40.まだお預け
時刻は二十一時。
明日は甘味好きにとっての一大イベント『花芽ラあまいものまつり』を控えているにも関わらず、私はリビングでテレビを眺めていた。
兎は帰ってきた後、
「クレフロ進めたら明日に備えて早めに寝るわ」
と言い残して部屋に戻ってしまったし。
私は──、
『───灘月のバージョンアップの為、──に予定されていた──────に延期となる運びで───。園内の───リニューアルされるとの───。バージョンアップに伴い、──『反重力機構 灘月』の名称を『月読』に変──。次に、明日の界桜樹の降灰予報を───』
「……ふーん。延期ね」
──広いリビングでたったひとり。興味もないニュースを流し聞いては時折、花火大会での写真を眺めるなどして時間を潰していた。
それもこれもこの時間になってもまだ帰ってこないアホ二人に一言申してやる為だった。
なにをしているのかは知らないけど、待つ側の気持ちも考えてほしいものだ。全くもって危機感に欠けている。生活を共にする身としてきちんと叱っておかねばならない。……とりあえずリスケしなきゃ。灘月行きたいし。
──がちゃっ。
「…!」
やっと帰ってきた。
玄関からぎしぎしとフローリングを踏み締める音が二つ、こちらに向かってくる。寝ているであろう私達を起こさない為か、それともお小言が待ち構えている事を予想している為か、足音は実にゆっくりリビングの方へと寄ってきた。ドアを挟んですぐの辺りで足音が止み、ドアの開く音の次に飛び込んできたのは、殆ど断末魔のような二人の声だった。
「ただいまぁ……」
「つ、つかれた………。あっ!凪乃!」
「……ちょっ!なに急に」
目を合わせるやいなや廻琉が私の手を掴み、ぐいっと顔を寄せて笑みを浮かべる。揺れる赤髪からいつにも増して良い匂いが鼻腔を擽った。
先程までの疲労困憊はどこへやら、元気いっぱい、といった眩しい笑顔が私の視界を埋めていた。
「えへ、やっと会えた!ただいま!」
「……ん、おかえり」
完全に廻琉のペースだった。
ほんのり漂う甘い匂いは、なにを言おうかと考えていたお小言の数々をすっかりどこかへ消してしまってくれていた。
「あ!明日!明日ね!ね、ね、碧ちゃん!
凪乃もあまいものまつり、来るよね!?」
「うん、行く…けど」
そうだ、明日。
せめてなにか言ってやりたい、そう思った瞬間、つい苛立ちを隠せないままに浮かんだままを口走っていた。
「明日は兎と行くから。二人で」
一瞬、リビングに気まずい沈黙が流れた。
少し言い方が悪かったかもしれない、疲れている様子の二人に掛けるべき言葉ではなかったかも、そんな後悔が口の中にじわりと広がり始めるも束の間、廻琉と碧が顔を見合わせてにんまりと笑みを浮かべた。
「だって!えへ」
「うんうん!待ってるからねぇ!」
「……?どういう、」
「碧ちゃん!もうお風呂入って寝なきゃ!
明日も早い、よ!」
「了解!廻琉ちゃん二番卓、いけるかなぁ!」
「えへへへへ!似てない、ね!」
返答の意図を理解する暇もなく、疲れていた筈の二人は普段通りの溌剌とした様子で、リビングを飛び出し、廊下を二手に分かれて駆け出して行ってしまった。
ひとり残されたリビングではテレビの音だけが流れていた。頭の中は疑問符がいっぱいで、それも私の耳に入ることはなかった。
「……寝よ」
口の中はほんの少しだけ、苦かった。
***
翌朝、リビングに降りる頃には既に廻琉と碧の姿はなかった。代わりにテーブルの上に一枚の書き置きと、部屋の隅で体育座りをしている兎が私を迎えてくれた。
扉を潜るとどんより淀んだ空気が感じられた。なにやら兎の周りだけ湿度が高いような気すらしてくる。
「ど、どうしたの兎」
「……朝な、碧が…口を……聞いてくれなかったんだ」
「そ、そう。それは……残念だったね。
あ。朝は食べずに行こっか、せっかくだし」
今は朝の九時。
花芽ラあまいものまつりは十時から始まる。着いてから食べ漁ることを考えれば、一時間程度の為に胃を埋めてしまうのはもったいない。
商店街までは歩いて十五分程かかる。さっと小腹を満たしつつ喉だけは潤しておく為に牛乳に手を付ける。
「……でもな、凪乃。でも、でもな」
朝の一杯を飲み干している間、隅の方から小さい声でぼそぼそとぼやく兎の声がなんとか耳に届いた。可哀想に。朝から碧に無視されて落ち込んでいるんだ、話だけでも聞いてあげよう。
「ごめん、聞こえな……うわっ」
そう思って振り向いてみると、隅にいた筈の兎が真後ろに立っていた。心臓に悪い上に、虚ろな目をしながらも口元だけはにやけていてちょっと気持ちが悪い。
「そっぽ向いた時のほっぺたがな、……柔らかそうで……美味しそうで………んふふっ。…………可愛かったんだ」
「…………そう」
結局、出発する直前まで兎の調子は戻らなかった。
***
「なに書いてあんだそれ」
商店街までの道すがら、机に置かれていた書き置きを開かないまま眺めていると、頭上から兎の声が降ってきた。
「中はわかんないけど、"凪乃と兎へ"って書かれてる」
一文字ごとに筆跡が違うところから廻琉と碧が交互に書いたのであろう事がわかる。微笑ましいけれど、なんとも子どもっぽいというかなんというか。
「ん。これ」
「……んふっ」
文字の書かれた側を向けてみると、兎の表情がみるみるうちに先程見たにやけ顔へと変わっていった。気持ちはわからないでもないが、やめてほしいものだ。
家を出るまではなんとなく開かずにいたが、兎も調子を取り戻したことだし、良い機会なので開けてみることにした。
小さく折り畳まれた紙には、綺麗な文字とひらがな多めの丸字が交互に書き込まれていた。
━━━━━
十六時!←時間げんしゅ!
花芽東公園前のお店にくること!
ちょっとだけなら早く来てもいいよ!
↑時間げんしゅ!おこ
━━━━━
「ふ、なにこれ」
「……んふふっ」
十六時といえばあまいものまつり閉幕の二時間前だ。お店ということは席でも抑えているのだろうか。
時間げんしゅ、は碧の字だろう。言えた立場ではないのではと思いつつも、その稚気な文面にふと笑みが零れてしまう。
「なに考えてんのかな」
「……さぁなぁ。ま、行きゃわかんだろ。
時間までぶらぶら食べ歩こうぜ」
「だね。なにから食べようかな」
花芽東公園の前はたしか空きテナントがあった気がするがどこのお店が入っているのかまでは知らなかった。
参ったな、もし重めのお店なら調整しないといけなくなる。最高を百とすると…今日の胃の調子は八十三といったところだ。歩いたお陰で空き具合は上々、お腹周りの緩い服を選んで準備は完璧。
今は九時五十分。初手は軽め…焼き菓子か一口もの、もしくはドリンクが最善。クリーム系やチーズ系、ケーキ類を狙うなら3手目から…!それが最適…!
「なにぶつぶつ言ってんだ。おい、もう着くぜ」
「ん。あぁ、もうそんなに歩いたっけ」
気が付けば目と鼻の先に目的地である花芽ラロータリーがあった。視線を上げてみると広いロータリーを埋め尽くす程の人混みが視界に飛び込んできた。
花火大会の時と同じく和装の人もいれば、今日の私たちのようにゆるめの洋服を着た人もいる。
和洋折衷というものだろうか。……これから私の胃に入る予定のスイーツたちにも同じことが言えそうだ。
「……いない、か」
ふと周りを見渡してみるも廻琉たちの姿は見えなかった。代わりといえばなんだが、ぐるりと一周を見渡した時に"青"の字が脳裏を過ぎった。あの猫も甘い匂いに釣られてやって来たのだろうか、中々かわいいところがある。ただチョコレートなんかには気を付けてもらいたいものだ。
「オイオイなににやけてんだ、始まるぜ」
「……それ全然私の台詞かも」
そうこうしている間に時計の針は十時を指し示し、放送用のスピーカーからご機嫌な声がロータリー中に響き渡る。花芽ラあまいものまつりの開始を告げるやたらと景気の良い前口上はその名前に対して実に不似合いでありながら、反面、この場の空気を盛り上げる最適解だった。
『ルルレディーーーースェンッ!ジェントルメンンンッ!
本日お集まりのォッ!少年少女!紳士淑女の皆々様方ア!ィぃようこそッお越しくださいましたァッ!』
「……プロレス?」
「なぁなぁ、凪乃」
ぶち上がる人混みから距離を取りつつ、続いて響く前口上に耳を傾けてみる。聞いたことある声だと思ったが、たぶん亖先生だ。花火大会のさっちゃんもそうだが、うちの教員は揃ってなにをしているのだろうか。
『これより始まるはァッ!あまいものまつりィ!
あわせて!本日の目玉エベントォ!
迸る舌で鹿々桜ナンバーワンの甘味をキメろ!選ばれしィ猛者達が集う!スイーツ選手権んん!!!』
「凪乃、なぁって」
「なに?」
袖を引かれて振り向くと兎が神妙な面持ちで顎に手を添えて小さく唸っていた。
『エントリー店のぉッ!紹介はァ!
これよりッッッ!二時間後ォォオ~~~~!!!』
なにか思うところでもあったのだろうか。先の件の事もある、なにかあるなら聞いておかないと。
「どうしたの?なにかあった?」
「めっちゃバキだったな」
「……知らないけど」
本当に聞いて損した。




