48.甘み、不達
二十時を迎える頃、ロータリー中央部に設置されたステージ上には開幕式ぶりにスイーツ選手権の各出場者たちが顔を並べていた。老舗【あまより】の凛伍さんをはじめ、【LOVERS】の海月店主率いる廻琉と碧までが皆、緊張した面持ちで優勝者の発表を待っていた。【ToDo'Rocky】の蓼丸氏に至っては開幕式の朗らかな笑みはどこへやら。口をへの字に曲げ、眉間に皺を寄せ、睨みつけるような目でどこか遠くの方を威嚇するような表情を浮かべている。緊張しているだけなのか、思っていたより売上が振るわなかったのかは定かではないが、お陰で隣の凛伍さんがすっかり萎縮してしまっている。可哀想に。
「凪乃、見ろ!碧と廻琉の顔!……くくっ、引き攣りすぎだろ!」
縮こまってしまった凛伍さんの反対側、ステージの右端には我らが【LOVERS】の三名。何故か海月店主の前に堂々と仁王立つ廻琉と碧の姿があった。ここからでもわかるほど不自然な、ガチガチに硬い笑みを浮かべている。客席を埋める一万を超える人数を前にして気持ちが追いついていないのだろう。アドレナリンたっぷりで迎えたであろう開幕式の堂々たる振る舞いは見る影もなかった。
『ではこれより…えー、スイーツ選手権?の順位発表並びに……授賞式の方をはじめていきたいと思いますけれども?ええ、ええ。皆様、ええ。よろしいでしょうか?』
開幕式を飾ったプロレスの前口上じみた声調とはまた違ったクドさの残るアナウンスが会場に響く。
またしても、と言うべきだろうか。必要のない間を置き、疑問符を付けるように言葉尻を上げるどこか鬱陶しいこの喋り方は、神代桜に通う私たちにとっては聞き馴染みのあるものだ。
「……これってさ」
「墨雫先生だな。もしかしてウチの学校は主催側なのか?」
程なくしてステージの袖から、丸めた背中を隠す程に豊かな毛量のうねり毛を揺らしながら、小さな女性が姿を現した。明らかにオーバーサイズな白衣の裾を引き摺りながら、垂れ下がる袖越しにマイクを握って出場者らの元へと小さな歩幅で歩み寄っていく姿は紛れもなく見慣れた墨雫先生そのものであった。どう考えてもこの場に不似合い、というかこの催しにはこの人は人選ミスではないだろうか。変な薬でも持ってきていないか、それだけが心配だ。
『これね。ええ、わたくし疑問なんですけれども。
ええ。上位三位以外も読み上げなきゃ駄目ですか?
……あ、駄目。あそう。ええ、はいわかりました』
訂正する。墨雫先生の帰り道も心配になってきた。
相変わらずというか、盛り上がった空気に水を差すのが得意な人だ。
『では最下位か……ええ、八位の方から。獲得票数は、ええ。三七八票、これ桁合ってますか?……合ってる、あそう。─────。────でしたね?ええ。わたくしも───、──。──────と思いますけれども』
オブラートを知らない墨雫先生の講評が淡々と読み上げられていく。可哀想に。客席からいくらかブーイングが飛ぶ、店ではなく墨雫先生宛だ。これは可哀想ではない。
『次、七位。ラッキーナンバーですね?ええ。低順位ですが。はい─────。─────、獲得票数は……五〇六票。ええ、────、はい。──────でしょうか』
先程よりも多めにブーイングが飛んでいく。
ステージに近い席を確保したのが幸いしたか、後方に構える人々のボルテージが違う方向にあがりつつあるのが背中で感じられる。今後ろを振り向く勇気は私には無い。
『六位、不吉です。順位の方も。ええ、言わずもがな。
────。────────。獲得票数────、──────です。わたくしとしてはもう少し高くても良かったのかなと、ええ。好みでした、はい。お客に恵まれませんでしたね?ええ、残念』
言っていることは失礼極まりないが一度持ち上げた事が功を奏したか、次に響いたのはブーイングではなく感嘆のどよめきだった。これには隣の兎も思わず声を漏らしていた。
『五位、───。────』
墨雫先生が淡々と五位、四位と店名に続き余計な一言を読み上げていく間、ステージの右端、ガチガチに固まった廻琉と碧の後ろでは海月店主が小さく欠伸をしていた。どこか気怠げに佇む姿は緊張というものを知らないようで、少しだけ格好良く見えた。
「まだ呼ばれないね」
「【あまより】も追い上げ凄かったから油断出来ねーぞ。凪乃も一票入れちまったろ」
「美味しかったからね、いちご大福」
仕方ない、甘味に嘘はつけないのだから。
それに私は残った四枚は全て【LOVERS】に入れている。幸いな事にあまいものまつりにおいては一店舗につき一枚まで、などという無粋な制限は設けられていないのだ。"美味しい"と感じた気持ちを纏めた票を入れることができる中、胃と相談しつつ、なにを食べるか?そしてどこをどう回るか?限られた五枚というカードをいつ何枚切るか?と頭を悩ませるのもこの催しの醍醐味なのだ。
『ではここからメインどころですね、ええ。獲得票数は省かせていただきます、ええ。四桁を超えると面倒なんですよ。……え、良いって?助かりますはい』
墨雫先生が舞台袖に向けて適当な会釈を返しているのが見える。気を遣って貰ったのだろう、全く持って勝手な人である。
『まず三位、【ToDo'Rocky】の蓼丸氏ですね。
ここは……ええ、ここまで前面に魚介を押すのは思い切りがいいといいますか?存外マッチしていて悪くなかったですね。新商品の……なんでしたかね、品名は忘れてしまいましたが。もし今日食べられなかった方がおられましたら是非、一度は口にしてみる価値があります』
客席が大きめにどよめき、次第にざわつきが増していく。これには私も驚いた。四位まではもはや聞いていなかったが、まさか三位の時点でここまでしっかり褒めてくるとは思っていなかった。
なによりベストスリーとは言え、まだ見上げる側の順位であんなに満足気な笑みを浮かべている蓼丸氏にも驚いた。余程嬉しかったのだろうか。
……新商品か。魚は苦手だけど……また今度、次は廻琉も連れて本店に足を運んでみてもいいのかもしれない。
『二位、こちらは意外でしたね?ええ。わたくしも研究に行き詰まった時に通っていますし、なにより実力の知れたお店さんですからね、ええ。………え?なにか?』
いよいよ、といったところで言葉を切り、毛玉のようなシルエットは舞台袖へと消えていった。
「なんだろ」
「あれだろ、選手交代だろ」
程なくして、ちょうど身長の倍もありそうなサイズの賞金パネルを両手で掲げた墨雫先生が姿を見せた。自分事じゃないので忘れていたが、優勝者には百万円が贈られる事になっていたのだった。
サイズがサイズなだけに運搬に苦戦したのだろう、くせっ毛の奥に隠れた丸メガネが大きくズレてしまっている。そのせいか、声色もやや不機嫌だった。
『ええ、失礼しました。"残り二組で下位から発表すると盛り上がりに欠ける"と言われまして、ええ。まったくもって?ごもっともでございますねはい。まぁ?先に仰って頂ければ尚良かったのですけれどもね?ええ』
「いいからはやくしろー!」
「なにちょっとキレてんだバカヤロー!!」
「アドリブ効かねーのか毛玉野郎ーッ!」
ハッキリした野次に続いてブーイングが飛んでいく。亖先生のマイクパフォーマンスとは違ったアプローチだが、お陰様で会場の盛り上がりも最高潮といったところだ。
『では、栄えある一位の店舗様のお名前を読み上げたいと思いますよ。ええ、心の準備はよろしいですか?』
──ばつっっ。
「…っ」
墨雫先生の言葉に合わせ、低い破裂音とともに会場を照らしていた光源が一斉に息絶える。仄かな灯りを湛える提灯すらも落ちて、突如として訪れた暗闇によってほんの少しの恐怖心が顔を覗かせる。
「……どっちだろな?」
しん、と静まり返った会場で、兎の囁き声が耳元に届く。欠片程の冷たい恐怖は、いつも通りのいたずらっぽい声と右手を包む仄かな熱が溶かしてくれた。
「……わかるよ、これから」
『得票差、なんと一票。命運わかつ、とはまさにこの事ですね、ええ』
暗闇の中で墨雫先生の声だけが響き渡る。今、ステージ上の廻琉と碧はどんな顔をしているのだろうか。
自分が出場しているわけでもないというのに胸が苦しい。会場は静かなのに、鼓膜を叩く鼓動がうるさい。
廻琉も同じだろうか。それとももっと緊張しているのだろうか。
『第一位は───』
……今、廻琉はなにを考えているのだろうか。
『───甘味処【あまより】』
鋭い一筋が迷いなくステージの左端へと走り、縮こまる桃色の頭を照らし出す。
聞き間違いだろうか?スピーカーから響く墨雫先生の声がどこか遠くで鳴っている音のように籠っている。
『五代目、甘頼 凛伍氏。あなたです。
ええ、おめでとうございます』
視界の端っこで白衣を引き摺りながらスポットライトの下へと歩み寄る墨雫先生が見えた。会場を埋め尽くす人々の歓呼の声すら、どこか遠い場所で響いているもののように聞こえる。
「負けちまったな」
「……ん」
兎に生返事をしながら、暗闇に慣れつつある目を凝らしていた。華々しいライトに照らされた反対側、薄暗いステージ上の右端ではうっすらと廻琉と碧の姿が見える。
「……ふふっ」
二人は硬い笑顔で仁王立ちしたままだった。順位は決まったというのに、なにをそんなに緊張しているのかわからない。けれどそれがおかしくって、少しだけ。
「残念、だったね」
「な。帰ったら慰めてやろうぜ」
『──というわけで。ええ。二位は【LOVERS】となります。せっかくですから一言ずつ頂きましょうか?ああ、三位以下は結構ですから、ええ』
墨雫先生の心無い下の句に合わせて会場の明かりが戻り、客席にも静けさが帰る。明るくなっても二人は未だにポーズを崩さない。なんなら先程よりも表情が険しくなったようにも見える。余程緊張しているのだろうか。
『ああ、あのっあのっ!』
ステージの左端へと視線を戻した時、マイクは既に凛伍さんの手へと渡っていた。
『わわっ、私は……いやっ!まず、その、沢山の応援あ…ありがとう、ございました』
「ガンバレーッ!」
「ゆっくりでいいぞーッ!」
「お嬢ーッ!深呼吸ー!」
そわそわと落ち着きのない五代目を見かねてか、【あまより】の店名を背負ったシャツを羽織る一陣が檄を飛ばしていた。本人の言っていた通りだ。あの一陣や【あまより】の従業員を見ればわかる通り、彼女は本当に周囲の人間に恵まれている。
これもひとえに本人の人徳あってのものだろう。直接話した時間は短いが甘味に向ける情熱とひたむきさは十分に伝わった。なにより"支えてあげたい"と思う気持ちもよくわかる。
『ふっ、ふっ、すぅ………げぇっほっげほっ、うっ、ぐえ』
というよりは"支えねば"の方が近い、かもしれない。
『私は、その、これはじっ、自分のちからだけで得られたとは……思ってなくって。スタッフの皆さんは…当然として。その……なんていいますか。お客様とも……関わってみて。その……お祭りですから、せっかくだしって。……改めてかっ、"甘味とは"を考える機会にもなって。少しだけ……救われたんです、けど』
ところどころ口ごもりながらもスピーチを続ける凛伍さんを皆が見守っていた。会場全体がどこか暖かな空気に包まれているようにも感じられる。あの墨雫先生も口を挟むことなく、凛伍さんの隣で深呼吸を繰り返す凛伍さんの顔を見上げていた。
『……教えてもらったんです。これからは五代目としての明日に、私なりにまっすぐ向き合いたい。……だから、私も──』
自信なさげに足元を向いていた視線が持ち上がり、正面を見据えている。これまでの彼女からは見違えるほど凛とした表情を湛えたまま、詰まることなく、最後まで毅然としたままに。
『──この気持ちに……嘘はつきません』
次の瞬間には会場が拍手で満たされていた。私と兎も思わず手を叩いていた。まるで一人娘の独り立ちを目の当たりにしたような気分だった。敵ながら天晴、といったところだ。
「なんかさ、かっこいいこと言ってるね」
ちょっとだけグッときてしまったこの気持ちを共感するべく隣の兎に目を向けると、なにやら苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「……良くないぞお前」




