9.昏なずむ
十五時二十分。
花芽駅から薗尾駅まで一時間、さらにバスで二十分の所にある楚曳支部に向かう道中、行きのバスに揺られつつ酔い止めついでに、私は薗尾の街並みを眺めていた。
和、といった風情のある街並み、離れの山に鎮座する逆漆城が街を見下ろしている。肆京ほど栄えてはいないが、姉妹都市なだけあってそれなりに綺麗だ。
公共交通機関なんて滅多に使わないのだが、支部まで行くとなると頼らざるを得ない。
ましてや、
「綺麗、だね!趣がある…って言うのかな?
うわぁ!みて凪乃!お城!お城がある!」
この調子の廻琉と共に街を歩くなんてとてもじゃないが考えられなかった。
どうしてこうなってしまったのか。
はしゃぐ廻琉へ適当に相槌を打ちつつ、砂溟先輩との会話履歴を見返す。
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『お疲れ様です。お昼時に申し訳ありません。
朝の件、十六時前支部着でもよろしいでしょうか?』
12:40
『お疲れ様です。
十六時着 了解しました。道中お気を付けて』
12:40
『ありがとうございます。
それと……もうひとつよろしいでしょうか?』12:41
『構いません。どうぞ』12:41
『友達がどうしても着いて行きたい、と。
ご迷惑だけはお掛けしないよう言って聞かせますので、同伴させてもよろしいでしょうか』12:42
『確認してみます。失礼ですが、ご友人のお名前だけお伺いしてよろしいですか?』12:42
『陽戸 廻琉、同級生の女の子です』12:42
『所長に確認しました。構わない、との事です。夜明さんのご友人ならば喜んでとも』12:46
『ありがとうございます。
暑いので、砂溟先輩も道中お気を付けて』12:46
『(OK)』12:47
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あの所長が喜んで、なんて想像もできない。言っちゃ悪いが薄気味悪い。
「凪乃、すごい!和服着てる人いっぱい!
いいなぁ!うわっ!みて虎!虎連れてる人いるよ!」
寝虎ね。
「すごい、街頭に提灯かかってる!洒落てる、ね!
風紀?ふう、ふう……風水!風水がある、ね!」
……風情ね。
「この椅子ふかふかだね!いいやつ?いいやつかな!これ!」
支部に着くまでに体力を使い切ってくれるとありがたいのだが。
***
スマホの表示は十五時四十五分。
日照りの険しい時間帯。じわりじわりと身体中に汗が滲むのがわかる。七月八日にして既に真夏の様相だ。
「あづいぃ。凪乃ぉ、もう着く?」
「ん、あそこ。見えたよ」
予定通り、時間より少し早めに目的地が見えてきた。
私はバイトでしかないから、支部にはあまり来る機会がないけれど、ここは羽々斬先輩の持ち場って印象の場所だ。支給のデバイスなんかもここで造られているらしいけど、外観からはそんな事わかるはずもない。
「なんかさ。イメージと違う、ね」
「薗尾は景観条例があるからね。どこ行ってもこんな感じだよ。研究所に限らない」
周囲に倣いつつ、高度上限ギリギリ四階建ての和風建築。倣うと言ってもこの辺に建物はほとんどないのだが。
「ひっろぉ〜〜〜!綺麗だね!」
広々と拓けた土地、一面は庭園の様相を呈している。
専属の庭師を雇っているらしく、外観は随分と整っていて、その中心に堂々と佇む研究所の姿は様になる。
「着いてきて。裏口の方から入るから」
庭園を抜け、表口からぐるりと左回りに歩いたところにある、庇に隠された無骨な鉄扉。どう考えてもミスマッチだ。
「……センス、だね」
言わなくていいことってあるのよ。
庇の落とす影の下には既に砂溟先輩の姿があった。時刻は十五時五十六分。相変わらず時間には正確だ。
「凪乃、凪乃!綺麗な人いる!」
砂溟 左 先輩。学年は二つ上、私の知る中では唯一の同校の人。
顎先で切り揃えられた綺麗な黒髪、左の耳前から伸びる細い三つ編みが特徴的だ。
笑ったところは見たことがないけど、優しいことは間違いない。なにせ研究所唯一の真人間なのだから。
「すみません先輩、お待たせしました」
「お気になさらず。私も今到着した所ですので」
砂溟先輩の視線が廻琉の方に向く。
「初めまして、陽戸 廻琉さんですね。
神代桜学園三年の砂溟 左といいます。よろしくお願いします」
「初めまして!一年の陽戸、です!
よろしくお願いします!砂溟先輩!」
砂溟先輩の差し出した手に、廻琉が応える。
お堅い挨拶に固い握手を交わす2人。
「お先にどうぞ」
砂溟先輩がカードキーでロックを解除し、鉄扉を引く。重たい音が響き、中から冷たい空気が頬を撫でる。
「失礼します」
「お邪魔します!」
廻琉の元気のいい声が響く。
中は至って普通。外観とは打って変わって一面白塗りの無機質な事務室。どこか職員室にも似ているが、影も落とさない均一なLEDの白光がつくる空間は独特な雰囲気を醸している。
大机の上には見たことのあるような、ないようなデバイスが大量に積まれている。机や棚にはところどころに色とりどりのインクがこびり付いていて、年季を思わせる。
奥の扉が開き、ブロンドの長い髪が一瞬覗いたかと思えば、さっと引っ込んでいくのが見えた。羽々斬先輩だ。
数秒して、黒を基調とした露出控えめなゴスロリ衣装の上から使い古しの白衣を纏った、一見して少女にも見える羽々斬先輩が私達を出迎えてくれた。相変わらず珍妙な格好をしている。
「おいスおいス。お待ちしておりましたよおふたりさん。それと、」
私たちの方に歩を進めながら、軽い調子で挨拶を済ませる。声はしっかり男性なのだから混乱しそうになる。
少しだけ目尻の吊り上がった丸い瞳、ぱっちり二重。筋の通った小さくて高い鼻。バランスの整った、整いすぎた造り物のような。生き物でいえば、まるで仔猫のような顔。小、中学生の少女と言われても納得する。むしろそうでない方が違和感がある程だ。
「陽戸 廻琉ちゃん。所長から聞いていますよ」
軽い調子で優しげな微笑みを湛えつつ。それでいて、何故だか今日は、視線だけが合わなかった。
「初めまして。こちら羽々斬 千景。よろしくどうぞ」
廻琉に向けて、羽々斬先輩から右手が差し出される。
「こちら陽戸 廻琉!凪乃の…………親友、です!!
よろしくお願いしますどうぞ!!」
声でか。親友って。……親友ね、そう。とりあえず緊張してる様子はなさそうだ、よかった。
廻琉の大きな声に気圧されてか、羽々斬先輩の笑みが一瞬だけ引き攣り、顔を伏せる。羽々斬先輩はしばらくの間、俯いたまま小刻みに肩を震わせていた。
「くくっ………くっ……ふふふっ……ぐくっ……」
笑いを押し殺すような息の漏れる音、それに続いて小さく、誰に言うでもなく、「かわいい」と。思わず零れた独り言のようなものが聞こえたような気がした。けれど、それ以上はっきりと聞き取ることはできなかった。
***
羽々斬先輩に連れられ、渡り廊下を進んでいく。廊下を挟む両の景色は昔ながらの日本庭園だ。敷き詰められた玉砂利、大きな池、葉の整えられた低木に見事に手入れのされた石灯籠が佇んで、侘び寂びを感じる空間を演出している。その中でも一際目を引くのは青々とした雄々しい松の木だ。遠くの方では木々の立ち並ぶ林が見える。風に靡く緑色は見ているだけでも涼しさを伝えてくれる。
「凄いね、ここ!庭園ていうのかな。風情がある?で合ってる、かな?」
たしかに見事ではあるが、内装とのギャップで風邪をひいてしまいそうだ。外観には合ってるけどそれにしてもちょっとやりすぎというか。
廻琉風に言えば、センス……だね。言わないけど。
当の本人はと言えば、すっかり羽々斬先輩と打ち解けている様子だった。
「羽々斬さん!庭園!和風!キレイ!
凪乃に似合うと思うんですよ、ね!和風!!」
「そうっスねぇ、浴衣なんかも似合うと思いますよ。明るい色を華やかに、髪もカワイく飾っちゃって」
「わかってますね!!!」
羽々斬先輩と廻琉の雑談を聞き流しつつ歩いて数分ほど。庭園を抜けて、事務室のある棟へと辿り着く。
木々に囲まれた影の中に通る風が心地良い。少しだけ薄暗い廊下を通って、漸く事務室へと到着する。
羽々斬先輩の後を砂溟先輩が、その後を廻琉と並んで戸を潜る。入るやいなや、マグカップを片手に椅子に腰掛けた所長の姿が見える。
「休日に呼び出して悪かったな。
そちらは陽戸くんだったか、聞いているよ」
百目鬼祀所長。祭歌先生のお兄さんだ。顔は似ても似つかないが、どこか面影を感じるような、感じないような気もする不思議な人だ。なんにしてもあの眼鏡の奥に見える尖った目は苦手だった。理由は怖いから。
「いえ、ちょうど空いていたので」
「お邪魔してます!」
まぁ暇ではあったし。それに、たまには外出してみるのも悪くはなかった。仕事でないなら尚更だ。
所長が組んだ足を解いて小さく頷き、話を続けた。
「来週から『昏』なわけだが」
『昏』。十三日からだったか、正直あまり好きではない、私は。顔に出ないように押し殺すも、自然と拳に力が入る。
(ねぇねぇ凪乃、昏ってなに?)
隣から。廻琉が小さな声で話しかけてくる。
一瞬、所長の視線がこちらを刺す。
「陽戸くん、きみは県外の出身なのかな。
良い機会だ。『昏』というものについて教えてあげよう。羽々斬、ホワイトボードを」
「……!ありがとうございます!」
所長の口元が緩むのを見て胸を撫で下ろす。
あまり笑顔を見たことがなかったが、意外と優しい表情をするものだと思った、失礼ながら。
「『昏』とは六年に一度訪れる鹿々桜特有の異常事象の事だ。七月の半ばから九月にかけて空の刻が止まる。
夕刻、闇に覆われ始める時間帯。俗に黄昏時と呼ばれる時間で、だ。発生機序については未だ未解明。日夜、天文学者、地質学者、次いで歴史学者の頭を悩ませている。異常事象と言ったが、原義の異常とは──、本来であれば超常と────。───とカテゴライズしているに過ぎない。我々は────」
「わかんねーよ。なげーし」
羽々斬先輩が話を遮り、講義が始まりかけたところを一変してくれた。「ゴメンね」と小さく謝る羽々斬先輩の横で、所長が珈琲を啜りながらなにやらぶつぶつとボヤいているのが聞こえてきた。
(……そんなにわかりづらかったか?)
…………。
ふと、隣の廻琉に目を向けると、口元を手で覆い首を傾げて明後日の方に視線を向けている姿が見えた。ああ、わからなかったんだ。
「要約すると来週から二ヶ月間ず〜っと夕方ってことっス」
「……なるほど!」
廻琉がポーズを解き、ピシッと背筋を伸ばし直す。にこにこ笑って理解できましたって顔をしている。
「ちなみに祭りもめちゃくちゃありますよ」
「お祭りが!?めちゃくちゃですか!!?」
「ええそれはもうハチャメチャに」
羽々斬先輩と廻琉のイマイチ要領を得ないやり取りを尻目に、砂溟先輩がスケジュール帳を開いていた。一瞬だけその中身が見えてしまったが、とりあえず予定が詰まっているらしい事しかわからなかった。
「『昏』自体は七月十三日から始まります。
その晩に第一回鹿々桜花火大会が。それ以降はひとまず規模の大きいものをいくつか、紹介させて頂きます」
スケジュール帳を手に、砂溟先輩による丁寧なお祭り紹介が始まった。廻琉が目を輝かせているのが視界の端に映る。
一つ目。
花芽ラ商店街の店々がこの日の為にと新規開発した自慢のスイーツを持ち寄り一位を決める
『花芽ラあまいものまつり』。
わざわざ県外からやってくる店もあるらしい。
二つ目。
深沁港で揚がった新鮮な海産物を中心に、今では珍しい鯨肉料理のお店まで大量に並ぶ
『深沁港夜市』。
今回はハツネ社と協働開催。深沁港全域に仮想空間をまるまる投影、五感全てで非現実的な演出を楽しめる、らしい。有名なゲームとのコラボも予定されているとかなんとか。
三つ目。
灘月遊園地開催、反重力機構『灘月』に見守られる中で人工低重力空間でふわふわと非日常体験を味わえる
『なだづき ナイトフェスタ』。
かぐや姫を模したパレードもあるみたい。かぐや姫と翁の役は入場客から抽選とのこと。
四つ目、五つ目、と。
砂溟先輩の口にした「規模の大きいものを、いくつか」の言葉を思い出す。条件を絞ってもこれほどの。これからの約二ヶ月間にいったいどれだけのイベントが予定されているのか、想像がつかなかった。
砂溟先輩が七つ目の紹介を終えた時、遂にスケジュール帳が閉じられた。廻琉はというと、それはそれは爛々と目を光らせていた。紅い瞳と屈託のない笑顔がこちらに向けられる。
「楽しみ………だね!!凪乃!!」
「……ん」
どっちつかずな返答をしてしまう。我ながら素っ気ないというかなんというか。
気恥ずかしくなって所長の方へと視線を戻す。その時、一瞬だけ視界に入った羽々斬先輩の目元が、心做しか普段よりも優しげに見えた。
「悪いな。本題に戻るが」
相変わらず珈琲を啜っていた所長が口を開く。淹れたてだろうか、湯気で特徴的な丸眼鏡が曇っている。
「砂溟君、きみは明日から。夜明君は明日の任務を終えてからになるが。二人は『昏』の期間中、仕事には出なくていい」
「……はぁ」
間抜けな声が出た。無理もない、急に休暇を命じられたのだから。一瞬だけ、思考を巡らせてみる。なにかやらかしたような記憶はないのだが。
「どういうことでしょうか」
砂溟先輩が口を開く。表情はいつも通り無を呈しているが、声色には困惑の色が見えた。
「きみ達はまだ若い。六年に一度の祭の季節、なにも職務に費やすことはない。給与は出そう、何事にも金は入り用だからな。無論、満額支給とはいかないが。充分な額ではあるつもりだ」
「なにを仰っているのか──、」
「たくさん遊べってことですよ」
一瞬、語気を強めかけた砂溟先輩を制するように羽々斬先輩が口を挟む。
砂溟先輩の表情に困惑の色が滲む。無理もない。休暇命令の理由が「遊べ」とは。理解し兼ねるものではある。言葉に詰まる私と砂溟先輩に向け、諭すような口調で、所長が言葉を続ける。
「若いうちにしか出来ない事というのはまさに山のようにある。僕だって未だにあの頃の青い日々に焦がれる事がある。祭歌にもっとしてあげられる事があったのではないか、そう思う日もある」
「オレはあんま無いスけどね」
「まぁ要するに、だ。……今を楽しみたまえ」
一段落といった面持ちの所長が改めて珈琲を一口啜る。言葉足らずとは、今はこの人の為にある言葉だろう。砂溟先輩の顔は未だ曇っていた。その横で、
「良かった、ね!これでいっぱい遊べる!」
廻琉だけがはしゃいでいた。
私はといえば、「今を楽しめ」の意味を理解しようとしていた。
今、……今か。あまり意識したことはなかった。
言われた事、頼まれた事、やるべき事。その場その場でなんとなくこなしてきた。必要以上の事は考えずにただ役割を果たすだけだった。学生として、バイトとしての役割を。この中身のない日々が、なんとなく続いていくものだと。なるようになっていくだけだと。漫然とそう思っていた。
「全部行こ!さっきの!全部!」
廻琉の声で意識が引き戻される。
自然と落ちていた視線を持ち上げて、廻琉の顔を見る。紅い瞳、屈託のない笑顔。相も変わらず楽しみです、という顔をしていた。
「浴衣着て、屋台行って!射的とか型抜きやりたいし、綿菓子も食べたい、ね!」
焼きそばとイカ焼きと、と欲望を続ける廻琉。全力で今を楽しもうとする姿。廻琉の前向きな声は、私の思考をすっかり取っ払ってしまっていた。
「もちろん四人で!……でも、ふたりでも、ね!」
廻琉が私の手を取る。暖かい。手も、顔も。
「うん」
視線はずっと重なっていた。気恥ずかしくはあったけど、不思議と逸らす気にはなれなかった。
「……邪魔して悪いが、これで話は以上だ。
もういい時間だ。帰りたまえ。暗くなる前にね」
所長の声で改めて意識が引き戻される。後ろで羽々斬先輩が笑みを浮かべているのが見えて恥ずかしい。それはもうハチャメチャに。
目の置き場もなく時計を探す。
見つけた、ちょうど十七時。電車の時間もあるし。
「では、これで。今日はありがとうございました」
「お邪魔しました!!」
「砂溟先輩もありがとうございました」
「ありがとうございました!!」
「んふふっ。ちゃんとお水飲むんスよ」
「…………お疲れ様でした」
「今日は暑い、気を付けたまえ」
上司三名の声を背に、廻琉の手を引いてそそくさと席を立つ。そのまま一礼して、逃げるように事務室を後にした。ずっと後ろの方で聞こえた閉扉音から早く離れたくて、廻琉の手を引いたまま長い渡り廊下を歩く。走っている時のようなはやさで風景が過ぎていく。
木々に囲まれた影の中を通る風は涼しい、涼しい筈だというのに。
暑い、暑い。暑いなぁ本当に今日は。
木陰なんかぜんっぜん涼しくない。風も温いし。
鼓動が早い、顔が熱い。陽射しのせいだ。あれもこれも夏のせい。
「………廻琉」
「ん?」
まぁ、でも。
「行こう、全部。四人で」
「うん!」
この熱は、
「時々………ふたりで」
嫌いじゃない。
「……うん!!!」




