アイドルと藤堂
「うぅ……、緊張するじゃん。事務所に人が怖かったらどうしよう」
「……姉ちゃんは内弁慶だからな」
「ねえ、一緒に来ない?」
「嫌だよ。俺も仕事があるから」
千代田区一番町の閑静な住宅街にある田中家。
出かける準備を終えた私はリビングでソワソワしていた。
弟はそんな私を見かねて、そばにいてくれる。優しい子なんだよね。
「流石に時間がまずいな。姉ちゃん、もう出ろよ」
「うん……」
事務所に入ることを決めたけど、不安なことが沢山ある。何が不安なのか説明できない心細さ。
なんだろう? すごく怖いんだ。
カバンを持とうとした手が少し震えていた。抑えても、震えが止まらない。弟は見ないふりをしてくれている。
深呼吸をして立ち上がる。視線が無意識に写真立てへと向かう。
そこには私と藤堂が写っていた。ららぽーとで撮った写真。
複雑な感情が入り混じって、少しだけ自分が嫌いになりそうだった。
あの時、藤堂にリセットをお願いした。それは、私のわがままだったんだ。
だけど、もしも、あの時、リセットをお願いしなければ――
そんな邪な想いを抱いたことがある。いまは後悔していない。だって、後悔の連続が人生なんだと思うんだ。
「……人生には色んな選択肢があるんだもんね」
「ん、どうした? というか、本当に――」
「大丈夫、行ってくるじゃん!」
私は無駄に長い玄関の廊下を歩き、扉を開けた。
自分の視界に入ったのは、少し困った顔をした藤堂だった。
驚いて声が出ない私。後ろで弟の気配がした。
「剛、おはよう。今日は姉さんのことをお願いする」
「ああ、任せろ」
「ちょっと、拓哉、知ってたの!? 教えてくれないのずるいじゃん!」
「……だって、言ったら絶対浮かれるだろ? そうすると親父がウザいんだよ。『また藤堂か!』ってな」
「そ、そんなことないじゃん……」
確かに、私はお父さんに藤堂のことを話していたかもしれない。お父さんは私が藤堂の話をすると、ちょっとだけ嫌な顔をする。
そして、後で、弟に藤堂のことを聞いてくるんだ。
凄く良いお父さんだけど、少しだけ過保護なんだよね。
「……田中? 迷惑だったか? 俺は、その、あやめと知り合いであるから、なるべく一緒にいてほしいと言われて、今日は弟君に家まで迎えに来てほしいと」
「へ? あ、いや、ううん、全然迷惑じゃないじゃん! なんで藤堂がここにいるのかわからなくてびっくりしただけじゃん」
「そうか、なら良かった」
「あ……」
藤堂は笑顔だった。その笑顔がとても自然で、初めて会った時と全然違くて……なんだろう、なんて言えばいいんだろ。
その笑顔を見ていると、私の身体の震えが止まっていた――
***
「ちょっと、あなた、どういうこと? え? 確かにお願いしたわ。でも――」
神田の外れにある大きなビル。その全てが堂島あやめの芸能事務所であった。
表札は特に出ていなかった。だが、堂島やエリの匂いというものを感じ取ることができた。
田中が受付の人と話していると、あやめがやってきた。俺を見て、訝しむ顔をしていた。
「いや、島藤いわく、俺は今日からこの事務所で練習生として――」
「え?」「……そうね」
田中の驚いた声と、あやめの押し殺した声が重なった。
「ちょっと、藤堂、それってマジッ! 超嬉しいんだけど! ていうか、いつのまに? あれ、もしかしてあやめさんの推薦とか? 藤堂、カラオケうまかったもんね!」
田中が俺の横で飛び跳ねて喜んでいた。あやめは深呼吸をして心を平常心に取り戻す。
「そんなようなものよ。藤堂君に色んな経験をさせたいだけだわ。さあ、みんなに紹介をするわ。ついてきて」
事務所ビルには結構な人数のスタッフが存在していた。
感覚でいうと、表の世界の人間と裏の世界の人間が半々で混在していた。
エリの施設で見たことのあるスタッフも見かけた。しかし、俺の顔を見ると何故か身体を硬直させて、敬礼をするのであった。
受付、応接間、トレーニングルーム、などなど、このビルに芸能関係で必要な全ての要素があるようだ。
「ねえねえ、あれって希ちゃんだよね?」
「ああ。……すごいな、強者特有の圧を感じられる」
通りがかったトレーニングルームでダンスの練習をする西園寺希。
いつものほわほわした西園寺ではなかった。
他の練習生と混じって、真剣な眼差しでダンスを踊っている。それは、とても美しいと感じられる所作であり、見ていて自分も踊りだしたくなるような感じであった。
とんでもない集中力だ。学園の特別クラスに通っているということは、力を持っている可能性も考えたが――
「あの子はね、特殊な才能なんて何もなかったのよ。才能を持っているとしたら『努力』をする才能だわ」
「うん、私も希ちゃんが超努力家だって知ってるじゃん。すごいよね……憧れちゃうよ」
そんなことない、田中だって負けていない、と言いたかった。だが、言葉が口に出なかった。
なぜなら、俺は田中の過去を知っているわけではない。田中とともに人生を歩んだわけではない。
軽々しい言葉なんてとても言えない。
以前の俺だったらなんと言っていたんだ? それはどの時点での俺だ?
俺は――
「藤堂君……練習生ってどういうこと?」
あやめは小声で俺に語りかけてきた。田中は西園寺のダンスに夢中で意識がこちらへ向かっていない。
「いや、島藤と話が盛り上がって、ただの護衛よりもそちらの方が自然と田中を守ることが出来る」
「やり方は任せるわよ。でも、あなたが歌ったり踊ったりする所が想像できないわ」
「アイドルは意外と嫌いじゃない」
あやめは俺の返答に驚いたのか、目を丸くしていた。
確かに、過去の俺から考えたら、その返答は驚愕である。
いままでも何度も護衛、保護任務に着いたことがある。対象と極力接触せず、陰から守っていたことがほとんどだ。平塚の時のように、一緒に逃げることもあったが。
「あ、あの、私もあとで練習していいですか?」
田中が振り向く。その目はキラキラしていて眩いものであった。
その表情を見ていると、なぜか俺の胸がドクンと跳ね上がる。思い出すのはららぽーとでのデート。
感情が暴走する前に、俺はリターンで抑制をする。
あやめはそんな俺の背中を強く叩いた。
……なぜそんなに強く叩く。一般人なら骨が折れているぞ。
「藤堂君、あなたのダンスと歌も見たいわ」
***
「ふふ、そんなに落ち込まなくていいじゃん。あやめさんも悪くないって言ってくれたじゃん」
「し、しかし……」
心が沈むというのはこんな感じなんだろう。過去、悲しいことがあるたびに、俺はリセットを繰り返してきた。
悲しさが人を強くさせる。
その悲しみとは違うが、いまの俺は落ち込んでいる状態であった。
『心が響かない歌だわ。ダンスも機械的で、人前に出せるものではないわ』
カラオケは俺の趣味の一つにもなっていた。比較的自信があった。その自信はあやめという絶対的なプロにより打ち砕かれた。
スタジオであやめの前でパフォーマンスを披露した俺達は、外へと移動していた。
事務所のアイドルが出る予定のイベントの見学に向かっている。
「田中さんは夏に行われるサマフェスに出てもらうわ」
「え、ええ、えええ!? ちょ、そんなに大きなイベントに!?」
「もちろん、それまでに様々なイベントに出てもらって経験を重ねてもらうわ」
「う、うぅ……超心配じゃん」
「大丈夫だ田中。俺はすごく楽しみである」
「もう、藤堂だって練習生じゃん。一緒にイベント出れたらいいのに」
「ふふ、藤堂君が田中さんの域まで達したら構わないわよ」
目的地であるイベント会場は市民ホールみたいなところであった。
様々なアイドルたちが出演するイベントだ。まだ開演していなく、リハーサルの段階であった。
不思議な雰囲気であった。スタッフがせわしなく動き、アイドルたちが曲の確認をしている。
生演奏も行われるのか、演奏者が機材の確認をしていてた。
「これが小規模イベント、なのか?」
「う、うん、すごい熱気じゃん。なんか、興奮するね」
「それもそうよ。今回は『雀燐火』が出演するのよ。そのための生演奏だわ」
雀燐火。Aランクアイドルであり、要注意人物だ。そもそも何が要注意だか俺も島藤もわかっていなかった。
それよりも、城太郎という男の方が気になる。俺と同じ小学校の出身だ。
どうやらこの会場にはいないようだが――
と、その時よく通る声が聞こえてきた。周りが一斉に静かになる。
「――はっ? ちょっと冗談いわないでください……。あなた、うちの事務所に喧嘩売っているんですか?」
視線がそちらへ向く。俺は首をかしげる。気がついたら足がその女性のところへと向かっていた。
写真では雀燐火の姿を確認していた。
「と、藤堂君?」
止めようとするあやめの手を振り払う。
焦っている男性に叱責をする雀燐火。
「す、すみません……、じ、事故にあってドラムの演奏が……、お、音源はあるので、それで……」
「だから、今日は生演奏で――、ちょっと、あなた誰ですか?」
俺は雀燐火の前に立った。この懐かしい感情はなんなのだろうか? だが、俺はこの顔に出会ったことがない。しかし、俺は彼女を知っている。記憶を忘れているのとは違う。なんだ、この違和感は?
「……島藤花子か?」
俺がそういった瞬間、雀燐火の身体が身震いした。それもほんの一瞬だけだ。
「……あなた、名前は? 人の名前を間違えるんて失礼な人ですね……」
頭の中でリターンを繰り返し、心を落ち着かせる。冷静さを一瞬で取り戻し、懐かしい気持ちを陰に隠す。
「失礼、俺の名は藤堂剛、あちらにいるあやめの事務所に練習生だ。……見たところ、困っているようだな。俺が力になろう」
「……バカなこと言わないでください。生演奏のドラムが出来る人なんて――」
「動画などがあれば見たら覚えられる。失礼、ちょっと拝借するぞ」
俺は困っている男性に一言告げて、ドラムセットへと向かった。
困っている人は見過ごせない。それは懐かしさのせいなんじゃない。
ではなぜなんだろうな?
一体、この気持ちはなんなんだろうな?
俺はスティックを振り上げて――リズムを刻む。記憶の中にあるプロのドラムを頭の中で再生をする。
――周囲のざわめきが静寂へと変わる。
俺の知ってる曲は西園寺の歌しかない。なら、そのドラムを叩いてみればいい。
一定のリズムで、あの動画のような強弱を付けて、自分を機械のように認識させる。
ドラムというものは叩いたことなんてない。だが、見たことはある。ならば、過去をリターンで細部まで確認して、俺はそれを真似るだけでいい。
なんだか、楽しい。リズムが身体を高揚させてくれる。
そして、名残惜しむように演奏は終わった。
静かだった。自分のドラムが良いのか悪いのかわからない。ただ、困っている人を見過ごせなかった。
雀燐火が怒っているような顔をして俺に近づく。
「……さっさと動画を観て下さい。――いまのと同じレベルで出来るなら演奏してもいいですよ。5分で覚えてください」
「ああ、了解だ」
どうやら、俺は選択肢を間違わなかったようであった。




