54.イベントフラッグ③
私と卜部さんの待ち合わせ場所に選ばれたのは【LOVERS】だった。時刻は十四時半頃、予定より少し早めに到着した私は、海月店主の勧める漫画を読みながら卜部さんを待っていた。
私としては直接楚曳支部に向かうでも良かったのだが、卜部さんがどうしても「甘いものを食べてから行きたい」と言うので渋々譲った形だった。これから頭を使う事を思えば糖分を摂っておくのも悪くはない。そう考えたのも事実ではある。
「どうかな。それは」
客足もまばらな時間帯だった。
向かいに座っていた海月店主が、私の読む漫画を指して言った。ジャンルとしてはバトルものだろう、キャラクターがそれぞれの心の形を呈す刀を用いて、護りたいものの為に戦う。内容はだいたいそんな感じだ。ストーリーも面白い。台詞回しもキレている。
「面白いです。特にこの……刀の設定が気に入りました。形とか能力とか、キャラクターを表しているのはなんというか……知らない部分を知れたような気がして」
「良かった。勧めた甲斐があったというものだね。今は三巻かな?ふふっ、……私は五巻のナツキ戦が好きでね。特に良いのは鍔迫り合いの最中、刀を通じて……」
──からんからん。
「おや」
ドアベルの音に続いて、海月店主の「いらっしゃいませ」が店内に響いた。
「また、だね。いつでもおいで。ああ、帰る時は漫画はそこに置いたままでいいからね」
海月店主は小さな声でそう言い残して、元の業務へと戻っていった。空になった向かいの席に、次に座ったのは卜部さんだった。
「ごめんごめん。待たせてしもたね」
まだ耳慣れない肆京訛りの声に碧よりも幼く見える容姿、間違いなく卜部さんだ。二重回しというのだろうか、『望雲之廟』で見た時と同じ服を着ていた。
「お待たせ。ごゆっくりどうぞ」
「あっあああざっああざます」
「ありがとうございます」
ほどなくして、私たちの前に同じチョコレートケーキが一皿ずつ置かれた。事前に注文しておくよう、卜部さんから頼まれていたものだった。
とろりとした甘味の中に残るほろ苦さが丁度いい。小腹を満たすにはちょうどいい量だった。
「ほんで凪乃ちゃん。ちゃんと持ってきたか?」
「あ、はい。『黄昏前線』も一応」
メタモルと『黄昏前線』のカートリッジを取り出す。これも事前に持ってきておくように言われたものだった。何に必要なのかは疑問だったが、行ってしまえばわかることだろう。
私が取り出したそれらを見て、卜部さんはひとつ頷き、席を立った。空になった皿の横には二人分の代金が置かれていた。
「……か、会計だけやってくれへんかな」
「…………いいですけど」
やっぱり、この人も変わっている。
***
【LOVERS】を出て少し歩いた頃、卜部さんに招かれて花芽ラの裏路地へと足を踏み入れた。支部に向かう駅は反対方向の筈だが、「時短だから」と言うので渋々従った。卜部さんが女性だからと警戒もせず言われるまま着いてきたが、これでいいものだろうか。
また廻琉に怒られてしまう。気をつけなければ。
「ちょっと待っててや」
提灯の明かりのもと、立ち止まった卜部さんに続いて私は足を止めた。特になにかがありそうな気配はない、ゴミ箱がひとつ置かれているだけの至って普通の裏路地だ。
体感にして二分程だろうか。雲ひとつない昏空をぼんやりと眺めていた時、卜部さんが呟いた。
「もうそろそろやな」
ふっと吹いた風で前髪が視界を遮ったその一瞬、提灯が照らしていたビルの横、なにもなかったはずの灰色の壁に鉄扉が現れた。
『誘扉』だろう。これも『望雲之廟』で見たものだった。今更驚くほどの事でもないが、これを造ったという羽々斬先輩への謎は深まるばかりだった。
当たり前のようにノブを捻り、私を手招く卜部さんに続いて鉄扉を潜ると、そこには楚曳支部の事務室があった。
「いらっしゃぁ〜い。待ってたわぁ〜ん」
わざとらしい艶やかな声に顔を向けると、そこに居たのは羽々斬先輩ではなかった。
「お疲れ様です。餅染先輩」
「どうも〜。元気だった?」
餅染 渚先輩。薄紫に染められた長髪が特徴的な、大人びた容姿の女性。そこから繰り出されるおどけた言動はどこか羽々斬先輩にも似ている。所属は本部の筈だが、私たちを呼ぶ為にわざわざ来てくれたのだろうか。
「どうも。もう帰ってええよ」
「いやぁん飾さん冷たいの。傷ついちゃうな?」
「ウザいねん。あんたはもっとやるべき事あるやろ」
とてもではないが、あまり良い空気とは言えなかった。卜部さんとの付き合いはまだ短い。それでも、学校で見掛けた穏やかな様子や、どこか包容力のある印象からは想像しづらい物言いだった。
「仕事はキッチリ終わらせましたニョ?」
「……チッ。ちゃうわバカタレが」
餅染先輩はたしかに人を選ぶタイプではあるが、余程そりが合わないのだろう。私が口を挟むべきことではないが、仲良くできるならそうしてもらいたいものだ。
「悪いけどあたしも呼ばれてんの」
一段、声を落とした餅染先輩の言葉に、卜部さんが舌打ちで返した。気まずくて仕方がなかったが、仕方ない。
それよりも私が気になったのは餅染先輩が"呼ばれている"と言ったことだった。用事を取り付けたのは私からだった筈だが、なにか行き違いがあるのだろうか。
険悪な空気のまま、前を歩く卜部さんに続いて支部の二階へと向かった。餅染先輩はといえば、私たちから少しだけ距離を置いて後ろをついてきているようだった。
二階には初めて足を踏み入れたのだが、一階と比べて特に変わった様子はなかった。違うといえば、随分と冷房が効いている事くらいだろうか。しかし時期を考えれば当然とも言える。まぁ、些細な事だ。
白を基調とした清潔な壁がずるりと伸びる廊下に、厳重に鍵を掛けられた扉が並んでいる。卜部さんの足取りからして、目的地はどうやら突き当たりの部屋のようだった。
──こんこん。
「どうぞ」
卜部さんのノックに続いて、奥から声が返る。まだ姿は見えていないが、今度は間違いなく羽々斬先輩のものだった。
卜部さんが扉を開ける。その先の部屋に羽々斬先輩の姿はなく、一枚のPCモニターの明かりのみが浮いていた。……いや、違う。
「お待ちしておりましたよ」
正確には、羽々斬先輩は居た。部屋の隅に置かれたベッドの上で力なく横たわっていた。さらに言うなら、私たちを迎えた羽々斬先輩の姿は、
「それはそれは首を長くして」
「……は、はぁ」
液晶の中に在った。
***
「《崩國のカダン》戦についてなんだが、二人ほど仲間を募ろうと思ってる」
腕を組んだ兎が高らかに宣言する。その前には鍛冶屋で装備を整えたばかりの廻琉と、廻琉に合わせて散財し過ぎた碧が正座させられていた。
「はい!兎ちゃん先生!」
廻琉がぴしっと手を挙げ、兎が指差して応える。廻琉の手には新たな篭手が装備されていた。《地割りのハンモルン》がドロップしたレジェンダリーアイテムを一つ使用して造られたものだった。
「誰誘うんですか!」
「良い質問だ」
兎の指が宙に縦長の長方形を描くと、それに合わせてフレンド一覧が現れた。ずらっと並んだユーザーネームから兎が四つ、廻琉と碧に見えるようにピックアップした。
「こいつらから二人だな。実質ペアみてーなもんだから、片方選んだら片方も決まっちまうけどな」
「……ふむ」
廻琉と碧は首を傾げた。見覚えのある名前が三つ並ぶ中、一つだけ見知らぬ名前が混じっていた。だが、二人を悩ませたのはそこではなかった。
「月炉くんと……」
「……烏帽子くんかぁ」
苦い顔を見合わせて首を傾げる二人を見て、兎が補足するように言った。
「意外と悪くないんだぜ?二人組で完結してるコンビネーションの方があたしらからしても丁度いいだろ?」
そうは言いつつも、兎もあまり乗り気ではなさそうだった。二人の視線を無視しつつ、言い訳をひとつだけ付け加えた。
「それにさ。こいつら以上に瞬転使いこなしてる奴ってそういねーし」
「瞬転ってなに!?」
兎の発した新たな言葉を受け、廻琉が身を乗り出した。ここで「待ってました」と膝を打ったのは碧だった。
「《相棒》って機能があってね!プレイヤーを誰か一人だけ選べるの!相手も同意が必要でね、二度と変えられないの!で、瞬転っていうのは相棒間でしか使えないシステムなんだよ!
あ!《相棒》は元々は《結婚》って名前だったんだけどね!いろいろあって変わったの!」
「………んん。そ、それでどういうシステムなの?」
興奮気味な碧を宥め、廻琉が改めて兎に尋ねた。
「相棒間でしか使えない座標交換機能の事だな。どっちかの『スイッチ』の掛け声で起動するんだが、文字通り一瞬で居場所が入れ替わるんだ。ただイマイチ問題があってな……」
続きを急かすように目を輝かせる廻琉を前に、兎は一瞬言葉を詰まらせた。
「距離が離れてると掛け声は聞こえねぇし、なによりお互いにタイミングがわかんねぇ。いきなり場所が変わると混乱するだろ?直前のモーションもそのまま続くしな。スキルの空打ちや体勢を崩したまま被弾、なんてのがザラだ。見えて聞こえる距離なら入れ替わる意味は薄い。出来ることと言えば、せいぜいが虚を突くか肉壁かってなもんだ」
廻琉は目を瞑ったまま顔を上げ、兎の説明を頭の中で咀嚼していた。ほどなくして、目は瞑ったまま、声を弾ませながら言った。
「それさ!使いこなせたらすっごく強くない!?」
「使いこなせりゃ、なぁ。クールタイムもなげーし」
「掛け声が詠唱の邪魔になるんだよねぇ」
碧の付け加えた言葉に、廻琉は漸く目を開いて肩を落とした。戦闘を通し、詠唱の必要性を知ったが故の納得だった。大きく息をついた廻琉を見て、兎は月炉と烏帽子のステータス画面を閉じて、次の二つを開いて見せた。
「瀧奈ちゃんだねぇ!」
「もうひとりはさ、誰なの?」
「そっか。お前ら会ってねーな」
兎は瀧奈のステータス画面を開いたまま、もうひとつのステータス画面を上に被せた。ユーザーネームには《クスリ》、そしてその隣には拳の初期エンブレムが表示されていた。
「丹蓯 楠莉っつー中等部の奴だ。変な奴な。瀧奈と仲良さげだったからフレ登録しといたんだ」
廻琉はまたしても首を傾げた。
「初期エンブレム、だよ?強いの?」
「あまいねぇ!フレンド一覧に表示されるのはみーんな初期エンブレムだよ!ほら!」
碧が胸を張り、自身のフレンド一覧にいる廻琉のステータス画面を開く。そこには剣の初期エンブレムが表示されていた。改めて瀧奈のステータスにも目を向けてみると、笛の初期エンブレムが表示されているのがわかった。
「エンブレムから考察されちゃ不味い。が、隠しすぎんのもフェアじゃねぇ」
これには廻琉も納得した。歴の浅い廻琉が、"情報戦"の意味を漸く理解した瞬間だった。
しかし、ここで改めて廻琉の中で疑問が湧いた。
「でさ、でさ。月炉くんと烏帽子くんは強いからだったけどさ。瀧奈ちゃんたちはどうなのかな?」
無垢な廻琉の質問に、兎は笑みだけで応えた。首を傾げた廻琉の疑問に答えたのは碧だった。
「楠莉ちゃんはまだわかんないけど、瀧奈ちゃんはね!すごく強いよ!強いっていうか……ズルいよ!!もうね!もう………すごいの!」
「……なるほど?」
廻琉の中で疑問は尽きなかった。それでも、誰を誘うかだけははっきりと決まっていた。
「じゃあさ!瀧奈ちゃんと楠莉ちゃん!誘おうよ!」
「理由は?」
兎の問いかけに、廻琉は威勢よく答えた。
「面白そうだから!」




