8.雨晴れ
嫌な夢を見た。
忘れるように努めたあの記憶、脳裏に焼き付いた地獄絵図を。最近は見なくなったからと油断していた。子どもだった頃とは違う、そう思い込んでいた。
私はあの日から変わる事なく、暗闇を、燃える明かりを恐れ続けている。十一年経った今でも恐怖は健在だった。
思い知らされた。
「はっ、……はぁっ、ふ、……っぅあっ……だっ、大丈夫っ、はぁっ………だい、……大丈夫っ」
私の弱さを。
「凪乃っ!凪乃!大丈夫!?しっ、深呼吸!ゆっくり、ね!」
耳の奥でくぐもった陽戸の声が聞こえる。
胸が苦しい。呼吸が詰まって視界が歪む。心臓がうるさい。大丈夫、何度も言い聞かせている私の声がうるさい。
「……だっ、大丈夫。……ありがと」
陽戸は慌てながらも電気をつけてくれていたようで、視界を覆う暗闇は晴れていた。
「よかった。……よかったぁ」
どのくらい経ったかはわからない。
早る鼓動も徐々に収まって、呼吸も落ち着きはじめた頃、どうしてかわからないが陽戸も泣いていた。声を震わせて、自分の涙で襟口を濡らして、……どうしてかな。肩口も少しだけ濡れていた。
冷房のせい、だと思う。少しだけ冷えて肩が揺れた。それに気が付いたのかはわからないけれど、陽戸はなにも言わずに毛布を掛けてくれた。拗ねた子どもみたいに膝を抱える私と同じ毛布に包まって、なにも聞かずに傍に居てくれた。
「……夢、見たの」
だからかな。少しだけ話したくなった。
「…………お父さんとお母さんの夢」
毛布が小さく揺れて、陽戸が頷いたのが伝わった。でも、今はそれでよかった。
「死んじゃったの。十一年前に」
少しだけ鼓動が跳ねる。息が詰まる。
続けて声は出てこなかった。途切れ途切れで、認めたくなくて、受け入れたつもりだったのに。
「飛行機の事故で、」
それでも言葉にするだけなら、ずっと簡単で。
「私だけ……生き残っちゃった」
それでいて、ずっと苦しかった。
陽戸は何も言わなかった。言えなかったのかもしれない、そう思うよりも前に毛布が小さく揺れた。それで十分だった。
二つの体温で温まる毛布の中で、しばらくの沈黙が流れた。聞こえてくるのは壁掛け時計の針の音、窓を叩く小さな水滴の音。そして早まる鼓動の音だけだった。
「……ひの……、ううん。……廻琉」
わからなかった。
どうしてだろう、少しだけのつもりだった。
話したくなった、お父さんとお母さんとの想い出を。
あの日から目を逸らせる程に眩しい過去を、今は誰かに聞いてほしかった。
「少しだけ、話……聞いてくれる?」
***
どれだけの間話していたのだろう。
だいすきだった、今でもだいすきな家族の話。
幼稚園のお迎え。
お母さんの仕事の都合で、たまにお父さんが迎えに来てくれる日が新鮮で、とても嬉しかったこと。
お父さんの誕生日。
お母さんと一緒に作ったお菓子を、泣いて喜びながら食べてくれたこと。美味しいと何度も褒めてくれたこと。
母の日にお母さんに送った似顔絵。
大量にコピーして、常に持ち歩いてくれていたこと。寝室にも書斎にも貼ってくれていたこと。下手っぴだったからちょっと恥ずかしくて、それでも嬉しかったこと。
クリスマスの日。
目が覚めてこっそり起きていた時。二人してサンタさんの格好をして、枕元にプレゼントを置いてくれていったこと。眠った振りをした私を起こさないように、そっと頭を撫でてくれたのを覚えてる。
全部、私の大切な思い出。
だいすきな家族との消えない記憶。
廻琉は私が話している間、ずっと手を握ってくれていた。
時々黙って頷いて。
時々、ぎゅっと握り返してくれた。
たった五年、家族で過ごした時間。
その中で多くの贈り物を受け取った。
こんなにも大きな愛情を。
まだまだ思い出は尽きない。それでも。
涙が止まらなくて。もう、言葉は出なかった。
「いっぱい、愛されてたんだね」
「……うん」
否定なんて出来なかった。出来るはずがなかった。
お父さんも、お母さんも。
心の底から私を愛してくれていた。
「お父さんとお母さんのこと、さ。
……本当に、だいすきなんだね」
私が愛していたように。
二人とも、心の底から。今でも、これからも。
「……うん」
そっと引き寄せられて、抱き留められる。温かい毛布の中、服越しに伝わる鼓動が少しずつ、少しずつ揃っていくのがわかる。
「ありがとう、ね。凪乃。話してくれて」
……違う。違うよ。
それは私の方。
「…………ありがとう」
聞いてくれて、傍にいてくれて。嬉しかった。
少しだけ暗い毛布の中、暗闇も、今は怖くない。
***
────ブ───ブブッ──ブブッ
一本の着信で目を覚ます。広縁から差し込む朝陽が目に優しくない。カーテンには隙間ができて、隣に敷かれていた布団は綺麗に畳まれて隅に置かれていた。廻琉は……いない。どうやら先に下へ降りてしまっているようだった。
時刻は十時を過ぎた頃だった。今日が休みでよかった、これが平日なら遅刻どころの騒ぎではない。
──ブブ───ブブ──ブブッ
「……ん。……………うわわ」
規則的に揺れながら枕元で横たわるスマホを取り上げると、画面には『砂溟先輩』と表示されていた。慌てて電話をとると、耳元で聞こえた声は覚悟していたものよりずっと優しい声だった。
『おはようございます、砂溟です。お休みのところ申し訳ありません。少しお時間頂いてもよろしいですか?』
まぁ、砂溟先輩は電話をとるのが少し遅れたくらいで怒るような人ではない。これが所長だったらと思うと背筋が凍りついてしまう。
幸い、今日はなんの予定もない。兎と碧、それに廻琉の予定は知らないが、今のところ私はフリーな筈だ。
『所長から呼び出しがありました。私と夜明さんの二人。十五時以降、私達の都合の良い時間に楚曳支部まで顔を出してほしい、と』
楚曳支部。一本先の駅、隣町の薗尾に設けられた、私のバイト先である百目鬼研究所の支部だ。少し遠いが、十五時以降でいつでもいいなら問題は無い。仕事、だろうか。今日は休みだったと思うのだけど。
『今日は仕事ではないとのことです。
私は何時でも空いているので。後程、夜明さんの良い時間を連絡して頂ければそれに合わせます。
午前も、午後も……空いていますから。よろしければまたご連絡を。それでは』
──ぶつっ。
有無を言わせない淡白な物言いに、無機質な音が続く。相変わらず淡々としている。私と二つか三つしかかわらないのにしっかりしているというか、仕事人間、というか。私の知っている限りでも変人揃いの研究所で唯一とも言える真人間、それが砂溟先輩だ。率直にいえば尊敬している。ただまぁ、あくまで先輩後輩の関係だ。それ以上でも以下でもない。
リビングに降りてみると、案の定、三人揃って起きていた。碧と廻琉はなにやらゲームをしているようで、テレビの前ではしゃいでいた。朝からゲームとはあまり感心できたものではないが、まぁいい。それを眺めているらしい兎は食卓に足を乗せたまま、何かを飲んでいる。珈琲かなにかだろう。格好つけてブラックだ、どうせ。
「おう、おはような……あだっ」
「……足」
なんてお行儀の悪い。碧の教育にも良くないだろう。
昨夕と同じ席に腰掛けてみると、食卓に一枚の書き置きが置かれている事に気が付いた。平仮名が多い、碧の書いたものだろう。
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れいぞう庫にごはんいれてあるからね!すきなのえらんでいーよ!
あと きのうはばかって言ってごめんなさい!
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直接言えばいいものを。こういう所が子どもっぽいのだ。それに、どうにもいじらしい。
冷蔵庫の中に詰められていたピザトーストと牛乳を取り出して席に着くと、兎がこちらを見てにやついていた。言わんとしている事はなんとなくわかる。……私もそろそろ腹を括るべきだと思っていたし。
「……誘い、受けるよ。
あの和室もらってもいいなら、だけど」
「待ってましたっ!おい碧!廻琉!
凪乃も引越すって!業者はあたしが手配する!」
……?
「えぇ〜〜〜っ!!いいのぉ!!!」
「えへへへへ!やったぁ!」
……廻琉?
「四人暮らしスタートだ!明後日から準備な!」
四人?




