に全身が身震いした。俺は力なく顔を上げた。
花園は……、知らない人を心配しているだけの表情であった。
「花園……」
「え、えっと、私のこと知ってるんですか? あ、あの……」
「い、いや、体育祭で見かけただけだ。……失礼、俺は用事が……」
花園に今の俺の顔を見られたくなかった。
「本当に大丈夫ですか? 保健室、行きますか?」
俺は言葉を出すことができなかった。
ただ走った。全力で走り続けた。
目から涙が止まらなかった。
この状況の分析をしなければいけない。だが、頭がうまく働かない。
おかしい、ほんの前日まではうまくいっていたと思っていた。
歪つだが、普通の青春を送れていると思っていた。
学園にいる誰もが俺を認識していなかった。特別クラスに生徒、前のクラスの同級生、大事な友人たち。
確認しなければいけない。だが、怖い。
俺は全ての人から忘れられているかもしれない。
バカげたことである。
だが、可能性は否定できない。
心の中で叫び声が止まらない。
そして、疲れ切った俺は……湾岸公園のベンチで力尽きるように座った。
「あれ、、こんな所でどうしたんですか?」
顔を上げた俺が見たのは――
ここからが三章本編スタート




