49.……まだ、お預け。
『はいどうも。では…ええ。続いて【LOVERS】の御三方に一言ずつ頂きましょうか。締めは店長さんの方がいいですよね、ええ、……ああわかりましたはい』
流石の墨雫先生も今回ばかりは余計な一言は付け加えなかった。が、舞台袖に向けた適当な会釈と不機嫌を隠そうともしない声色から、またなにかしらの指示があったのであろう事が窺えた。
『それにしてもわたくし不思議です。十四時を回る頃……でしたかね、ええ。卓を片しているように見受けられましたが……ええ、まだお客はいらした中で、ですけれども。そこもお伺い出来ればと思いますはい』
墨雫先生の零した問いはまるで独り言のような声量だった。どこか肩を落とした様子で、白衣を引き摺りながらステージの左から右へよたりよたりと歩を進めていく。
程なくして、【LOVERS】の制服を身に纏い、固い笑みを浮かべたままの碧へとマイクが手渡された。隣の廻琉は碧以上に険しい顔を浮かべたまま、次に回ってくるであろうマイクを威嚇するように睨みつけていた。
『ええ!ええ!あ〜……!!え、ええ!
あああああ!ありがとうございましたぁ!……はいっ次っ!』
『うぐうっ!うえっ!』
碧の持つマイクから大きく息を吸う音に続いて威勢のいい声が響き渡り、次に聞こえたのは廻琉の悲痛な声だった。緊張を誤魔化そうと勢いよく振り向いた事が災いしたか、碧の手が廻琉の腹部へと直撃したようだ。可哀想に。
『……うぅ。ひ、ひどい。…えっ!もう入ってる!?
……あぁ!あぁ!え〜っ……!待って!……ふぅ!』
「ゆっくりでいいぞー!」
「落ち着いてーッ!深呼吸ーッ!」
「ガンバレーッ!」
客席から優しさに満ちた声援が飛んでいく。会場全体が緩い空気で包まれていくのが感じられる。これは凛伍さんの人徳とはまた違った廻琉の良さだ。
「……くくっ」
「…どうしたの?」
「いや別に。可笑しいなってな」
兎がなにやら笑いを堪えている。まぁあの様子を見せられたら当然だ。碧は何事も無かったかのように腕組みして仁王立っているし、可笑しいといえば可笑しい。
「ね。なに言うのかな」
「ぶふっ……くくくくっ。……さぁ……ふっ、な」
それにしても笑い過ぎだろう。なにがツボにハマったのかはわからないが、やはり"ムーンラビッツ"にだけアルコールでも入っていたのではないだろうか。
そう考えている間に、マイク越しに息を吸う音が聞こえ、急いでステージへと視線を戻すと廻琉が意を決したような表情を浮かべて、客席を見渡していた。
『……えっと、まずは!ありがとうございました!
たくさんの人に来てもらえて嬉しかったです!
一位をとれなかったのは……悔しいです、けど。でも満足です!楽しかったし!………っっ!!
へへ、それに……ね!碧ちゃん!』
気の所為、かな。廻琉が言葉を区切った時、一瞬だけ目が合った気がした。
『大好きな人の一番にはなれたと思うから!』
……気の所為じゃない。はっきりとわかる。
灯るような赤い瞳を細めて、まっすぐに見据えているのは、
『きっと!ずっと!これからも!』
………私だ。
「…ん」
……何秒経っただろうか、ステージから目を逸らせないままぼうっとしていた。海月店主にマイクが渡った時、ふと視界が揺れて、漸く隣から肘で小突かれていることに気が付いた。籠るように聞こえていた拍手の音が徐々に鎮まりだした頃、にやけ顔の兎が太腿を軽く叩きながら気怠げに声を上げた。
「おいおい酔ってんのか?スピーチ終わったらあいつら連れて帰ろうぜ、もう足疲れちまったよ」
「あ、うん。そうだね」
ステージの上では海月店主の後ろに下がった廻琉と碧が姿勢を正しているのが見えた。随分と後ろの方に行ってしまったようで、二人の姿には影が掛かり、表情まではよく見えなかった。
『あー、あー。んんっ』
小さく響いたハウリング音に続いて、海月店主の聞き心地の良いハスキーボイスが響き渡る。
『……結果については、悔しくないと言えば嘘になる。勝つつもりで臨んだのだから。席数を減らしたのは……ご存知の通り【LOVERS】のスタッフは私を含めて三人。これで終日フルで回すのは体力的に厳しい、そう判断したからに過ぎない』
会場を葉擦れのようなざわめきが満たした。「なるほど」や「だからか」と言った"納得"の声が方々から聞こえてくる。海月店主の足元から見上げている墨雫先生も小さく頷いているのが見えた。
スイーツ選手権はもとより、あまいものまつりが始まるうちから【LOVERS】に向けられた期待値は高かった。十五時を過ぎて尚、あれ程の行列を作る店だ。あのまま続けていれば、少なくとも結果は違っていたのかもしれない。
『なにより、身体が資本ですから。可愛い弟子達を壊す訳にはいかない。これからも頑張ってもらう為にもね』
"人手が足りない"、"スタッフを優先した"。納得のいく理由だ。何も知らなければ。
あの人は廻琉と碧の要望を聞き入れた上、特別席を設け、更には特注のグラスまで用意してくれていた。どうしてそこまでしてくれるのか、感謝はしているけれどまだ納得してはいない。
『疲労を理由にサービスがおざなりになってはいけない。我々【LOVERS】は"愛"を至上としています。いらしたひとりひとりと真っ直ぐに向き合う為に……ただそれだけです』
廻琉の熱意に根負けしたのはきっと嘘じゃない…と思う。今言っていることだってたぶん、本当で。
『お客様はひと時の恋人。これまでも、これからも。
また明日からも…お待ちしておりますよ』
ほんの少しだけ、嘘吐きだ。
***
「おせーなぁ」
「ね。私も足痛くなっちゃった」
『花芽ラあまいものまつり』閉幕式も無事に終え、人々が帰路につくのを見送る。人混みから離れた私達はステージをぐるりと囲むように組まれたテントのひとつ、【LOVERS】と書かれた木札の前で二人が出てくるのを待っていた。
ほとんど一日中歩きっぱなしだったお陰で足がパンパンだ。今日とったカロリーも充分消費できた…と思う。明日はゆっくり休もう、きっと二人も疲れてるだろうから。
「おまたせぇ〜っ!」
「かえろっかえろっ!」
威勢のいい声と共に垂れ幕を押し退けながら、着替えを済ませた二人が姿を見せた。二人とも制服の入っているであろう手提げ袋を片手に、晴れやかな笑顔を湛えている。食べ歩いていただけの私と兎よりも疲れているだろうにそんな素振りは一切見えない。
「すっごく緊張したよぉ!スピーチ!ねえ!廻琉ちゃん!」
「ね!碧ちゃんなにもいってなかったけど、ね!」
痛いところをつかれた碧が苦い顔を浮かべてこちらを見ている。そんな目で見られてもって感じだけど。実際ほとんど何も言ってなかったし。
「でもさぁ!どうだったどうだった!?ずぅ〜っと緊張しっぱなしだったけどさぁ!」
碧の苦い表情が一変、今日一番の眩しい笑顔に変わって兎に飛びついていく。
「えっへへえ!どう!?《《うまく》》笑えてたかなぁ!」
「……あぁ!サイコーに可愛かったよ、このもちほっぺが!」
兎の手によって碧の頬がまるでスクイーズのように伸び縮みを繰り返している。いちゃつくのは帰ってからにしてほしいものだ。さて、足もそろそろ限界だし。
「じゃ、帰ろっか。……ん、廻琉もほら」
「んえっ!……ん!ん!ん!!」
廻琉の手にはちょっぴり汗ばんで、小さなタコができていた。ぎゅっと握ってみればよくわかる。
花火大会の時には気が付けなかった。ここ数日で出来たものかもしれない。
『これは……凪乃の為だけに』
……ただ、それが嬉しかった。
「ねぇっ!なっ、凪乃!あの、さ!」
「………ん」
隣から、廻琉のどこか焦ったような声が聞こえる。振り向いて、さっきみたいに目を合わせる。……今日は暑い。
「……まだ、お預け。ね」
綺麗な赤い瞳。と、真っ赤に染まった廻琉の顔が。
今日見た中で……一番綺麗だ。




