64.エントリー③
「……ハッピーバースデー、右」
明かりを消した部屋、四つの皿を並べた食卓の上、食べ切れないホールケーキに十二本の蝋燭。
私が一人。
八月一日、弟の誕生日。
今年で十六歳を迎える筈だった弟、私の片割れ。
大切な家族。
息を吹きかけた蝋燭の火は一本だけ残っていた。
「買っておいたよ。少し高かったけど、お姉ちゃんお金だけはあるから……」
両手に抱えた『Metam-olt』の箱は綺麗にラッピングされていた。赤色のリボンは私が結んだ。
弟はゲームが好きだった。時々、一緒に遊んだ。本当に時々、だった。
私はあまりゲームというものをしなかった。家で本を読むか、外に出ても植物の採集に終始するか、その程度だった。休日に学友が遊びに誘ってくれても断ることが多かった。
私は自分勝手だった。やりたい事を、やりたい時に、やりたいだけの子どもだった。それはたぶん今でも変わっていない。
変わったことといえば自分だけの時間が増えたことだった。やりたくない事を、やりたくなくても、やらないといけない。
独りで生きるというのはそういう事だった。
「……ソフト、何が良いのかわからなかったから」
文庫本ほどの大きさの箱をケーキの隣に並べた。中には『黄昏前線』というゲームが入っている。これも私がラッピングしたものだった。傷も、皺のひとつもない。我ながら上手にできたと思っていた。
ずっと後悔していた。
弟はゲームが好きで、私はあまり興味がなかった。
気が向いた時に、本当に時々、私が弟に構いたい時に遊んだだけだった。
ずっと謝りたかった。
遊んでとぐずる弟の事を鬱陶しいと思ってしまったこと。泣きじゃくる弟を父と母に任せて部屋に籠ってしまったこと。
もっと一緒に遊びたかった。
弟はゲームが好きだった。どのジャンルが好きなのか、そこまでは知らなかった。全て似たようなものだと思っていた。知ろうとしなかった。同じ家にいて、同じ時間を共にしていれば自ずと知れる事だと思っていた。
もう知ることはできなくなった。
箱は私が開けた。ラッピングも私が破った。綺麗に、とはいかなかった。リボンは捨てた。
メタモルと『黄昏前線』は弟の為に買ったものだった。でも、それだけじゃなかった。
私は自分勝手だった。
何がいいかと選んでいた時、頭に浮かんだのは弟の事、そして夜明さんの事だった。
私の手は自ずとこの箱に伸びた。
弟が好きなゲームを考えた時にも、夜明さんの顔が浮かんだ。古社で私の首筋に弾を打ち込んだ時の、あの凛々しい顔が、私の頭の中で思い出されていた。
私の手は自ずと『黄昏前線』に伸びた。
私は自分勝手だ。
忌み嫌ったこの能力を無意識に行使した。
今、夜明さんはなにをしているのか。
『ほんの少しだけ思い通りになる』は私の興味に答えを、そして確信を落とした。
ずっと後悔していた。
弟ともっと一緒に遊びたかった。時々一緒に遊んだ時はとても楽しかった。勝っても負けても跳ねるように喜んで、私に抱きついて、膝の上に座ってくる小さな弟が可愛くて仕方なかった。
私は自分勝手だ。
弟はもういない。父も、母も。
夜明さんとの『かくれんぼ』はとても楽しかった。ヒントは与えたとはいえ、能力を見抜けるとは思えなかった。勝ったのか負けたのか、はっきりしていなくても私の胸は跳ねて喜びを感じた。
また一緒に遊びたかった。
弟とも。夜明さんとも。
私はまた会いに行く。
「……ダイブ」
能力が告げた『黄昏前線』に、夜明さんがいるのなら。
「……っ」
視界が白く弾け、視界を景色が過ぎていく。古生代から中生代、新生代に至るまで、太古の生物たちが再現されているようだった。3Dモデルは現実と見紛う程によく出来ていた。海中に居ると誤認して息を止めてしまう程にリアルと遜色なかった。
弟が見れば興奮していたことだろう。跳ね回って床を鳴らして、母から「家が傷つくから」と叱られている光景が容易に想像できた。笑っている父の姿も。
あくまで想像だ。それはメタモルを通してみる仮想空間とは違う、私の頭の中にだけ在る景色だ。
チュートリアルは不要だった。知りたいと願えば大まかな内容は頭に入った。だがそれもあくまで概略に過ぎない。操作方法から初めのアバター設定までの流れだけだ。私の願いに答えを寄越しながらも律儀に"ほんの少しだけ"を守るこの能力が、心の底から気味が悪かった。
「……《現実準拠》、と。エンブレムは、」
私の前には五種のエンブレムが並んでいた。
弟と遊んだ中でいちばん記憶に残っていたのは対戦ゲームだった。弟はよく剣を持ったキャラクターを使っていた。私は……ランダム、だっただろうか。遊びなのであればどれでも同じだと思っていた。
この時も考えたのは夜明さんの事だった。彼女が最初に何を選んだのか、それを知りたいと願った。
視線は自ずと弓のエンブレムに向いた。納得したと同時に、首筋に刻んだ藤袴を撫ぜた。《現実準拠》の通り、認識着色弾の痕さえ再現した事には驚きはしたが、瞼に焼き付いたあの凛々しい表情の前にはどうでもいいことだった。
「同じ、というのも……芸がないですよね」
私は剣を選んだ。
彼女が遠距離から戦うのであれば私は近くで彼女を支えてみせる。私が弱い部分はきっと彼女が補ってくれる。
初期装備は簡素なワンピースに、錆び付いた長剣が二本渡されただけだった。武器と拾得物のインベントリは区別されていて、武器はSTRの値に応じて五本まで持つことができるようだった。幸い、剣のジョブは初期STRが恵まれていたこともあり、初期配布の二本に加えてあと一本装備できるようだった。
このまま村から出るのはどこか心許なかったので、近場で売られていたローブと、追加の剣を買っておいた。配布のものよりは幾分か上等に見えたが、ATK値はそう変わらなかった。
初期武器に序盤の店売りということもあり不安ではあったが、《はじまりの町》から次の町である《御霊里》までの道中に遭遇した敵は難なく倒すことができた。いくらかダメージは受けはしたものの、痛覚フィードバックの仕様を把握できたと思えば悪くはなかった。
レベルも上がったことだろうとステータスを開くと、等間隔に並んだ数値のうち、二つが突出していた。
「……STRと、INTですか」
最下のLUCもそれなりに高かったものの、その二つとは比べるべくもなかった。それに、この私の運がいい筈がない。個々人の運を数値化する、その下世話なシステムそのものに不快感を覚えた。
しかしSTRが伸びた事は僥倖だった。剣を追加で二本装備して、町の周辺に巣食う敵を倒して回った。武器に耐久値というものが存在しているのかは不明だったが、目に見える程にキズが増えるごとに買い換えるよう徹底した。
二時間と経った頃だろうか。町の近くで見かける小さな体躯のものとは違う、圧倒的な威圧感を放つモンスターを見かけた。見上げる程の巨躯を前に仮想とはわかりつつも身震いした。
一度目の戦闘は一時間に渡った。巨岩のような胴体には刃が通りづらく、苦戦を強いられた。
名も知らぬ強敵がその巨拳を振るい、バランスを崩した隙を見て関節を攻め続けた。左前腕を切り落とした時、身軽になった為か、それとも怒りからか、敵の攻撃速度が跳ね上がり、初めての敗北を喫した。
《御霊里》で目覚めた私は、武器を買い溜めてすぐにその名も知らぬ強敵の元へと足を向けた。
二度目の開戦から決着まで、そうかからなった。一度敗北した後、先程までよりも明らかに身体が軽かった。
一度目の戦闘では見切られていた筈の剣筋は全て、的確に敵の関節に届いた。力を込めて振るった刃は巨岩のような胴体すら切り裂いた。
四肢を失った巨岩が泡のように弾けて消えた時、視界の端で拾得物のポップアップが表示された。確認のついでにレベルとステータスを確認しようと、ステータス画面を開いた。予想していた通り、敗北する前よりもSTR値が伸びていた。
だが、ひとつだけ予想外のものがあった。名前の横に表示されているジョブ欄には、初めは《剣士》と表記されていた筈だった。が、今は違っていた。
なぜか。知りたい。そう願えば能力は答えを落とした。
「……特性に応じて………変質する」
手は自ずと胸元のエンブレムに伸びた。手に取ってみると、意匠も変わっていた。
剣、斧、鎌、棍。多くの武器が地に突き刺さっている。その奥に大きな雫のような、揺らめく焔のようなものが刻まれた意匠だった。
特性に応じて、というなら、これが私の特性だとでも言うのだろうか。癪ではある。不愉快でもある。
だが……ほんの少しだけ、納得はできる。
「……《復讐者》」




