5.月に叢雲③
「ねぇっ!ねぇ……!しっ、しんっ、し───」
「……これ見てて」
能力名の一覧を陽戸へと押し付け、目だけを兎に向けると、口元をおさえたまま肩を揺らしているのが見えた。察しが良いようで本当に助かる。
慌てふためく陽戸は一旦置いておいて、私は赤い液体の中に伏した皋のもとへと歩を進めた。
(……脈はある。息もしてる。顔色も悪くない)
そしてにやけている。下手な演技だ。まぁ、メインターゲットには通じているようだから上出来だろう。
「……ん?」
皋の上体を起こしたところで、顔を伏せていた場所に赤い文字が隠されている事に気が付いた。
『読んで→うわぁぁっ!皋っ!皋ぃいっ!誰っ、誰にやられたのぉっ!うわぁぁああ!!』
達筆な文字。そしてどこか照り照りした粘着性の高い赤い液体。『ケチャップで綺麗な文字を書けるようになる』能力の古河浜だろう。
「……んんっ。ん。………う、うわあ。さ、皋い。
だ、……誰にやられたのぉ」
ある意味、これも頼まれ事だ。断る理由はない。私は聞き入れて、そしてこれまでのように上手くやるだけ。
「うわぁあ」
そして今回も上手くやれた、それだけだ。
目的は陽戸へのドッキリ、仕掛け人は恐らく皋率いる五人の幼馴染グループだろう。"他人の驚く顔で白米二合"を豪語するあいつらの考えそうな事だ。
ターゲットである陽戸、ついでに兎の反応を見る為に視線だけを入口の方へと向けた。
「……ぶっ、ぐくっ……ぐうっ……くっ、ふっ」
兎が蹲り、大きく肩を揺らして泣く演技を始めていた。あそこには指示はなかった筈、きっとアドリブだ。私と同じで良い演技力。さすがは兎だ。
「えっ、なんか、へっ……。え、えっえっ!」
案の定、陽戸も慌てふためいている。
翻弄されている。身に染みて学ぶといい。
これが───、
──ばつっっ。
「……あだだっ」
突如、私と皋を照らしていたスポットライトが落ちる。一瞬の暗闇のうち、小さく聞こえてきた皋の声から、彼女の手首を掴んだ手にふと力が籠ってしまっていた事を知らされる。
──ばつっっ。
二度の瞬きのうちに、体育倉庫の明かりが息を吹き返す。ぱっと明るくなった視界の先にいたのは、
「じゃじゃぁ〜〜ん!
廻琉ちゃん!一のAへ!ようこそぉ〜〜っ!」
『陽戸 廻琉ちゃん!これからよろしくね!』と、大きく書かれた看板を持った残り十二名の姿だった。
「えっ!えぇっ!わ、わぁ…!!えへ、えへへへ!
よろしく……よろしくだって!夜明さん!よろしくだってぇ!えへへへ!」
どうしてかはわからないが、陽戸がこちらへと走り寄ってきた。続いてやってきた兎は目元を真っ赤にして笑っている。なにもそこまで役に入り込む必要はないというのに。
「……うん。よかったね。……よろしく、これから」
しかしこれには驚いた。隠れる場所が豊富とはいえ残り全員がここに居たとは。それに、十分と少しの準備時間でよくやったものだ。……仲が良いというかなんというか。
「えへへ、これから。……これから!ね!」
陽戸が笑って、次に響いたチャイムが五限の終わりを告げた。存外早く終わってしまった『かくれんぼ』を通して、なんというか本当に。……よく笑うやつだ。
***
「えー、二点、二点、一点、ゼロ点。計五点という事で。烏帽子、ありがとうございました」
転校生との顔合わせを目的とした『かくれんぼ』は五限のうちに終えて、空いた六限は祭歌先生が戻るまでの暇潰しに充てられていた。内容はといえば、
「続きまして月炉 多田羅。いかせていただきます。
ショートコント"腹を空かした初音 蒼角」
『かくれんぼ』中、持ちネタを披露する機会のなかった者たちによる一発芸の披露会だった。正直どれもがコメントに困るというか。聞くに絶えないという程でもないが笑える程でもない、一番評価に困るラインだった。
──グゥ〜。
「……"胃"は、鳴らされた」
「はい。もう結構です、ありがとうございました」
司会を務める兎の冷淡な声に、月炉が涙を零していた。私としても特に言うことはない。言いたくもない、と言った方がいい。
「ね、ね!夜明さん!今のなに!?」
陽戸がなにやら興味津々な顔をして、こちらへ身を寄せてくる。なにと言われても面白くなかった一発芸としか言えないのだが、恐らくそういう事でもないのだろう。
「……蠕動運動っていって、」
「ちがくて!えへへへ、……もうっ!
初音 蒼角?ってさ、だれなの?有名なひと?」
そっちか。というか知らないなんて事があるのか。
"初音 蒼角"。超の付く偉人、という程でもないにせよ、名前くらいなら聞いたことがありそうなものだが。
「有名ではある、かな。まぁでも、」
あのハツネ社の創業者であり、知の巨人なんて呼ぶ人もいると聞くが、一般的にはこちらのイメージの方が強い。
「稀代の変人。奇人とか異物なんて書かれることもある人。歴史の教科書にも載ってる。小さくだけど」
「へぇ〜っ!変わった人……?ってことだ、ね!」
"会話が成り立たない"、"情緒に規則性が無い"、"常に独り言を零していた"等々、晩年は特に酷いことを書かれている。かなりの高齢だったと聞くし、加齢によるものなのでは?と思った事もあるが、思うだけだ。考えてみたところで意味はない。
「……かなりね」
本も出していたそうだ。世界に九冊だけ。
さらに言えば、生死すら定かではない。どこかでまだ生きている、なんて噂話も出回るほどオカルトに片足を突っ込んだ存在。諸々の噂話を含めて全てが眉唾ものだ。
「もっかい!もっかいやらせてくれぇ!
遺憾の意!さっきのジャッジに遺憾の意を示す!
……"い"だけに!」
「うるせぇ」
「"い"はならされた」なんて、おかしな言葉を遺して姿を消した。ハツネ社の創業に加えて、それだけが今となっては確かな事実となっている。
故に、月炉のようなおどけた若者にはなにかにつけてネタにされることが多い。
「優勝者は無し。ケツは月炉だ、反省しろよお前」
つまらなかった芸を一通り見終えて、教室が各々の話題を摘む声に満たされ始めた頃、チャイムに合わせて教室の戸が開いた。
──がら。
「おぃすぅ〜たでーまでぃすぅ〜。もう終わったの?『かくれんぼ』。はやかったね、さっすがぁっ!」
「どうも」
サボりを終えた祭歌先生の手によりシームレスに打ち込まれるチョークを弾く。毎度の事ながら一切の躊躇いがない事が恐ろしい。……あーあ、折れてしまった。もったいない、まだ長かったのに。
「んじゃちゃちゃっとHR済ませて帰りましょ。
あたしも〜疲れちゃったぁん」
「あんたサボってただけだろ!」
「チクるぞテメー!」
「お土産ねーのかよ」
「うるせー!あるわけねぇだろ!自分で稼いでから買えってんだバカヤロー!」
なんて大人げないんだろう。感謝はしているが、ああはなりたくないものだ。
その後もチョークの飛び交っていたHRを無事に終えて、私は教室を出ていくクラスメイト達の背中を見送っていた。目の前に座る兎に用事があったからだ。
「ね!ね!帰んないの!?」
私が動くまでの間、何故だかは知らないが、隣の陽戸も席を立たず、にこにことこちらに笑顔を向けていた。
言われなくても帰るつもりだ。聞くべきことを聞いてからだが。
「兎。今日、碧は?」
「言えねぇ」
兎は机に肘をついたまま、きっぱりと言い切った。
珍しい、兎が私に言えない事があるなんて。
顔を覗き込んでみるとまるで私が顔がくる事がわかっていたかのように、視線がそこに置かれていた。
「言わねぇ」
兎は目を細め、右の口角だけを吊り上げていつも以上に悪役じみた笑みを浮かべていた。整ってはいるが、まるで悪党だ。花の女子高生がしていい顔ではない。
悪党はそのまま、私と陽戸に向けて小さく、けれどはっきりした声で言った。
「この後、用事がないなら着いてこい」
兎が勢いよく立ち上がる。がたりと音を立てて椅子と机が揺れて、釣られて私と陽戸も立ち上がっていた。
「あるなんて抜かしたら」
「うわっ」
「ひゃあっ」
兎の手が私の肩へと伸びて、勢い良く引っ張られる。もうひとつ聞こえた情けない声から、陽戸も同じ目に遭っているらしい。
「引き摺っていってやるからな」
慣れた匂いと慣れない匂いが鼻をくすぐる。
夏も近いからか、ほんの少しだけ暑苦しい。
***
『遺作 參』 著:初音 蒼角
(前略)
太古の昔、いまだ神のおわす頃のお話だ。貴方はそれを認めようとはしなかった。それはいい。貴方はそれを知ろうとはしなかった。それもいい。
だから私を赦さないでくれ。僕は神を許す事は出来なかった、僕の犯した罪が間違っていたとも思っていない。時代がそれを罪としただけの話だ。
君との思い出は古くは旧暦に遡るだろうか。覚えているだろうか、私と過ごした日々を。
私は君を愛していたのだろうか。愛せていたならばどれほどの時間を共に過ごせただろうか。
覚えているならば、仲間達の事を許してあげてくれ。
覚えていないのならば、気付かずにいられたのならば、それは幸福だと私は思う。
だから私を赦さないでくれ。
私は既に犯してしまったのだから。
君の物語に終わりは来ない。私は終わり、僕は続いていく。そして、神は死んだ。
⬛︎は、均された。




