58.vs薄食・丹蓯②
兎は捨て台詞を遺し、泡のように弾けて消えた。楠莉は兎の立っていた場所に目を落とした。地面は開戦時に圧し潰された木々がコルクボードのように敷き詰められているばかりで、楠莉の目には罠が仕掛けられているようには映らなかった。
「《禁術》なんてもの、ジブンのリサーチには……」
小さく声を零した時、遠くから迫る声を楠莉の耳が拾う。すぐさま振り向くも、時は既に遅かった。
「いぃぃーーーーよぃしょおおおっ!!!」
大きく振りかぶられたフライパンが楠莉の顔面に直撃する。鈍い音と共に後方へと吹き飛ばされていく中、思わず閉じた瞼の裏で《熱傷》のポップアップが映った。
「っつぅ……。よくも!顔はやめ──」
体勢を立て直し、反撃の意志を見せたのもつかの間、楠莉の耳元に誰のものでもない囁きが届く。
『《貳と》』
「なん───」
振り向く刹那、楠莉の視界に映る体力ゲージが《熱傷》により削られた。体力はほぼ満タンに近い楠莉にとって、ごく微量のスリップダメージは些事に過ぎなかった。
『《突く》』
筈だった。
「んなっ!」
理解よりも先に楠莉のアバターが弾け飛ぶ。
「つぎつぎぃ」
泡の弾ける横で、碧は《魔菓子職人》のパッシブスキル《太陽の手》でフライパンを熱していた。
弾けた水泡が空へと立ち上り、海へと帰る──
「ケツ叩きだねぇ、ケツ叩きにしようねぇ」
──事はなく、地面より伸びた無数の鎖によって一粒一粒が捉えられていく。捉えられた泡は地に叩きつけられ、徐々に元の形状へと戻されていく。
「……待機部屋…………じゃない!どうして!!んぐっ!ぐぬっぅぅう!!」
楠莉の四肢は地面から伸びた鎖によって固定されていた。膝を折り、上体を伏せたその姿は、まるで地面に縫い付けられているようだった。
碧がフライパンを振り上げる傍らで、楠莉は無詠唱《金獣憑依》による脱出を試みていた。が、無機質な鎖の前には無力だった。食いしばり、地を震わせ、地表に蜘蛛の巣状の亀裂を走らせて尚、鎖は四肢を封じる力を緩めることはなかった。
「無駄なんだよねぇ。あよぃしょおぉ!!」
乾いた高音と共に楠莉の悲鳴が木霊する。視界には《熱傷》のポップアップが映っていた。
「そんなに痛くないでしょお」
「いっ!いつっ!痛みっじゃっ!なくって!恥じっ、恥じらいです!」
体力ゲージが半分を切って尚も拘束を続ける鎖に、楠莉は恐怖、そして疑問を覚えた。
自身の臀部に対して無慈悲にフライパンを振るい続ける幼い悪魔に怯えながら、楠莉は尋ねた。
「なんなんですかこれぇ……。こんなの知らないぃ」
「《命造鎖罰》のこと?これねぇ。四つの効果があるんだけどねぇ。んよぃしょぉっ!」
一際大きく振るわれたフライパンが奏でる小気味のいい音に続いて、碧は説明を始めた。
「まずね、二回ダメージを受けたらデスるの。で、帰還阻害と復活強制ね。そんで次にデスるまで拘束!わかったかなぁっ!」
「ぐぅっ!むっ、ムチャクチャです!壊れてます!それに……づうっ!《千の賢者》のスキルにっ、《禁術》なんてなかった筈です!ぐっ!リサーチしたんですから!」
碧は一度フライパンを振るう手を止め、インベントリから赤色のマフィンと黄色のマカロンを取り出した。
両頬に含み、顔の横に攻撃力大アップのバフ効果を表示しながら、楠莉に向けて言葉を掛けた。
「兎ってさぁ、嘘つきでしょ?でも!あんまり喋ると怒られちゃうからね!そろそろっ!決めちゃおうねぇ!」
「づぅっ!ならっ!一思いにっ!もっと……ぐっ!強い攻撃スキルとか!あるでしょう!」
「《魔菓子職人》の攻撃スキルってさぁ」
楠莉の言葉を受け、碧の顔に影が差す。碧は視線を落とし、口を窄めた。楠莉に向けて呟いた声は、少しばかり申し訳なさげであった。
「無詠唱の《フライパン叩き》しかないんだよねぇ。時間かかっちゃってごめんねぇ」
「あっ、あんまりです!あんまりですよ!!」
楠莉の抗議も虚しく、圧し潰された山林にはしばらくの間、小気味よい音が響き続けていた。
***
時を同じくして、待機部屋にてリスポーンを待つ廻琉と兎はモニターから戦場の様子を覗いていた。
「──っつースキルだ。ペナルティも重い。PvP、それもフレ同士のルムマでしか使えねぇ」
「はぇえ。じゃあ《カダン》では使えないんだ」
「今度の『深沁港夜市コラボ』でも、だぜ」
兎がしたり顔で頷く。
瀧奈率いる《ボレウス》に敗北した廻琉は三分のインターバルの間、後入りで訪れた兎から戦況の報告を受けていた。
本来の廻琉チームの作戦では、突破力に優れた廻琉の後を兎と碧が続く予定だったが、楠莉の奇襲によって変更を余儀なくされていた。
「《禁術》は四人で遊ぶ時に驚かせようと思って準備してたんだ。アドリブだったが意外とハマったな」
戦場を映す壁掛けのモニターには、碧の振るうフライパンが楠莉を撃破する瞬間が映っていた。泡のように弾ける直前に映った楠莉の顔は、すっかり半泣きになってしまっていた。
「なかなか意地が悪い、ね」
「褒め言葉だぜ」
兎は口の端を吊り上げた。
どこか満足気に腕組みしてモニターを眺める兎に、廻琉が尋ねた。廻琉の視界に映るカウンターには残り二十秒と表示されていた。
「ね、この後どうする?碧ちゃんと合流して、さ。たしかどっちも復活権あと一回だよ、ね?」
「瀧奈から言質取れたんだろ?じゃ目標は達成。あとは好きに動いてもいいぞ。楽しもうぜ、せっかくだしさ」
兎はスキル一覧を確認していた。廻琉が覗き込むと、兎は残り四つの《禁術》を指して示した。
「あたしも好きにするからな」
「ふふっ。……かなり、だね」
廻琉のアバターが白く弾け、碧の待つ戦場へと転送が始まった。程なくしてモニターには砂浜に降り立つ廻琉と、それを迎える碧が映っていた。
静かになった待機部屋で、兎は本を取り出し、ジョブ独自のメニュー画面を表示させた。
「褒め言葉だぜ」
***
廻琉と碧は合流したのち、兎の意向と次の動き方について打ち合わせを行っていた。
王戦開始よりはや十五分、既に折り返しを迎えたにも関わらず、瀧奈の操る《ボレウス》が廻琉チームの砂浜へと侵攻してくる様子はなかった。
二人は不可解に思いつつも手早く作戦会議を済ませ、改めて分断行動を取ることに決めた。
「じゃ碧ちゃん!わたしやりたいことあるから!また後で、ね!」
「わたしこの辺にいるからねぇ」
碧は海原に面した砂浜の中ほどで、頭だけを出して砂に埋まっていた。周りには同じような形で盛られた大量の砂の山があった。
緊張感に欠け、隠密行動とは程遠く、カモフラージュとするには稚拙な碧の行為には、『黄昏前線』における裏ステータスの存在を知るが故の理由があった。
裏ステータス。
HP、ATK、VITなどの基本ステータスとは異なり、プレイヤーの身体情報やパーソナリティに依存して決定される、非公開の能力値の総称である。ステータス画面に表示されることはないが、ゲーム内部では数値として扱われていた。サービス開始から十年。兎含む攻略班をはじめとする熟練プレイヤーたちの検証によって、現在までに六種類の存在が確認されている。『隠密性』『思考速度』『急所』『集中力』『成長率』、そして『愛嬌』。
いずれにおいても算出方法は未だに不明瞭だったが、攻略班の懸命な検証実験により、数値に影響を及ぼしていると考えられる諸要素の絞込みは進んでいた。
とりわけ、碧は『隠密性』と『愛嬌』に極めて高い適性を示していた。
『隠密性』の数値はプレイヤーの現実世界での体格、そして『愛嬌』はプレイヤーの思考パターンと仮想空間内での振る舞いが特に大きく影響するとされている。
廻琉が討伐した三体の翼獣の他、二体の牙獣が地上の索敵に放たれていた。その二体は、既に幾度となく砂浜に埋まる碧の姿を目にしていた。
「おぉ〜よしよしいい子だねぇ。あっち行ってねぇ」
にも関わらず、彼らは碧を敵として認識できていなかった。ましてや、
「ほほぉ〜こしょばいよぉ」
頬を舐めるほどに敵意を抱いていなかった。
どこまでが裏ステータスによるものなのか碧自身にも不明瞭ではあるものの、数年のプレイ経験から"そうなる"事を確信していた。
ややあって、碧の横に寝転がる牙獣に岩の槍が突き刺さる。
「あぁ〜あぁ仲良くしてたのにぃ」
「念の為な、念の為。なにやってんだこれ」
インターバルを終えた兎の無詠唱《岩槍》だった。近場に盛られた砂の山を蹴り崩しながら歩み寄る兎に、碧は眩しい笑顔を向けた。
「隠密作戦!うひひひ!上手くいってるんだよ!」
「……んふっ。…………へぇ」
裏ステータス『愛嬌』。現在判明している仕様は二つ。ひとつは獣系統モンスターのヘイト値を減算する。これはプレイヤーのとる行動によって可変する。
「王!だからねぇ」
もうひとつは、
「………んふ……んふふっ。……たまんねぇ」
兎への特効。




