59.vs薄食・丹蓯③
碧と別れ、山林地帯へと足を向けた廻琉は隠密行動をとりつつ、瀧奈チームのリスポーン地点を目指して歩みを進めていた。
開戦直後、兎が放った《涙涙歪重》。その効果範囲を外れた山林には、今なお背の高い木々が青々と生い茂っていた。
「……初めに三体で、一体。で、ドラゴン。……で、えっと………二体、かな」
会敵した使役モンスター、そして待機部屋のモニターの端に映り込んでいた二体の牙獣らを、廻琉は頭の中で数え直していた。その両手には、刀身の短い双剣が握られている。未だ姿を見せない瀧奈の使役モンスターが潜んでいる可能性を考慮し、極力目立たないようにと、大剣から切り替えていたのだった。
やがて、山林の向こうに緑の丘陵が見えてきた。緩やかな波を描くように、草原の起伏が幾重にも連なっている。
森の外縁、木陰に身を潜めた廻琉がぽつりと零した。
「そろそろ、かな」
ほどなくして、その視線の先に一人の少女が現れた。
三分間のインターバルを終え、戦場へ復帰したばかりの楠莉だった。
「あんまりです……。こんなの尊厳がないです……。乙女として…………こんなにカワイイジブ──」
「ねぇねぇねぇ!ちょっとお話しよ、ね!」
肩を落としていた楠莉へ、笑顔の廻琉が右の短剣を振り下ろす。
「───うぁっ!?」
楠莉は咄嗟に腕を跳ね上げた。金色の籠手が刃を受け止め、鋭い金属音が丘陵に響いた。
「あんまりですこんなの!リス狩りですか!」
楠莉は悲鳴じみた抗議と共に、籠手で短剣を跳ね上げた。続けざまに迫った左の刃も弾き返し、その勢いのまま廻琉へ拳を打ち込む。
廻琉は身を翻して拳を躱し、後方へ跳んだ。草を踏みしめ、軽やかに着地する。両脚には火が灯っていた。
「兎ちゃんから聞いた!研究所の!凪乃と同じとこで働いてるって!」
廻琉は笑顔のまま、楠莉との距離を詰め続けた。双剣には両脚と同じく、淡い火が灯っている。
「それに、さ!拳だよね!凪乃と一緒!スタイルもさ、似てるよね、たぶんだけど!」
廻琉が右の短剣を振るう。剣の軌道に沿って生まれた火の輪が弧を描き、唖然とする楠莉へと襲いかかる。
「いぃいっ!一個ずつ!一個ずつお願いします!」
廻琉が双剣を振るう度三つ、四つと火の輪が放たれる。楠莉は迫る炎を籠手で弾き、じりじりと後ずさる。しかし、廻琉の足取りは止まらない。
「研究所ではさ!凪乃、どんな感じなのかな?やっぱり皆に好かれてるのかな?モテてるかな?彼氏とか、彼女だったりしたかも?これまで、さ!わたしの知らない凪乃のこと教えて、ね!」
「いっ!一個ずつって言ったじゃないですか!」
「デートとかもうしたことあったのかな。手繋いだり、ご飯食べたり、ね。もっともっとさ、知らない?知ってるかな?」
「っ!くどい!!」
楠莉が勢いよく足を踏み下ろす。
地面が震え、足元から亀裂が走る。裂け目は瞬く間に草原を駆け、正面の廻琉へと迫った。
「うわわわわ!!!」
「《八艘跳び》!」
亀裂を避けるべく後退した廻琉の視界から、楠莉が消える。息を呑み、瞬時に視線を巡らせるが、楠莉の姿を捉えることは出来なかった。一度、二度。空気を叩くような音だけが響く。
「直接お会いしたのは『あまいものまつり』が初めてで!ゲームもまだご一緒した事はありません!ルムマも断られましたから!」
廻琉の背後から楠莉の声だけが届く。
三度目の空気を叩く音に続いて、廻琉の視界の端、右側にある草が揺れる。振り向いた廻琉の視界に楠莉は居らず、また声だけが届いた。
「好かれては!いると思いますよ!お話を聞く事も多いですから!」
「んぐっ!」
背後から。声だけでなく、拳によるダメージも添えられていた。たじろぐ廻琉の耳に、三度空気を叩く音が届き、続けざまに楠莉が言葉を繋げた。
「モテてるかはわかりませんが!学校の方では!告白されることもあるようで!中高通し!片手では効かないほどに!」
「んなっ!あっ!」
左右から打ち込まれた金色の籠手が、廻琉の双剣を跳ね上げた。甲高い金属音と共に双剣が宙を舞う。
咄嗟に剣を追った廻琉の視線、その死角、両の拳を構える楠莉が姿を現す。
「廻琉さん!あなたの気持ちは分かります!」
「んっ!んんぅっ!」
声に反応し、廻琉が身を捻る。手には火の灯る大剣が握られている。
「んんぁあっ!!」
廻琉が大剣を振り抜く。
しかし、刃が空を裂くより早く、破裂音が鳴り響いた。楠莉の姿がかき消え、炎を纏った大剣はその残像を追うばかりだった。
「心配なんでしょう!」
楠莉の拳が、大剣を握る廻琉の両手を捉えた。
「いづっ!」
指から柄が滑り落ちる。勢いを失わぬまま宙を舞った大剣は、丘の斜面を越えて姿を消した。
「ジブン達は仕事柄、各個のパーソナルな情報を蒐集しています。百目鬼研究所は問の全てに答えを持ちます。そしてそれは廻琉さんも例外ではありません」
武器を失った廻琉が、力なく膝を着く。
破裂音と共に、楠莉が廻琉の前へと姿を現す。声が聞こえていて尚、廻琉の視線は地面に向いていた。
楠莉は腰を落とし、黄金を纏う右拳を廻琉へと構えた。
「同僚ということもあります。ジブンに目を付けたのは正解と言えるでしょう。しかし!」
金色の籠手が項垂れる廻琉へと打ち込まれる。
草原を映す廻琉の視界の端で、体力ゲージが僅かに減少した。
「そういった事は本人と直接話すべき事だと、ジブンは考えています」
拳は廻琉の頬を掠め、拳圧は廻琉の赤い髪を揺らした。
ゆっくりと顔を擡げた廻琉に、楠莉が山林地帯のさらに奥を指して示した。
「王戦も終わるまでもう少しあります。こちらは恋バナでもして時間を潰しましょう」
廻琉が《ボレウス》に敗北を喫した場所だった。
現在地から遥か遠いその場所では、空に向けて伸びる細長い黒いものがあった。
「どうせジブン達の勝ちですから!フフン!」
うねりながら地上を叩き付けるそれに向けていくつかの魔法が飛び交う様子から、戦闘中である事は廻琉の目にも明らかだった。
廻琉はその景色を見守るように、膝を抱えて座り込んだ。その隣で、楠莉は草原に身を投げ出し、目一杯に手足を伸ばしてひとつ欠伸をついた。
「今日ご一緒していない事が理由ですか?」
楠莉の問いかけに、廻琉が小さく頷いた。
戦場から届く轟音と地響きが二人の身体を小さく揺らしていた。
「……お留守番しててねって言われた。用事があるからって。………ついてきちゃダメだからねって」
廻琉は膝を抱えたまま、ボヤくように言った。
「……こないだも、ね。隠れて出掛けた事あったんだ」
「ついて行きたかったというより……言ってほしかった、ということですね?用事が何なのかが気になると」
廻琉が頷く。先程よりも大きく、二度首を縦に振った。
「……そう!今日なんてね、兎ちゃんだって着いてないのに、さ。………またどっか行っちゃったら、って思ったら」
そよ風が草原を撫でる。遅れて、遠方の戦場から地響きが伝わってきた。彼方では、立ち並ぶ木々を見下ろすほど巨大な三段パンケーキが聳え立っていた。
「聞き及んでいます。不安な気持ちもわかりますよ。
でも今日は……いや、そうですね。これも本人から聞くべきですね」
「?」
区切られた楠莉の言葉に、廻琉は首を傾げた。
楠莉は大きな欠伸をついたのち、勢いよく上体を起こし、廻琉に向けてにっこりと笑って見せた。
そのずっと向こう側では、細長く伸びる黒いものが膨れて上がり、弾け飛んでいた。爆音が遅れて届き、爆風はそよ風となって二人の髪を梳いて過ぎていった。
「ところで廻琉さん。凪乃先輩は出掛ける前に何か言っていましたか?」
「……?行ってきますって言ってた、かな。いつもみたいに。あ!あとね。兎ちゃんと碧ちゃんの居ない時ね。『いい子で待っててね』って手握ってくれた!ぎゅーって!えへへへ。あ!!これ二人には内緒、ね」
声を弾ませる廻琉を前に、今度は楠莉が膝を抱え、顔を伏せて肩を震わせていた。数秒して、顔を上げた楠莉の目に映ったのは、目を細めて右の手のひらを見つめる廻琉の姿だった。
「……別れ際の言葉は"約束"だと、瀧奈ちゃんのお母様が言っていました」
ひとつ息をつき、楠莉は言葉を続けた。
廻琉は右の手のひらを何度も何度も左手で触れ、揉み、撫でた。それでも耳だけは楠莉の方へ傾けていた。
「『行ってきます』と言ったなら、それは"必ず帰る"という約束です。『またね』も、また必ず会うという約束なんです」
「……約束」
廻琉は楠莉の言葉を確かめるように反芻した。思い浮かべていたのは今日の昼、出掛けていった凪乃の姿、そして花火大会の日、飲み物を買いに行くと場を離れていく凪乃の姿だった。
「不安は消えないでしょう。世で交わされる全ての約束が必ず果たされるとは限りませんからね」
廻琉は俯き、小さく頷いた。右手は強く握りしめられていた。
「それでもジブンは嬉しいと感じます。
瀧奈ちゃんの家にお泊まりした日、帰る前に瀧奈ちゃんは『また明日ね』と、ご両親も『また来てね』と、必ず言ってくれます。必ずです。毎回、欠かさず交わしてくれるのです」
「……ん」
寝転がり、空を見上げる楠莉に、廻琉は小さな返事だけを返した。
彼方では大翼を携える影を中心に四つの竜巻が木々を薙ぎ倒し、聳え立つ巨大パンケーキを粉微塵に散らしていた。
「………恋バナなんだけど、いいかな」
戦場を見つめたまま尋ねる廻琉に、楠莉は小さく笑って肯定の意を示した。
竜巻に砕かれたパンケーキがその姿を消した頃、大翼の影と竜巻に向け、地上から無数の鎖が伸びていくのが廻琉の目に映っていた。しかし、廻琉の関心はそこにはなかった。
「……凪乃、さ。誰かと付き合ったことあるのかな」
また膝を抱えてしまった廻琉を見て、楠莉は声を上げて笑ってから、きっぱりと言い切る。
「ない!……と、お聞きしています!男性とも女性とも。デートも、恋人としてのお食事も。もちろんですが、廻琉さんの心配しているその先も」
「ほんと!?」
表情を明るくした廻琉に向けて、楠莉は親指を立て、ウィンクをひとつ飛ばした。
「兎さん、そして他の御学友の方々からもそうお聞きしています。どうしても心配なら本人に聞いてみるのが良いでしょう」
嬉しそうに目を輝かせるやいなや、小首を傾げてしまった廻琉を見て、楠莉は人差し指を立てて口元に添えた。
「恋バナ、ですからね!」
「……えへ、えへへへへえへへえへ」
楠莉と同じく、廻琉は目一杯に手足を広げ、草原に身を投げ出した。
戦場から小さな地響きがひとつ届き、鳴り続いていた爆音が嘘のように静まり返った。
程なくして、空を見あげていた廻琉の視界には《LOSE...》の文字が表示された。




