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なるようになるの  作者: 七番
第二章 甘き日に

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51.昔日の味

「んっ、届かなっ、……ちょっ……と待って……ね」


「……えへえへへへっえへへ」


「あっ!こら!変なとこ触るな!」


 下心しかない廻琉の手を振りほどいた私は、押し入れの奥からなんとか小さな箱を取り出した。思っていた通り、随分と埃を被ってしまっていたが他の物と離して置いていたのが幸いして、傷やへこみだけはなかった。

 荷解きの時も思ったがサイズの割にかなり重い。中身はアルバムだけの筈だが、それだけ沢山詰まっているのだと思うとどこか嬉しかった。

 大事に抱えた箱を落としてしまわないように、傷付いてしまわないように畳の上に着地させる。


「おでましだ、ね。中は?」


「アルバム、小さい頃の。……じゃ、開けるね」


「ん!」


 埃を軽く手で払ってテープを剥がしていく。心の内の、今まで触れてこなかった部分を誰かにそっとなぞられているような感覚に陥る。……ちょっぴり怖い。

 けど、今は廻琉が傍に居てくれるから。

 剥がすのだって、開くのだって躊躇わなくて済む。


「……ん」


 初めに目に飛び込んできたのは思っていた通り、アルバムの表紙だった。無地のハードカバーのそこかしこにシールが貼られて、下手っぴな落書きもちらほら描かれている。

 捲る前から甦ってくるものは多かった。鼓動が早い。指先まで少し震えていた。……この頃の奔放さはもう。


「えへへへ、かんわいい!ここ!凪乃描いたの?イヌ!かな!あってる!?」


「………たぶん、クマ」


「えぇ!えへ、えへへへ!か〜わ〜い〜い〜!!!」


「……もう」


 私よりも嬉しそうな顔をして、なんならかなりだらしない顔をして身体をくねらせている廻琉を見て、少しだけ心が軽くなる。

 幼い画伯は誰であれ可愛いものだ。それが別に私でなくとも。……それでも嬉しかった。

 震えの収まった指で一頁ずつ捲っていく。産まれたばかりの私の写真から始まって、一ヶ月、二ヶ月、三ヶ月と月日を刻んでいった。カメラに笑顔を向ける私の写真に書かれたお母さんの文字は、歪んだ視界では読むことはできなかった。けれど、それでも良かった。気持ちだけは伝わっていたから。


「えへ……えへへへ。ち、ちょっと可愛すぎるかも」


 一冊目を終える頃。転んでしまったのか、公園を背景に激しく泣いている一歳の私の写真を見て、廻琉が零す。


「……うわっ」


 しばらく声を聞いていなかったなと思い、廻琉の方へと視線を向けてみると、だらしない顔で涎を拭いながらアルバムを凝視していた。決して嬉しくないわけではない、が……ここまでくると少し怖いが勝る。

 念の為、一冊目を廻琉の反対側の脇に置いて、箱から二冊目を取り出す。その下には三冊目が眠っていた。箱の大きさから見て、三冊で終わりだろう。五歳までの記録だ、そう多くなくても仕方ない。

 それに……想い出は量じゃない事は、よく知っている。


「おっ!ちょっと上手くなってる、ね!」


「……まぁ、ね」


 こちらも一冊目と同じく、表紙は画伯によるアートで彩られていた。思えば、幼い頃の私はなかなかやんちゃだった、四歳くらいの頃は特に。お父さんにもよく叱られた。お母さんにも。


「あれ?ここ!界桜樹じゃない!?」


「鹿々桜、お父さんの地元だから。

 両親に孫の顔見せに来てたのかも」


「なるほど!……じゃあこの髭の人、おじいちゃん!?」


「かな。あんまり覚えてないんだ。この少し後に亡くなったみたいだから。おばあちゃんの後を追う形で、だったって」


「……そうなんだ。あ!これ!えへへへ!凪乃ちょー泣いてる!かわいい!!けどおじいちゃんかわいそう!」


 激しく泣いて暴れている様子の幼い私を両手に抱え、満面の笑みを浮かべる髭面の祖父の写真を指して、廻琉がけたけた笑っている。写真の奥では、恐らく祖母であろう人が困ったような笑みを浮かべていた。目の前にいる廻琉とは対照的だ。

 幼い私はきっとこの長髭が痛かったのだろう、可哀想なのは私の方でもある。

 二冊目は二歳から三歳の写真が多かった。転勤先でも、よくいろいろな場所に連れて行ってくれたのだろう。水族館に動物園、遊園地や博物館と、家族三人で出掛けているものが殆どだった。その他は、家で過ごす私を写した他愛ない写真ばかりだった。切り取った日常の一瞬一瞬から、私がどれだけ愛されていたかが伝わった。


「この人っ!!もしかして……おとうさん!?

 じゃあ……こっちはおかあさん!!?

 すごっ、……び、美男美女ってやつだ、ね」


「……そんなに?」


 何度も何度も、大袈裟なまでに首を縦に振る廻琉を前に、アルバムに綴じられている家族三人が写る写真を取り出した。二冊目も終わり、というところまで来て漸く三人揃ったものを見ることができた。ぱらぱらと残りの頁を捲ってみても、三人揃う写真は他になかった。

 これだけは……写真立てに入れておこう。机の上に置いて、いつでも見られるように。そうしよう、……そうしたい。

 滲む視界の中、写真に写る三人の顔を何度も、何度も見返した。ここに初めて泊まった日に見た夢だって、砂溟先輩にみせられたあの夢にだって出てきた顔。忘れたことなんて一度もない。だいすきな二人の顔を、もう一度瞼に焼き付けたい。二人に挟まれて、弾けるような笑顔を浮かべる私の顔を、この時の感情を…………もう一度思い出したい。手放さないように、………逃げてしまわないように。


「ん。次で最後、かな」


「……うん!もう入ってなさそう、だよ!」


 二冊目のアルバムを、そっと一冊目の上に重ねて、その上に三人の写真を置いた。箱から三冊目を取り出した時、一、二冊目と比べて少しだけ厚みが違っているように思えた。


「まっさら、だね!シールも無いや」


 どうやら幼い画伯はこのアルバムにはまだ手を付けていなかったようだった。どこか残念そうに口を尖らせる廻琉を横目に、一頁ずつ大事に捲っていく。はじめの頃は七五三の写真で埋まっていた。私を抱き上げて、笑顔のまま号泣しているお父さんとのツーショット、私と同じ決めポーズをとるお母さんとのツーショット。きっと交互に撮りあったのだろう、どれもが楽しげで、幸せに満ちていた。一方で、廻琉はまた鼻息を荒くしていた。……念の為、頁を捲る手を早めていく。


「あれ、これさ。誰も写ってない、ね」


「ね。でも……綺麗だよ」


 数頁を過ぎた頃、傳田の風景を写した写真がちらほら増えはじめた。誰かを撮ったわけでもない、傳田にある田舎の風景を閉じ込めた数枚の写真に違和感を感じつつも、その牧歌的な情景に想いを馳せた。

 お父さんとお母さん、どっちが撮ったのかはわからない。けれど、きっとこの風景が大事だったからこのアルバムに綴じたのだろう、そう思った。

 

「……写ってない、かな」


 ふと感じた廻琉の視線で、自分が言葉を零していたことに気付く。目だけを見遣ると、想像通り、じっとこちらを見つめている廻琉がいた。怒っている様子ではない、けど……なんていうか、なにを考えているのかわからない顔だ。………可愛いけれど。

 時折挟まる風景の写真に目を向けながら、頁を捲っていく。写真の中の私は、四歳、五歳と年月を重ねていた。泥だらけになっていたり、時にはそこかしこに擦り傷を作っていたり、それでもずっと笑っていた。

 九頁を捲る頃、ブレた夕陽の写真を最後に、家族の記録は途切れていた。……この写真は、少しだけ覚えてる。お父さんとお母さんがカメラを構える姿がかっこよくて羨ましくなって、強請った末に私も撮らせてもらった時の写真だ。

 五歳の小さな手に一眼レフは重たくてお父さんに支えてもらったっけ。……それでもブレブレだ、下手っぴめ。


「……写ってなかった、ね」


 つい次の頁を捲ってしまった私を見て、廻琉がぽつりと零す。顔を持ち上げると、廻琉は紅い瞳を潤ませてこちらを見ていた。目尻は赤らんでいて、何故だか私よりもずっと泣き出してしまいそうな顔をしていた。


「……良いの。お父さんとお母さんの事、沢山思い出せた。……あの子の事もさ。きっといつか思い出せるから」


 本心だ。

 これからはまだまだ長いから、何かの拍子で思い出せることもあるかもしれない。もしかしたら、またどこかで会えるかもしれない。……その時は三人の事を紹介しよう。それから遊びに行こう、五人で。皆で。


「………ん?」


 空白の頁を捲り終えた頃、裏表紙のハードカバーに貼り付けられた一枚の封筒に目が留まった。青色の封筒は少しだけ膨らんでいて、中に何かが入っていることは一目でわかった。

 破れてしまわないようにそっと剥がして、閉じたアルバムの上に置く。一見したところ、なにも書かれていない普通の封筒だ。


「お手紙、かな?」


「どうだろ。わかんないけど、……開けるね」


「……ん!」


 わからないものに手を伸ばすのはまだ少し怖い。けれど今は、廻琉の短くも力強い返事が勇気をくれる。

 中身まで損なわないよう、丁寧に糊付けを剥がし、指を入れると、一枚の便箋と、もう一つ、小さな封筒が入っていた。どうやら廻琉の予想は部分的に当たっていたらしい。小さな封筒には"鹿々桜トラベル"と書かれている。

 ひとつ、大きく息をついてから便箋を開く。

 一番上には、大きく力強い筆跡で"凪乃へ"と書かれていた。これは一冊目の写真に書かれていたお母さんの文字とは違う。けれど、なぜだかお父さんの字だと思えた。

 ……まだ、なにも読めていない、けれど。鼓動が早まっている。少しだけ、息が苦しい。でも……読みたい。

 一度、廻琉と顔を見合わせて、泣きそうだったくせに、それでも笑ってくれた廻琉の顔から改めて勇気を貰う。それから便箋へと視線を落として、一文字ずつ、大切に読み進めていった。


 ━━━━━━━━


 凪乃へ


 六さいのおたんじょうびおめでとう!

 元気に育ってくれて、お父さんうれしいです。

 ちょっと元気すぎるところもあるけれど、そんなところもだいすきだよ。ただ、ケガだけはあまりしないでほしいかな!おせっきょうみたいになっちゃうね、ゴメン!


 ━━━━━━━━


 滲み出した視界から一度、手紙を外した。ダメだ、濡れてしまう。……読めなくなってしまう。

 これは、私の……次の誕生日に、渡す予定だった手紙だ。………当たり前みたいに、続くと思っていた日常の、先に、


 ━━━━━━━━


 お父さんたちのつごうで、何度も引っ越しをくり返してしまったね。せっかくできたお友だちともお別れしないといけなくしてしまったこと、あやまりたかった。

 とてもさびしい思いをさせてしまったと思う。


 ━━━━━━━━


 ………そんなこと、気にしたこともない。謝らなくていい、そんなこと。そんなことより、ずっと……ずっと私は、


 ━━━━━━━━


 それでも、凪乃はあたらしい場所でお友だちをつくってくれた。ずっと笑顔で、だれとでも仲よくしてくれたことが、お父さんとお母さんはうれしかった。

 笑ってくれてありがとう。

 お父さんとお母さんのところに生まれてきてくれて、ほんとうにありがとう。


 ━━━━━━━━


 ………ちがうっ、ちがう……ちがう。お礼を言いたいのは……私の方、なのに。………言いたいのに、もう、


 ━━━━━━━━


 お母さんに似て元気で、かしこくて、やさしくて、

 ぼくに似てやんちゃで、少しだけわがままな凪乃のことが、お父さんとお母さんはだいすきです。

 これからもずっと、凪乃のそばでみまもらせてね。

 あらためて、六さいのおたんじょうびおめでとう!


 お父さんとお母さんより


 ━━━━━━━━


「……うっ、………ぐっううぅ……うっうぅ」


 ………今は、もう、なにもみえない。


 ***


「ね、ね、凪乃!ほんとにしまっちゃっていいの?」


「うん。見たい時はまた出せばいいから。

 それに……誰かさんが勝手に見そうだし」


「だ、誰かなぁ!よくない!よくない、ね!それは!」


 そう言って、そっぽを向いて誤魔化す廻琉の肩口には、私が付けたらしい小さな染みが残っていた。他所を見ているフリをして、ちらちらとこちらに視線を向ける廻琉の横顔が愛おしい。お父さんも……お母さんの事をこんな風に思っていたのかな。


「……ここにしまっておけば、またいつでも見返せるからさ」


 第一、いくら広い部屋と言ってもアルバムを三冊も出しっぱなしにしておく訳にはいかないし。それに、廻琉に見られるのは嫌じゃないけど、どうせ見るならまた一緒に見たいから。


「その封筒さ、なんだったの?」


 私の持つ封筒を指して廻琉が首を傾げる。


「これね、チケット。ほら。

 界桜樹のある"龍の顎"の入場券、三枚分」


 "鹿々桜トラベル"と書かれた小さな封筒の中には三枚のチケットが入っていた。お父さんかお母さんが十年前に買ってくれていたのだろう、期限はすっかり切れてしまっていた。

 "龍の顎"に行く約束をしたのは、あの飛行機の中だった筈だ。飛行機の中で私が興味を示すより前から、二人はきっと連れて行くつもりだったのだろう。

 ……両親は本当に私の事をよく理解してくれていた。それが堪らなく嬉しくて、それでもどこか寂しかった。


「……お父さんとお母さんとは行けなかったけどさ」


 砂溟先輩に夢を見せられて、思い出して。その時に果たされなかった約束は、今でも私の胸の中にある。

 砂溟先輩は……きっと今でも囚われている。

 私だってそうだ。事故の事だって、まだなにも知らない。あの日になにかあったのなら……思い出したい。

 

「いつかさ、行こうよ、"龍の顎"。みんなで。

 界桜樹に登って鹿々桜を見渡すの」


 それでも、それでもだ。


「きっと綺麗だよ。だから──」


 私にこの約束を思い出させてくれたことに、


「───約束、ね」


 お礼を言える日は……来るだろうか。

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