藤堂と南仏
匂いで人の種別が可能だ。見上げなくても誰が声をかけたかわかっていた。
頭の中では『なぜ?』という疑問符が生まれるが、ひとまずそれを無視して顔を上げた。
「俺がわかるのか? 笹身」
不思議そうな顔をしている笹身美々が俺の目の前に立っていた。
トレーニングウェアを着ている。練習の最中で――
「もちろんっす! 先輩、何を言って――」
笹身の言葉を最後まで聞くことができなかった。
焦った顔の島藤が笹身の腕を取り、後ろに下がらせる。
「笹身さん、俺の後ろにいてください。……なんだ、貴様は? ……くっ、こんなやつ界隈で見たことないぞ」
笹身を守るように立ちはだかる島藤透。
どうやら俺のことがわからないようだ。いや、それが今の常識なんだろう。むしろ、なぜ笹身が俺を認識できたのか非常に気になる所だ。
しかし、今は笹身に話しかけられる状況ではない。
強烈な殺気を当てられて、むしろ頭が冷静になってきた。
思考を高速で回転させる。
島藤の力は戦闘に特化したものだ。その生き方は戦場でしか通用しなかった。
類まれな戦闘センスと、能力によって施設の中では、正攻法で島藤に勝てる人間は誰もいなかった。
江ノ島で対峙した時のお遊びとは違う。
今の島藤は――俺を敵とみなしている。笹身を全力で守るために。
俺は喋るのをやめて、立ち上がり島藤と向かい合う。
「……笹身さん、逃げてくれ。俺の勘が告げている。こいつは……危険だ」
「ちょっと、島藤!?!? あんた何やってるの! 藤堂先輩っすよ! 先輩も怖い顔しないでほしいっす!」
その瞬間、島藤が動いた。一般人では認識できない速度。
前蹴り。
骨を砕く本気の一撃。
ほんの一瞬の出来事。俺の右手に僅かな感触。
島藤がその場で崩れ落ちた――
「……ふむ、時間がもったいなかったから手加減できなかった。強くなったな島藤」
弟のような存在の島藤がここまで強くなったことに対して、俺は嬉しい気持ちになった。
人間とは不思議なものだ。さっきまで悲しい気持ちに包まれていたのに、人と関わることによって、感情が変わる。
俺は驚いている笹身に声をかけた。
「すまん、笹身。緊急事態だった」
「や、いいっすけど……。あ、あの、どうしたですか?」
「笹身は俺のことがわかるんだな」
「もちろんっす。……私、先輩がいなかったらとんでもないクズのままでした……」
俺は一瞬だけ考える。
いま、この現状で笹身が俺を認識出来るという情報だけにとどめた方がいい。
なぜなら、笹身は一般人だ。
もしも、裏の世界と深く関わり過ぎてしまったら取り返しのつかないことになる。
――笹身が俺を認識できた。
その事実だけで十分心強い。
「いや、なんでもない。笹身、ありがとう。……いまから島藤を起こす。一旦、島藤の話に合わせてあげてくれ。というよりも、俺の存在をしばらく忘れてくれ」
「え、え?」
笹身は少しだけ考え込んだ。そして俺の顔を見る。
「わ、わかりました」
「うむ、それだけで十分だ」
といいながら、俺は島藤の腹を蹴った。島藤が飛び起きる。
咳き込みながら飛び起きる島藤。驚愕の眼差しで俺を見ていた。
「島藤、お前は笹身を守れ」
「くっ、理由がわからん。いわれなくても……」
俺が駆け出そうとした時、笹身が少し不安そうな顔で俺に言った。
「先輩……、もしかして、リセット……、もうしないっすよね……」
走馬灯のように、笹身との思い出が脳裏によぎる。
俺の後輩。師匠としたってくれた笹身。そして、身勝手な振る舞いによるリセット。
俺も笹身もあの時よりは成長した
だが、笹身はリセットされた時の辛さを身にしみている。
……、いま、俺は同じような状況だな。
花園と田中から好意を一切かんじられなかった。それが、ひどく心を痛くするんだ、
「安心しろ。俺はもうリセットに逃げない。――またな」
といって、俺はその場を走り去った。
***
人との関わりは心を強くする。
俺はもう昔の俺じゃない。
この状況を考えても仕方ない。
状況は南仏の時よりも、比較的マシだ。
あの時は……あの少女を助けるために何度も何度も何度も何度も繰り返した。
現状を受け入れろ。
俺の親しい人たちは、俺を忘れている。リセットされている状況だ。
こんなもの、ただの因果応報だ。
俺は今まで何百人の人の感情をリセットしたんだ?
――受け入れろ。
俺はリセットされた。
「なら、答えは簡単だ」
もう一度、一から始めればいい。
だから、俺は走った。田中の元へと。ホテル会場へと――
「はぁはぁ……」
息が切れるのは何年ぶりだろうか?
田中がここにいなかったら、きっと事務所か自宅だ。
そう思い、周囲を見渡したら――
何故か、田中が息を切らしながら走っていた。
何かを探していた。
俺を目があった。俺に向かって田中が走ってくる。
転びそうになりながらも、俺の前に立つ。
「はぁ、はぁ……、はぁ……」
瞳の質でわかる。田中は俺と初対面の状況だ。あの時、俺がリセットして記憶を失くしたように。
「はぁ……。あ、あの、名前、教えてください」
「藤堂剛、17歳。高校2年生だ」
「あっ、同い年じゃん! ……その、さっき会場で話しかけられて、その、あの……なんか、すっごく悲しそうな顔してたから……」
「気にするな。少し色々あっただけだ」
初めて会った時の田中だった。あのバイト先。洋食屋。
「でも、今も悲しそうな顔じゃん。……あの、また会える? えっと、変なこと言ってるけど、なんか君のこと気になるじゃん。ていうか、ほんとになんで私、走り回って探してたんだろ?」
「もちろんだ。……ほら、あそこの顔が怖いお姉さんが心配している。今は帰った方がいい」
「へへ、了解じゃん。えっと、藤堂……さん、じゃあね!」
田中はあやめの元へ去っていった。あやめは俺を警戒している。あいつの立場だったら、仕方ないことである。
角に曲がる時田中が振り返って、俺に手を振ってくれた。
「……ここから、関係を築けばいい。田中だけじゃない。花園と、みんなと……」
俺は拳を握りしめた。
第一幕終了。




