7.常夜に落つ
なるほど。理解した。
碧と兎からは以前からシェアハウスの誘いを受けていたが断っていたのだが、今日はそのもう一押しで呼ばれたわけだ。
「……悪いけど。もう少し考えさせて」
二人には悪いが、首を縦に振る事はない。
これまでと同じ、保留というていをとる。
理由は様々ある。
共同生活にはそれなりに覚悟がいるし、なにより引越し費用も馬鹿にならない。生活スタイルの違いで二人に迷惑を掛ける訳にはいかないし。
「じゃあさぁ!今日泊まってくのは!?
せっかくだし廻琉ちゃんも!」
「えっ!え!わたしもいいの!?」
碧はそう言って、食べ終えた皿を両手いっぱいに抱えたままキッチンへと向かっていった。はしゃいでいる陽戸と話を続ける兎を横目に、ドレッシングとコップを持って碧についていくと、既に洗い物を始めていた。全くもって手際の良いことだ。
「泊まるのはいいけどさ。部屋空いてるの?」
「和室だけねえ!あとは兎の配信機材とかで埋まっちゃってて。あ、兎ね!高いのいっぱい買うんだよ!使いもしないのにさぁ!ひどいよねぇ」
共同生活ゆえの愚痴だ。碧のことだから本人にも伝えてはいるだろうが、変わらないのだろう。兎らしいといえばらしいが、共同生活においてはこういう小さな積み重ねが後に大きなトラブルを招く。私としては余計な揉め事は御免蒙りたい。
「でねぇ!兎ったらひどいんだよ!包丁もお子さま用のに変えろって言うしさぁ!」
碧の洗った皿を受け取り、水滴を拭き取って戻す。その流れ作業の間中、碧の愚痴は続いた。
主に金遣いの荒さ、次に子ども扱いへの怒りが多かった。どうやら大人の女性として扱って欲しいらしい。
「寝巻きもねぇ!ズボンにいれろっていうの!お腹冷えるからって!そんな子どもじゃないし!」
そう言いながらも流し台を前に踏み台を必要とする碧の姿を見て、なかなか無理のある悩みだとは思ったが、まぁ言わなかった。理由は怒られそうだったから。
「もお!なに笑ってるの!………あ!!!!!
凪乃もわたしのこと子どもだと思ってるんだ!」
どうやら顔に出てしまっていたらしい。言わなくても怒らせてしまったようだ。碧は手を洗い終えた後、頬をぱんぱんに膨らませたまま居間へと戻っていってしまった。
「おこった!おこっちゃったもんね!もうお風呂いちばんに入れたげないから!一緒にも入ったげないからねぇ!」
あんなに怒ることもないというのに。
碧の幼さは歳不相応ながらも、たしかに私と兎を癒してくれている。あれも碧の長所だと私は思っているが、本人なりに気にしているらしい。そんなところがいじらしくもある。
しかしながら私は碧と一緒にお風呂に入った覚えはない。当然ながら入るつもりもない。なにを言っているのか、これがわからない。
碧に続いて居間へと戻ると、兎と廻琉はまだなにか話しているようだった。食卓に碧の姿はなく、二人の話を耳に入れるに、どうやらフグ顔のまま先に風呂場へ行ってしまったらしい。
席に着いて改めて二人の話に耳を傾けてみると、どうやら今日の部屋割りについて話をしているようだった。
部屋割りと言っても空き部屋は一つしかないのだから、必然的に私と廻琉は同じ部屋になるという事だ。泊まると言ってもあとは寝て朝を迎えるだけだ、私としては別にどこだっていい。異性というわけでもないのだから。
「本当にいいのか?ちょっと片せば主寝室も使えるけど。時間は……まぁ少しかかるけどさ」
「うん!いいの!『かくれんぼ』でさ、ちょっと疲れちゃったし!凪乃ちゃんも疲れてると思うから、ね!」
「……ん?ああ、うん。疲れてるねたしかに」
話半分で適当に返してしまったが、疲れているのは本当だ。陽戸のサポートなんて余計な仕事が増えたおかげだろう。これといって文句があるわけでもないが、この身体に溜まった疲労の原因であることに違いはない。
まぁ、リターンとして課題が免除されたのは悪くない。それに墨雫先生の授業が潰れた事も大きいだろう、あの人は授業の後に必ずなにかしら課題を寄越すから。
「わかった。んじゃ案内しとく。
和室は二階にあるから、凪乃も着いてこい」
兎に促され、陽戸と共に兎の後を追って二階へと向かう途中、奥から水の流れる音の聞こえる扉を通り過ぎる。
「ここが浴室。今は碧が入ってるからな。
碧が上がったら次は凪乃、次に陽戸が入れ。あたしは最後な」
そのまま向かいにある階段を上がって二階へ、ずっと伸びた廊下を歩いて右手に二つ扉を過ぎた先に、漸く襖が見えた。本当に広い家だ、二人では持て余すのではないだろうか。
襖を開いた先で広がっていたのは当然の事ながら畳の広がる和室だ。部屋の広さは八畳程、その奥に広縁が設けられている。少し上等な旅館を思わせる、良い部屋だ。旅館なんて写真でしか知らないのだが。
なんにしても悪くはない。一夜を過ごすだけにしては、なかなかどうしてもったいない。
「布団は一応二セットある、そこの押し入れの中な。
先週碧が洗ってくれたばっかだから大丈夫だとは思うがもし汚れてたら……まぁ、あたしに言ってくれ。
念の為主寝室も片しとくからさ」
兎が申し訳なさそうな顔をしながら押し入れを開けてみせてくれた。パッと見だが、汚れている様子はない。とても綺麗な布団だ。毛布も私の使っているものより肉厚、ふかふかだ。
「いいよ、大丈夫。ありがと兎」
それに私は別にソファでもいい。
最悪の場合、広縁に置かれたふかふかの椅子で座りながら寝てもいい、一日だけなら。
問題は陽戸の方だ。この世間知らずっぷり、私が思うにこいつは箱入り娘。こういう和室で寝ること自体、あまり経験がないのではないか。そう思い、隣に目だけを向けると平気な顔、どころかにこやかな笑顔で布団を敷き始めていた。まだお風呂も入っていないというのに気が早い。
「上がったよぉ〜〜〜!」
布団を敷き終えて少し経った頃、階下からまだどこか怒りを含んだままの碧の声が届いた。
謝っておくか、一応。
「じゃ、次凪乃な。着替えは脱衣所の棚ん中に作務衣があるから、それ着てくれ。ちなみに下着もあるぞ」
「えっ!……下着!?」
「前一緒に買いに行ったろ?あの時凪乃用に買っといたんだ。廻琉は……凪乃と同じサイズで良さそうだな?」
「えっ、……いい、と思う……けど」
驚愕する陽戸に、当たり前のように話を続ける兎があまりに対照的だ。真逆の表情のまま一緒に視界に入らないで欲しい。
春頃だったか、たしかに買い物に付き合ってもらったがわざわざ買っていたのか。なんていうか、……なんて奴だ。それに、広縁もそうだったが作務衣というチョイスがちょっと旅館すぎる。この家はどこを目指しているんだろう。
「じゃお先」
廊下に出ると少しだけ肌寒い。夏が近いと言えど、暗くなる頃の空気は少し冷えるものだ。
脱衣所に着くと碧はもういなかった。代わりに置き手紙が一枚、棚に貼りつけてあった。
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追い焚きしといたから!あついよ!やけどするかもよ!
すごくあついからね!やけどしちゃうね!ばーか!
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バカはどっちだ。
そっと冷えたつま先をつけた湯船はちょうど良い温かさだった。身体の芯からじんわり解れていくようだ。
いつぶりかな、ちゃんと湯船に浸かったのは。一人暮らしをしていると湯を張るのはどうしても億劫になってしまう。それに、お風呂に浸かるとどうしても考える時間が増える。他にする事がないからか、心地良さから身体を動かしたくないからか、代わりに脳ばかりが回っている。思えば昨日もカレーだったな。作るのも楽だし、作り置きしておけば温めるだけで良い。
それでも今日食べたカレーは全然違っていた。味もだけれども、なんていうかそうではなくて。上手く言葉にできないけれど、どこか……暖かかった。
***
陽戸が風呂に入っている間、念の為敷いた布団の点検をさせてもらった。結論からいえばなにも問題はなかった。むしろ洗いたてらしい柔らかな匂いがして、包まれているだけで眠気が落ちてくる。碧が洗濯したと言っていたか、明日にでもお礼を言っておいてもいいかもしれない。お子様のご機嫌も取れるなら尚良しだ。
勝手に触り回すのも悪いので、目につく範囲だけ陽戸の方も確認する。私の方と同じだ、特に問題は無い。
そのまま布団に包まれているとすぐに眠気が降ってきた。いけない、このままでは寝てしまう。
本来、陽戸を待つ必要はないのだが、先に寝てしまっているというのもどこか申し訳なかった。それにしても眠たい、早く上がってきてくれないだろうか。
「ふぁ、……わ、あ」
欠伸をひとつついた時、襖の向こう側で足音が止まった事に気が付いた。陽戸だろう。これで漸く眠りにつける。………そういえば……電気、どうしよう。
「凪乃ちゃん!おまたせ!えへへ」
「ん」
待っていたわけではない。いや、待ってはいたのだが、なにも楽しみにしていたのではない。
「えへ、えへへへ。あ、眠いよね。電気、消す?」
「……マメだけつけてて」
「わかった!」
溌剌とした返事とともに電気が落ちる。仄暗い中で橙の明かりが頼りなく和室を照らしている。どこかが燃えているみたいで気味が悪い。静寂の中に呻き声が混ざってきそうで寒気がする。
理由を聞かれなかったのは僥倖。後は早めに眠ることができればなんでもいい。その思いのまま布団に身体を埋めて目を閉じた。
閉じた視界の奥でずるりと布を引き摺る音が聞こえる。どこか陽気な鼻歌が耳を通って思考の中へとやってくる。
「ね、起きてる?」
「……ん」
起きてはいる。眠気はすぐそこにある。
少しずつ曖昧になる思考の中で。閉じた視界、瞼の奥にみる暗闇への嫌悪だけがはっきりとしている。
「ちょっとだけ、さ。そっち……行っていい?」
「……ん」
眠い。微かに開いた瞼の隙間、橙色だけが霞んでいる。もはや少しずつ夢に落ちていく感覚さえ、今は怖い。
……ひとりは、
「……凪乃。おやすみ。また──、」
ふと、指先に体温を感じた気がした。
わからない、けれど。……ひとりよりは。
今はただ、
「──また明日、ね」
夢に落ちるだけ。
***
夢を見た。
今から十一年前。
お父さんとお母さんの夢。
二人が生きていた頃の夢。
二人との最後の記憶。
転勤族だった私たち家族は三年ぶりにお父さんの故郷、鹿々桜に帰ってきた。
飛行機から見た界桜樹、綺麗だった。
お母さんは通路側の席で寝ちゃってた。大きくお口を開けてて寝顔がかわいかった。
お父さんは窓際の席を譲ってくれた。綺麗だから見ておきなさい、って。優しい声で、大きな手のひらで、頭を撫でてくれた。
嬉しくて、安心して、眠たくなっちゃったから寝ちゃったんだ、だいすきなお父さんの膝の上で。
次に起きた時はね、いつもみたいに優しく笑って「おはよう」って言ってくれるんだって。
その時まだお母さんが寝てたらね、私も真似して言うの。
だいすきなお母さんに、お父さんみたいに優しく「おはよう」って。
でもそうはならなかった。
そんな未来は来なかった。
幸せな夢は終わりを告げて。
私の人生に、明けない夜が訪れた。
***
目が覚めた時、そこには地獄が広がっていた。
木々が燃えて暗闇を照らしている。
さっきまで大空を飛んでいた筈の鉄の残骸、散らばる生命の欠片。
呻き声すら聞こえない。
聞こえてくるのは、森が焼け落ちていく音。
遠くから響くサイレンの音。
どこかから、水分をもったナニカが落ちる音。
頬を過ぎて地面を濡らしたのは何だったのか。
雨が降っていた。火を消すことはない、弱い雨が。
***
て?あし?真っ黒になっておっこちてる。
あそこにぶら下がってる、くろくてながいのはなに?
あっちのひとは、木登りしてるのかな?
でも、なんでかな、半分しかない。
なんか、うるさい。なんの声?……うるさい、だれ?
……あつい。手がいたい、足もいたいよ。おなかも、あたまもいたい。いたい、いたい、うごけない。
おとうさんは?おかあさんは?どこ?
………おとうさん……このあかいの、なに?
***
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奏元七年 七月二十六日 一時十三分
傳田空港発 鹿々桜空港行きの民間航空機が鹿々桜・白泪県境の山間部に墜落
乗員乗客二六三名のうち死亡者二六○名
生存者三名 いずれも重傷
原因は、未だ不明
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