56.エントリー②
「ダイブ」の合図と共に視界が白く弾けて、景色が流れていく。見慣れた筈のそれは、今回ばかりは違っていた。『黄昏前線』に潜る時に流れる景色は太古の海を再現したものだったが、今回見たものはどこかの、いつかの時代の戦場だった。
槍や剣を持った人々が、盾を構える部隊へと突撃していく。そこだけ切り取れば、歴史資料の映像だと言われても信じただろう。
ただ、その中には明らかに他とは違う者たちがいた。剣を薙げば衝撃が人波を裂き、空に弓を射れば雨の如く降り注いでいた。とてもじゃないが、現実とは思えなかった。
次に流れたのは別の戦場だった。違っていたのは人同士ではなく、人と異形の闘いだった事だ。血を流し、肉を散らす様に、私は目を逸らした。
ぐるりと場面が変わり、次に私の目に映ったのは最初の戦場で剣を薙いでいた人物だった。なにかを空に向けて捧げているように見えた。それでいて、その表情にはどこか……怒りを浮かべていた。
何故怒っているのかは私にはわからなかった。わからなかったけれど……できるならば理解りたいと、そう思った。
***
「いかがでしたか?」
景色が過ぎた後に聞こえたのは、羽々斬先輩の声だった。白んだ視界が徐々に輪郭を取り戻すにつれて、羽々斬先輩、そして卜部さんと餅染先輩の姿が確認できた。
首を巡らせてみると、白を基調とした壁に囲まれた無機質な部屋に居ることが分かった。支部の雰囲気と似てはいたが、床の一部がガラスのように透けていたことから、ここが違う場所であることもわかった。
「オレはここを『窓』と呼んでいます」
ガラス張りの床の横、下の景色を見下ろすような形で座る羽々斬先輩が、そこには居た。
「先程観ていただいた世界。『箱庭』。それをここから見ることができるんです。……見ることしか、と言った方が正しいですね」
羽々斬先輩の目元は赤く腫れ上がり、透明な床にはいくらか水滴が落ちていた。
私はまだ何一つ掴めていなかった。羽々斬先輩が泣いている理由も。『箱庭』が何なのかも。
そして、それを私が聞いてもいいのかさえも。
「『箱庭』は母が創った仮想世界です。母が幼い頃に聞いたという神話、それを再現したものがあの場所です」
「……仮想世界?」
その言葉から、私は『黄昏前線』のワールドを思い浮かべていた。
技術は進歩した。第八世代を迎えたバーチャルリアリティは今や現実世界と見分けがつかない程に精度を増している。先程の映像はたしかにそれに比肩するだけのものだった。羽々斬先輩は"母はこの世を去った"と言っていた。つまり、少なくとも母親が生きていた頃にはこの世界が存在していたという事になる。
何年前に?一人でこれを?……何の目的で?と、湧き続ける疑問を前に、私の頭は混乱してきていた。
「母の目的はオレを生かし続けることでした」
羽々斬先輩は目元を拭い、姿勢を崩した。その隣に卜部さんが腰を下ろすのが見えた。
私の頭の中で、点と点は線を結ばなかった。"生かし続ける"の意味が理解できなかった。ただ、千歳さんは、母親として羽々斬先輩に生きて欲しい、そう願ったのだと理解することにした。
「『箱庭』で生きる彼らは神話に基づき、闘い、奪い、灯火を捧げる事で神になれると、そして外の世界へ飛び出せると信じています」
羽々斬先輩は穏やかな声色で話を続けた。
火を扱う神話はいくつかは知っているが、捧げることで神となる、というものは聞いた事がなかった。千歳さん、もしくはご両親独自の創作物なのだろうか。
「幾千、幾万の演算を経て、何かの綻びから自分たちが誰かの戯れによって生み出された存在だと気付いたのかもしれません」
「戯れって、そんな」
「凪乃ちゃん。こっちおいで」
遮るように言葉を発した卜部さんの手招きに応じて、私はその隣へと腰を下ろした。続いて、反対側には餅染先輩も腰を下ろした。
我が子が生き続けることは親の願いの筈だ。千歳さんはそう願ったから創ったのだろう。『箱庭』の何が羽々斬先輩に繋がるのかはまだわからなかったが、決して戯れである筈がない。
「ここからは見えへんな」
透明な床の下にはまるで地球のような球形のジオラマが浮かんでいた。ところどころが焼けこげたように黒く染まり、いくつかの大陸は不自然なまでに抉れているものもあった。
「『箱庭』は超規模の生命演算装置なんや。サーバーは楚曳支部そのもの、地下含めてな」
不思議だった。その光景もだったが、あまりに遠く、人の形なんて見えない筈なのに先程の映像と同一の世界であることが確信できた。
「『箱庭』の歴史周期は一周につき、こちらの時間で約三.○二九秒程です。幾重もの廻生を経て、怒り、そして絶望は募り、灯火を捧げ続けた彼らは生命への昇華を果たしました」
羽々斬先輩は私の方へと向き直り、自身の左胸、心臓のある箇所を指し、一際重い声で言った。
「数値として。……オレの生命として」
「っ、どういう」
「……ライフポイントのようなものです。致命的な傷や負荷を与えられた時、オレは灯火を捧げた彼らを一人消費して生命を維持します」
理解が及ばない。意味がわからなかった。論理が飛躍しすぎている。電子データが、NPCが生命に?感情を持つことだって信じ難いのに。
「『箱庭』とオレの接続を切る事はまだ叶いません。現状取れる方法はサーバーの完全停止、もしくは破壊です」
「っ!なら!!……どうして…………しないんですか」
仕組みなんてわからないけれど止める手段があるなら、私ならきっとそうする。そんな悲しそうな顔をするくらいなら、私はそっちを選ぶ。
「凪乃ちゃん。初めの映像覚えてるか?」
卜部さんはそう問いかけながら、私の背中をさすってくれていた。少しだけ早まっていた鼓動が落ち着きを取り戻しつつあった。
「……?はい。……戦場に、たくさんの人がいました」
「そう。人やな。なら止めたらどうなるやろ。壊してしまえば?あの世界で生きている人らは?」
「……っ」
言葉は喉の奥に詰まっていた。
自分の浅慮が恥ずかしかった。声を荒らげてしまった不躾さが恨めしかった。今だけは、卜部さんの優しい声色が痛かった。
もう少しだけ、羽々斬先輩の言葉の意味を咀嚼すれば想像することはできた筈だ。私は、止めた先のことまで考えていなかった。
"生命の冒涜者"の意味を、今理解した。
理解できていなかったのは……千歳さんの感情だけだった。
「これを知っとるのは職員内でも限られとる。ほんでその全員が彼らを人やと思っとる」
卜部さんの声は柔らかいまま、丸めた私の背を摩り続けてくれていた。私は何を言えばいいのかもわからないまま、ゆっくりと回り続ける『箱庭』に視線を落としていた。
「強制はせんよ。けどな、凪乃ちゃんもそう思ってくれてたら嬉しいな」
三秒が経った。六秒、九秒と時間は過ぎていった。この瞬間にも、視線の先では生命の数々が散っている。外に出られると信じて。あの怒りの表情を携えて、灯火を捧げ続けている。
「……どうして」
不意に漏れた言葉だった。何への、どの疑問への言葉なのかは、私にもわからなかった。
「今となっては知る術はありません。母の遺したボイスメッセージの中に"生き続けるように"と、そうあっただけですから」
わからなかった。
いくつかの疑問に答えは貰えた筈なのに、いくつもの"どうして"が湧いてくる。
そこまでして羽々斬先輩を生かそうとした千歳さんが、先にこの世を去った理由を、そして"歴史から名を消された"理由を、知りたいと思っていた。
「……どうして、亡くなられたんですか?」
わからなかったのは、浅慮を恥じた筈の今、こうやって"どうして"が止められない私自身だった。
「良い質問ですね!」
羽々斬先輩が明るい笑みを浮かべ、立ち上がる。続いてぱんぱん、と高い音を立てて両手を叩き、軽やかな声を上げた。
「飾ちゃん!ホワイトボードを!」
「あるわけないやろ」
気の抜けるような掛け合いで、部屋の空気が一変したのがわかった。
「凪乃ちゃん。あれね、所長のモノマネよ」
「……ふっ」
"どうして"は尽きないけれど、さっきよりも気持ちは楽だった。ほんの少しだけ、ではあるけれど。




