63.ボンド・イベント
支部を出て帰路に着き、二十時を回った頃。もうすぐ家が見えてくるというところで一度立ち止まり、開きっぱなしのスマホに目を落とす。表示されていたのは電車の中で何度も見返したメッセージだった。
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『いつ帰ってくるの(怒)』19:07
『浮気だ!!!(怒)』19:07
『(♡)』19:13
『布団敷いてあるからね!』19:14
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ついつい、頬が緩む。癒されたところでまた頭と足を動かして、家まで身体を運んでいく。
『窓』からは私と卜部さん、餅染先輩は問題なくログアウトする事が出来たが、やはり羽々斬先輩は出られないままだった。
薄暗い部屋を出る前、ピクリともしない羽々斬先輩の身体をそのままにしておくのもどうかとは思ったが、モニターの中で笑いながら「放っておいても大丈夫ですよ」と言うので、布団を掛けるだけに留めておいた。
穏やかに横たわる身体は、どう見ても、どの角度から見ても私たちと変わらない人間のようだった。人造生命なんて未だに信じられないままでいる。それにホムンクルスというならフラスコから出られないのではないのだろうか。それともフィクションのものとは定義が違うのか、謎は深まるばかりだった。
緩やかな坂を超えて田園を見る頃、今日もどこかから祭囃子が聞こえていた。頬を撫ぜる風に頼りない手提灯の灯りが揺らされて、静かなのにどこか騒がしいような気がして不気味だった。
八月の九日、『昏』が訪れて二十日と少しが過ぎた。だというのに、まだこの仄暗闇に一人で居ることには慣れないままでいた。
もう少しで廻琉に、皆に会える。数時間程度しか経っていないし、一人で行く事を選んだのは私なのに、そう思うとやっぱり嬉しかった。
でも、たぶん、おそらく。『コラボトーナメント』の事、廻琉に伝えたら怒るだろうな、なんて。きっと今日一緒に寝てくれなくなる、なんて考えると、伝えるのはまた明日でいいかとも思ってしまう自分がいた。
「おかえり!遅かった、ね!」
扉を開けると、玄関では廻琉が仁王立ちして待ち構えていた。眉間に皺を寄せて厳しい顔つきをしているつもりなのだろうが、口元が緩んでいる。声もどこか弾んでいた。廊下の奥、リビングの方からは碧の笑い声が聞こえていた。
「ただいま。お迎えありがと」
「ふ、まぁ、ね!」
廻琉の髪はほんのり濡れていて、シャンプーの甘い匂いがした。風呂上がりなのだろう、手にもまだ温もりが残っていた。
鼻歌混じりの廻琉に手を引かれ、リビングに近付くにつれて、空腹を誘う匂いが漂ってきた。支部に漂っていた消毒液の臭いとは正反対の、煮込み料理特有の優しく温かな匂いが鼻腔を満たして、小さく胃が鳴った。
廻琉にも聞こえていたようで、振り向いていたずらっぽく笑っていた。可愛くて、恥ずかしかった。けれど、まぁ……悪くはなかった。
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「──って事で、羽々斬先輩は人造生命だった」
「何言ってるのか全然わかんないねぇ!」
「ね!疲れてるのかな?」
「なぁこれ残り食っちまっていいか?」
羽々斬先輩からは廻琉と碧、兎の三人に正体を明かしてもいいと許可を貰っていた。だから話したのだが、この反応だった。当然だ、私が逆の立場でも同じ反応をしただろう。むしろ兎の冷めた反応の方が不自然だ。
三人の反応を見て、『箱庭』についての説明は避けた。いや、どんな反応だったとしてもこちらについては話はしなかっただろう。秘密にしたいからなどではなく、どんな言葉を持って話せばいいかわからないからだ。
「で、どうだったの?『黄昏前線』」
今の私の興味は、"廻琉はどこまで教えてもらったのか"、だった。
私の問い掛けを受けた廻琉は得意気に腕を組み、鼻を鳴らした。向かいに目を向けると、兎と碧もなにやら笑みを隠しきれないといった顔をしてこちらを見ていた。
「ちょー強くなった、よ!!レベル八十でね!ジョブも変質して、《恋剣》っていうのになったの!」
「明日は《崩國のカダン》に挑んでくるぜ」
「ほぅ。なかなか」
一日でレベル八十というのは驚きだった。兎と碧の指導が良かったのだろう、私は一日で三十上げるのがやっとだったというのに。ある程度ソロで進めたから仕方ないといえばそれまでなのだが、負けた気分だった。
「《恋剣》って事は、剣選んだんだ。合ってるね」
「えへ、えへへへ」
真っ直ぐなアタッカーというのは実に廻琉らしい。剣系統のように動き回りながら、それも武器を振るいながら詠唱を必要とするジョブは私には向いていない。だからか、それを選んだ廻琉の事を純粋に尊敬できた。
「でね!でね!瀧奈ちゃんと楠莉ちゃんとね!ルムマもやってね!」
「……ルムマ?したの?」
「……?うん!」
思わず空いた皿を片していた手が止まってしまった。いや、別に廻琉の自由なのだが。なにも誰か違う人とと……その、なにかをしたというわけではないのだし。
「そう、なんだ」
楠莉ちゃんからの誘いを断ったのも、私の勝手なこだわりだ。初めての対人戦は廻琉としようと、勝手にそう思っていただけだ。ゲーム、それもPvPvEなのだから、友達と遊んでいればルムマをするくらい当たり前の事だ。……その、違う人と《相棒》登録をしたというわけでもないのだし。それでも……、
「……初めては一緒が良かったな」
言葉に出さずにはいられなかった。くだらないこだわりだとは自分でもわかっている。
……誰かと付き合い始めたわけでもない、ただの遊びといっても、……その、なんていうか…………そういう遊びでもないこともわかっている。
少しの間、場が静まり返った。聞こえていたのは洗い場で碧が皿を洗っている音だけだった。気まずくなり廻琉の方に目だけを向けてみると、何故だか顔を真っ赤にして、視線は泳いだまま定まっていなかった。
「えっ、えっ、あのっ……そのっ…………おっ!お風呂!お風呂入り直してくる!あっあっ!つっ、爪!爪切ってた方がいいんだよね!たしか!」
「…………?………?……!…………っ!!違う!!違う!違う違う!!違うから!そういうんじゃなくて!」
激しく顔を横に振った弾みで視界の端に兎が映る。ほんの一瞬だったが、はっきり見えた。
この悪魔は、ここ十年で一番悪い顔をしていた。
***
お風呂に入り直そうとする廻琉をなんとか引き止め、私が湯船に浸かれたのは二十二時を回る頃だった。
浸かっている間、時々、脱衣所から扉越しに、「着替え置いとくから、ね!」「バスタオルね、良い匂いするから!洗剤変えてみたから、ね!」と声が聞こえたので念の為、浴室の鍵も閉めておいた。……そういうのはまだ早いからだ。そう、早いのだ。
脱衣所を出ると予想外な事に廻琉はそこに居なかった。布団は敷いてあると言っていたし、廊下は暑いし、先に部屋にでもいるのだろう。そう思いつつ、足早に自室へと向かった。
襖を開けるとやはり廻琉はそこに居た。ぴったりくっつけた布団の右側に座り込んで、綺麗な長髪を梳かしていた。
「長風呂だった、ね!」
いつになく色気を増しているのに、その笑顔は子どもっぽくて、無性に胸が跳ねた。
時間も遅いし、明日も互いに用事があるということもあり、部屋の電気は早めに消された。二つ並んでいる筈なのに布団の中は狭かったが、それでも良かった。
二人分の体温で布団の中が温まった頃、眠気が差し込んできた頭で、大事なことを思い出した。
「……廻琉、まだ起きてる?」
「ん!」
怒る、かな。部屋に戻ってしまうかもしれない。それは嫌だった。けれど、そのまま言わずにいることはもっと嫌だった。
「『深沁港夜市』のトーナメントね。……卜部さん達と出ることになったの。………ごめん、一緒じゃなくて」
しばらくの間、廻琉は返事をしてくれなかった。けれど、手だけはずっと握ってくれていた。しばらくして、廻琉の腕が肩に触れた。
「……ん。大丈夫!きっとなにか理由があるんだよ、ね!」
寂しさのようなものを感じる声だった。きっと私も同じだったから、声ではなくて、頷くだけで返した。
布団が揺れて、肩に触れていた廻琉の腕が背中まで回った。そのまま身体は前に引きずられて、耳元で廻琉の声が聞こえた。
「ちょっと……ううん。凄く残念だけど、でも、話してくれて嬉しい、な」
「……ん。……初日は一緒に回れないか…………卜部さんに聞いてみるから。まだわかんないけど、だから……良い?」
「ん!」
その短い返事に、私の不安は救われた。
杞憂だった。廻琉は私の事を信じてくれていた。
長い夜はいつの間にか更けていて、今日は夢は見なかった。




