52.イベントフラッグ①
「──というわけで、『昏』のうちに皆で"龍の顎"行きたいんだけど。良い?兎、碧」
二人に向けたスマホの画面には"龍の顎"行き特急の予約画面を映していた。時期は八月の下旬。『なだづきナイトフェスタ』を終えてから、『昏』の締めである終の花火大会までの十日間。隣のタブには宿泊先の予約サイトを準備してあった。
「良いよぉ!」
「もちのろんだぜ」
「ありがと。で、宿なんだけど」
二つ返事に合わせて画面を遷移、その後は二人の返事が追いつかないままてきぱきと日程を組み立てていった。
この時、私がいつになく手早く話を進めていたのには理由があった。
次に迎える大規模イベント『深沁港夜市』と『黄昏前線』とのコラボに備えて──ではない。
百目鬼研究所楚曳支部。正確にはそこの責任者の羽々斬先輩に用事があった。別に時間的に追われているわけではないし、羽々斬先輩本人と約束を取り付けているわけでもない。そもそも、何度連絡しても繋がらなかった。珍しいことに、それは所長も同じだった。
休暇中の身でありながらアポ無しで向かうのは如何なものかと思い、兎から卜部さんの連絡先を教えてもらい、彼女の同伴という条件でなんとか支部訪問の許可を取り付けることができた。
時計に目を見遣ると、針は十三時を指していた。卜部さんとの待ち合わせは十五時前、今から出ても余裕はある。
少しだけ寂しい気持ちもあったが、廻琉には留守番しておくように告げて家を出た。また着いてきそうな気配もあったので、廻琉に『黄昏前線』のレクチャーをしておいて貰えるよう、碧と兎に頼んでおいた。
今回ばかりは私がそうするべきだと思ったからだ。もし何か面倒な事になった時、廻琉、そして碧と兎を巻き込む訳にもいかない。
羽々斬先輩、そして所長の二人に連絡がつかなかったことは気掛かりではあったが、卜部さんとも話せるというのはある意味幸運だった。あの不思議な場所……『望雲之廟』で会った時、私の知らないなにかを知っているふうだった彼女にも聞きたいことは山ほどある。
あの場所は何だったのか?
あの時、羽々斬先輩は何をしたのか?
どうして碧もあそこに居たのか?どうしてそれを砂溟先輩が知っていたのか?
そもそも……百目鬼研究所とは何をしている組織なのか。あの猫といい『望雲之廟』といい、研究所を名乗りながらもその実態はどこか違うように思える。でも、みんないい人達だ。少し変わってはいるが……私の事を気にかけてくれている。
だから気になった。そんな人達がなにを隠しているのか、どうして隠しているのか。
私は何も知らない。知らなかった、知ろうともしなかった。でも、それももう終わりだ。
***
凪乃の去った邸宅にて。四人のベッドの揃う主寝室には白妙のお面を顔に付けたまま横たわる三人の姿があった。
「廻琉、Metam-olt着けたか?」
「着けた!なに?これ。とりあえず案内に従えばいいのかな?」
「付属のグローブも着けてからな。素手だと認識しねーから。んじゃ先潜ってるからな」
三人が着けている白妙の面──正式名称Metam-olt。通称『メタモル』と呼ばれる第八世代フルダイブ型VRデバイスである。右頬部にあるカートリッジには『黄昏前線』のゲームカードが刺さっている。
廻琉は兎の指示通り、顔の全面を覆うメタモルに表示されているチュートリアルに従い、グローブを装着した両手で身体の輪郭を順番になぞっていった。全身認証を終えたのち、廻琉の視界に表示されたのは『潜界開始』のメッセージウィンドウ。
「……ダイブ!」
事前に兎から教わった掛け声と共に、メタモルのフルダイブ機能が起動する。展開された電界は装着者である廻琉の脳へ接続し、五感の入出力を現実から切り離していく。
やがて身体はベッドに横たわったまま、彼女の意識だけが『仮想世界』へと沈んでいった。
メタモルユーザーが『潜界』と呼ぶ、現実と仮想を隔てる瞬間だった。
廻琉の視界が白く弾け、太古の海の映像が車窓のように過ぎていき、やがて水面を割るように世界が開けた。
次に廻琉が目を開いた時、彼女が立っていたのは海に面した小さな町、《はじまりの町》だった。
かすかに波打つ水平線の向こうに茜をさす満天の星空、光を呑むほど深く昏い大海はどこまでも続いているかのように思われた。
「おう、こっちこっち」
「遅いよぉ〜!」
馴染みの声に、廻琉が振り返る。そこにはフード付きの外套を羽織った二人の少女がいた。一人は猫を模した木彫りの面を付けた茶髪の小さな少女。もう一人は兎を模した木彫りの面を手にした海松色髪の長身の少女だった。
小さな少女がひょこひょこと跳ねながら、廻琉へ向かって手を振っている。その仕草を見て、廻琉はようやく二人が碧と兎だと分かった。二人の立つ掲示板の前まで足を進めながら声を返そうとした時、廻琉は自身の口が開かないことに気が付いた。小首を傾げていると、その様子を見ていた兎が歩みを寄せながら言った。
「言ってなかったっけか。ジョブ選択とアバター設定終わるまで喋れねーんだ。そこの掲示板でさっさと済ませちまいな」
「あんまり見る機会ないけどさぁ、初期アバターもかわいいねぇ!」
兎に促され、廻琉が掲示板の前に立つ。隣には姿見が立て掛けられており、廻琉はここでようやく自身の現在の姿を目にすることができた。
現実の彼女とは似ても似つかない黒髪の少女が鏡の中に立っていた。顔立ちは整っているもののこれといった特徴はない。制服を着せてしまえば、そのままどこにでもいそうな女子高生だった。
これが『黄昏前線』の女性プレイヤーに割り当てられる初期アバターだった。
廻琉が掲示板に触れると、手元に一枚のテキストウィンドウが現れた。横に伸びた画面の左側にはアバターを構成する各パーツが、その隣には現在の廻琉の姿である初期アバターが表示されている。廻琉は迷いなくパーツ一覧をスクロールし、最下に表示された《現実準拠》を選択した。軽快なタップ音に続いて、起動時に取得した身体情報を基に初期アバターの輪郭が組み替わっていく。
細部を整え、《アバター作成完了》を選択すると、次に表示されたのはステータス補正を決める為の性格診断だった。廻琉は次々と表示された質問に淀みなく答えていった。だが、残り一問で一度、その指を止めた。
『Q.初恋はいつですか?』
(……───♪)
二十問全ての回答を終えた廻琉の前に、次に現れたのは五つのエンブレムだった。それぞれには剣、弓、杖、拳、そして笛が刻印されている。
廻琉が剣のエンブレムに視線を向けると、その下にジョブの紹介テキストが浮かび上がった。
『物理近接武器を用いた高い攻撃力が持ち味。盾やパリィでいなしつつ、隙を見て強力なスキルで敵を薙ぎ払う。堅実なパーティの要から攻撃的なバーサーカーまで幅広い派生ジョブがある』
廻琉は小首を傾げつつ、次に杖に視線を向けた。
『詠唱による魔法で広範囲の殲滅から味方のサポートまでこなすパーティの万能手。超遠距離からの不可視か、超近距離からの不可避か。派生先の種類は五大職随一』
廻琉は唸るように眉を寄せながら弓、拳、そして笛へと順に視線を向けてはテキストを吟味した。事前に兎から聞かされた助言を思い返すように、何度もエンブレムと説明文を見比べる。時間にして二十分ほど経った頃、廻琉の指がひとつのエンブレムへと伸びて、掲示板のテキストウィンドウが閉じられた。
「碧ちゃん兎ちゃん!おまたせ!」
「長かったな、わかっちゃいたけど」
「はいこれ、ローブ!オソロのやつね!」
碧から受け取った外套を、初期装備である飾り気のないワンピースの上から羽織る。すると視界の隅に、『黒いローブ取得』の文字が小さく浮かんだ。
「これさ、なにか意味あったりするの、かな?他の人も着てるっぽいけど」
見回せば、町には同じような外套を羽織ったプレイヤーがちらほらと歩いていた。
物珍しげに辺りを見回す廻琉を前に、兎は小さく鼻を鳴らした。待ってましたとばかりに身を乗り出す。
「潜る前に言ったと思うが、『黄昏前線』はPvPvE!さらにジョブシステムが特異!いいか廻琉!これは情報戦なんだ!」
「わかんないよねぇ」
碧が宙へ向けて二度、円を描くように指を回すと、廻琉にも見える形でステータス画面が現れた。ユーザーネームの隣にあるジョブ欄には《魔菓子職人》と表示されている。ステータス画面を覗き込む廻琉に、碧が外套の中からエンブレムを取り出して見せた。
「杖?なの?碧ちゃんのこれって」
碧の手にしたエンブレムには杖と交差する形で、ホイッパーが重なっていた。
「そう!初めはただの魔法使いからなんだけどね。プレイスタイルとか、その人の思考?のクセ?とかを読み取って、ジョブ自体が進化していくの!」
「つまりだ!」
兎が鼻息荒く身を乗り出す。
「見ての通りエンブレムも変質する!可能な限り見られず!そして知られないことが肝!故に情報戦!こと『深沁港夜市』!『大規模混沌レイド 白鯨撃滅戦』を控えた今においては!特に!まぁ──」
兎が外套から取り出したエンブレムを高々と掲げる。二人は気圧されたまま、黙って見ることしか出来ずにいた。
「──あたしの《千の賢者》の前では!全てが無為ではあるが!ガッハハハハハハハハハハ!!!」
廻琉が見たところ、兎のエンブレムも杖のように見えた。が、あまりに堂々と、それはそれは高々と掲げられたばかりに、肝心の意匠までは廻琉の目には映らなかった。
「ゲームの中だといっつもこうなの」
呆気にとられていた廻琉に、碧が小さく囁いた。
「かわいいよねぇ」
「……う、うん」




