62.クエスト・インタラクト③
"なぜ砂溟さんを連れてこなかったのか"と、羽々斬先輩からそう問われた餅染先輩は、じっと白無垢の壁を見つめたまま言い淀んでいた。
餅染先輩に向けられた羽々斬先輩の声色は聞いた事がない程重たく、支部に着いた時の卜部さんとのやり取りとも違う冷たい空気が場を満たしていた。
数秒、沈黙が落ちた。小さく唾を飲む音が聞こえて、餅染先輩が口を開いた。
「……話せませんでした。すみません」
「話せなかったとは?左ちゃんとは会ったのですか?それとも会った上で話せなかったのですか?」
羽々斬先輩は間を置かず、そう問いかけた。まるで餅染先輩の言う事がわかっていたような早さだった。
私はといえば、状況が理解出来ずにただ呆然とするばかりだった。
「後者です。……会えたのは『望雲之廟』脱出後、指示を頂いた時になりますが」
「七月十三日と。以降は会えていないという事ですね。左ちゃんは何か言っていましたか?」
「……特には。介抱ののち、大きな怪我も無さそうだったので、一言二言交わしてから………帰宅を促しました」
「結構です」と小さく呟き、羽々斬先輩はまた、その場に腰を下ろした。餅染先輩は立ったままだった。
張り詰めた空気に釣られたのか、私はいつの間にか立ち上がっていた。羽々斬先輩の隣に腰掛けていた筈の卜部さんは、そんな私の傍に移動してくれていた。
卜部さんの手招きに応え、隣に私が腰掛けた頃、羽々斬先輩が口を開いた。声色には元の明るさが戻っていた。
「渚ちゃん。お話を。凪乃ちゃんにもわかるようにお願いしますね」
その場で腰を下ろし、膝を抱え込むような姿勢のまま、餅染先輩は話を始めた。普段のようなひょうきんさはそこにはなかった。
「砂溟……ひーちゃんは私の姪っ子。千景く……主任からは花火大会の『望雲之廟』にひーちゃんも入ったって聞いて出てくるのを待ってた」
私にはまだ、何の話なのかわからなかった。『望雲之廟』で砂溟先輩と会ったのは私と廻琉だけの筈だが、羽々斬先輩も知っていたということになる。
どうして知っていたのだろうか。私からは話していないし、廻琉から聞いた……というのも考え難い。
とりあえず今は疑問は置いておいて、餅染先輩の話に耳を傾けることにした。
「……その時、主任からは今日ここに連れてくるようにとも言われてた。……それを話せなかったってだけ」
そう言って、餅染先輩は顔を伏せた。
数秒して、私の隣から舌打ちが聞こえてきた。卜部さんのものだった。苛立ちを隠そうともせず、爪先で床を叩きながら、卜部さんが口を開いた。
「話せ言われたんはそれだけやあらへんよな。どうして帰した?どうして腹割って話さなかった?どうして今までみたいに逃げた?言うてみいや」
「……話せなかったの。私にはもう……あの子と話す資格なんて無い」
まくし立てるような卜部さんの言葉に、私の心臓が跳ねた。驚きや恐怖からではない。薄らとではあったが、どういう話なのかがわかってきたからだった。
あの時、砂溟先輩はご家族の話をされていた。
私が乗っていた、白泪県境に落ちたあの飛行機に、砂溟先輩のご家族も乗っていたと。
ご家族を亡くされてからきっとあの人は孤独だった。
私も同じ……とは言えなかった。私には碧と兎がいてくれたから。祭歌先生だって、沢山のことを手伝ってくれたから。
あの日以降、砂溟先輩の周りには誰かがいてくれたのだろうかと、そう考える時があった。
"どうして逃げた"の意味を考えれば考える程、鼓動が早まった。
「……事故の後、会ってあげていなかったんですか?」
言葉に出さずにはいられなかった。
顔を伏せながら小さく頷いた餅染先輩に、僅かながらも軽蔑の念すら抱いた。
砂溟先輩は傳田の出身だとお聞きしていた。事故の後にわざわざ鹿々桜まで来たのは、親類を頼る必要があったからだろうと思っていた。研究所に勤め始めたのも、私と同じで生活費の為だろう、そう思っていた。
もし、もしもだ。餅染先輩を頼りにしていたとして、近くに居る為に百目鬼研究所に来たのだとしたら。にも関わらず、会うことすら拒まれていたのだとしたら。
もしそうであるなら……私はこの人を許せないかもしれない。
「どうしてですか」
「………言えない、ごめん」
舌打ちは私の隣から聞こえた。今この瞬間、卜部さんの気持ちが理解できた。
ただ、"言えない"という事であれば、なにか事情があるのだろう、そう思った。……そう信じる事にした。
「では!よろしいですか?」
息の詰まる静寂が部屋を満たして数秒ほど、羽々斬先輩が手を打ち鳴らした。乾いた音と共に、私と卜部さんの視線は羽々斬先輩へと向けられた。餅染先輩は顔を伏せたままだった。
「お願いについて、です。あなた方にはチームを組んで、来週に控える『深沁港夜市コラボトーナメント』に出て頂きたい」
「……どうしてですか?」
次に口を突いて出たのは純粋な疑問だった。
『望雲之廟』、『乂種』の発生が懸念されるという話から続くものにしては、あまり脈絡が見えなかった。
「一日目は深沁港現地での開催ですね?会場の巡視に回って頂きたいのがひとつ」
羽々斬先輩が右手の指を一本、二本と立てて見せる。
卜部さんはそれを見て、腕を組みながら眉間に皺を寄せていた。
「二日目は『黄昏前線』ワールドでの開催ですね。これは仮説段階ですが、『望雲之廟』が開かれるのが現実世界だけでないとしたら?『乂種』の発生が仮想空間にもあり得るとしたら?これを防いで頂きたいのがひとつ」
「そんなもん有り得るんか?」
卜部さんの問い掛けに、羽々斬先輩は左手の指を三本立て、言葉を続けた。
「一つ。超常技術を転用したデバイス等はプラグインとして、仮想空間内での使用が可能であること。
二つ。仮想空間内においても能力の使用が可能であること。
三つ。これは万が一です。"啓示"の対象に仮想空間内のNPCも含まれている可能性を否定できていないこと」
根拠とされるものを一つ説明するごとに一本、二本と指を折り、三つ目を終えた時、羽々斬先輩は懐から黒い楕円形のケースらしきものを取り出した。
カチリ、と小さな音を立てて開かれたそれの中には、淡い琥珀色に灯る一対のコンタクトレンズが入っていた。
「凪乃ちゃんは初めましてですね。『エディタ』というデバイスのひとつです。見ての通り、目に装着して使用するものです」
『エディタ』。軽くではあるが、これについては兎からも話を聞いていた。兎が着けたのは眼鏡型だったそうだが、酷い頭痛がしたと話していた。二度とつけるか、とも。
「これにはいろいろな用途がありますが、主なものは空間把握と他者の感情理解に絞られます。といっても、適性がなければ激しい負荷を伴いますし、あくまで装着者の考察力ありきのものです」
それだけ言ってケースは閉じられ、再び羽々斬先輩の懐へとしまわれた。
先程の三つの根拠との繋がりがわからないままの私に、羽々斬先輩は話を続けた。
「『乂種』は心に闇を抱える者につけ込みます」
羽々斬先輩は私を見ながら、そう言った。意味深に自身の左の首筋を軽く指で叩いて見せて、笑みを浮かべていた。
心当たりはあった。十中八九、砂溟先輩の事だろう。
左の首筋、砂溟先輩に打ち込んだ認識着色弾の着弾箇所だった。"どうして知っているのか"は聞く必要はなかった。羽々斬先輩は『エディタ』の機能のひとつに空間把握と言っていた。『望雲之廟』で使用していたなら、私と砂溟先輩の事を知っていたとしても不思議ではなかった。それに、彼女が心に闇を抱えているのは疑うまでもなかった。
『望雲之廟』での豹変ぶり、『あまいものまつり』での落ち着き様、そして隠す気もない私への執着。
『深沁港夜市』には、元々私も廻琉たちと参加するつもりだった。『あまいものまつり』で砂溟先輩の言い残した言葉を思えば、また私に会いに来る可能性は高かった。
『乂種』が発生したなら、つけ込まれるのが砂溟先輩である可能性は………否定できない。
「ここ数日、オレが『窓』から出られていない事も懸念のひとつです」
羽々斬先輩は姿勢を崩しながらそう言った。卜部さんは私と羽々斬先輩の間で天井を見上げ、なにやら考え事をしているようだった。
「仮想空間に『望雲之廟』が開かれてしまった場合、今のオレのように意識だけが囚われる状態になるのであれば面倒と言わざるを得ません」
意識だけが囚われる。つまるところ、現実世界では、意識不明になったように見えるということだろう。
全プレイヤーが、必ずしも周囲に人がいる状態で仮想空間に接続しているとは限らない。一人暮らしであるならば、尚のことリスクは高くなる。
『乂種』につけ込まれるのが砂溟先輩だとしても、そうでなくても、現実世界で身体の発見が遅れる可能性は大いにある。
「出られない言うてるけど、こないだアタシは出られたしな。今日だってログアウトボタンも出るし、あんたのが壊れてるだけとちゃうん?」
卜部さんは宙にくるくると二回、丸を描いてメニュー画面を表示させた。表示方法とUIは、明らかに『黄昏前線』のものと同一だった。
「オレのはコネを使って手に入れた未発売の最新機種ですよ?ふふ、羨ましいですか?届いたばかりですしね。初期動作確認も問題ありませんでしたし」
羽々斬先輩は自慢げに鼻を鳴らしていた。その頭に卜部さんの拳が落ちているのを横目に、私も真似をして宙に二重丸を描いてみると、メニュー画面が表示された。
右下に《ログアウト》と表記されている。やはり、『黄昏前線』と同じものだった。
「ワールドは違いますよ。出入りをスムーズにする為に技術を流用させてもらっているだけですから」
メニューに続いて、ステータス画面を表示させていた私をみて、羽々斬先輩はそう言った。
そして、「見ててくださいね」とだけ言って、羽々斬先輩はメニューを開いた。
「こうなるんですよ」
羽々斬先輩がログアウトボタンを押して数秒、ノイズが掛かったように輪郭が歪み、一瞬、姿が薄まったかと思えば、元の状態に戻った。
ログアウトボタンを押す度に羽々斬先輩は同じような状態になり、隣で試していた卜部さんは問題なく姿を消し、改めてログインし直すことで正常に出入り出来ることを示してくれた。
「やっぱあんたのが壊れてるだけちゃうのん?」
「他のもので試せれば良かったのですが、如何せん出られないものでしてね。こればかりはなんとも言えません」
羽々斬先輩はひとつ息をついて首を横に振った。それを聞いた卜部さんはまた腕を組み直し、小さく唸るばかりだった。
「可能性としてですが、オレは人工心臓を通して仮想世界である『箱庭』に強く結びついています。意識の接続先が『窓』もとい『箱庭』の仮想世界側にもあるとするならば、帰還処理の際にそちらが優先されている可能性があります」
羽々斬先輩は心臓の当たりを人差し指で叩き、天井を仰いだ。
「閉じ込められる少し前、ですね。『黄昏前線』の開発環境においてもNPCの接続情報に不可解な異常が確認されていると報告がありました」
卜部さんの唸り声が大きくなる。
「プレイヤー側から……楠莉ちゃんからもですね。似たような報告を聞いています」
首を傾げる卜部さんを見て羽々斬先輩は笑いながらそう付け加えた。
楠莉ちゃん、というと『あまいものまつり』で会った子だ。瀧奈ちゃんからゲームを教えてもらっているとも言っていた記憶がある。
ふと視線を落としたメニュー画面の左上には十八時と表示されていた。……廻琉も今頃兎たちに教わっている頃だろう。
「何にしても、可能性を排除しきれない以上は警戒するに越したことはありません。事実、オレの身にも原因不明の異常が起きているわけですから」
詰まる空気を切り替えるように、羽々斬先輩が声を和らげて言った。
可能性と言うならば、私が重視するのは砂溟先輩の存在だ。砂溟先輩が私を追って来る可能性、そして『乂種』に狙われる可能性があるならば、それを防げる可能性があるならば、私はそうしたい。
「ここまで聞いて、依頼を受けていただけますか?」
部屋の隅、視線を向けた先で、餅染先輩は未だに顔を伏せたままだった。……もし、だ。二人が話せるように取り計らえるならば、それに超したことはない。
「凪乃ちゃん、どないする?」
廻琉には謝らないといけない。
ただルールの都合上、合流できる可能性は残されている。上限の四人に満たないチームが勝った場合、相手チームから一人引き抜く事ができる。
「……受けます。私と卜部さんと、餅染先輩の三人で。
『コラボトーナメント』に出場します」
それを聞いた羽々斬先輩は満足そうに頷いていた。視界の端で餅染先輩が顔を持ち上げるのが見えた。拒否する様子はなかったが、されていたとしても、私はそれを受け入れるつもりはなかった。
「ここからはオレの予測、妄想混じりの予想になります。三日目の『白鯨撃滅戦』。その目玉である《白鯨》。コイツの開発が始まってからというもの、先に述べたバグの報告が増加傾向にあります」
焦らすような物言いだったが、言いたい事は伝わっていた。仮想空間における"殺す"という行為、討伐が果たしてどれだけの意味を持つのか、私にはまだわからない。
ただ、今はわからなくてもいい。守れるなら。
「あなた方に目指していただきたいのは」
砂溟先輩も。
「………優勝、ですね」
お祭りを楽しむ筈の、私の廻琉も。




