第五話
リビングでは、母の不在という寂しさもありながら、久しぶりの父との会話に話題が尽きなかった。母のために買ったケーキは、父のちょっとした快気祝いとして居場所を見つけ二人の間に置かれていた。
「少し休暇を取ろうと思うんだ」
父の突然言葉に、ケーキを頬張る手が止まり首を傾げた。
「涼香も、もう大人になったから、少し難しい話をするけど、お父さんは会社で色々な事をやってきた」
いつもの父からは想像もつかない言葉を聞き、口の中のものを流し込もうと傾けていたカップの手が止まった。
「犯罪をやったわけじゃないんだよ」
少し微笑を浮かべた父を見て安堵した涼香は、カップを置いて話に耳を傾けた。
「ただ、色々な事をしただけに、色々な人の人生が変わった。良い意味でも、悪い意味でも」
父の言っている意味が完全にわかる訳ではなかった。しかし、日ごろから見ているドラマや小説おかげか、少し言いたいことを感じる事が出来た。
「眠っている間、そんな人生を変えた人が出てきて、妬みや、嫉妬、色々な言葉を浴びせられた。もちろん後者の方の人たちからのね」
父は、両手でマグカップを包み下を向いて少しの間を置いた後に、また話し始めた。
「父の会社で、その息子で跡継ぎ。こうなることは入社した時から覚悟はしていた。そして、お母さんと出会って結婚して、涼香が生まれて改めてその時に思った。負けないぞって。だけど、奈々や涼香が悲しんだら、その覚悟も意味がないって」
それは、父の贖罪の様な言葉だったのかもしれない。そう感じた涼香は、懸命に父の言葉と向き合った。
「だから、少し休憩かな。自分のためと、迷惑をかけた家族のために」
父は手に持ったマグカップを持ち飲み干してまっすぐと目の前の涼香を見つめた。
「いい仕事には、気分転換も必要ってね」
父は少し目に涙を浮かべながら笑顔でそう言った。
「まずは、お母さんのお見舞いからだね」
リビングは、二人の笑い声に包まれ、以前の様な空間を取り戻しつつあった。
「高山には、あやまらないとな」
階段の前を歩く父は笑顔で言い、涼香も思わず笑ってしまった。名残惜しいが、もう今晩は遅いからと、それぞれの部屋に帰る事にしたのだ。
「おやすみ、お父さん」
「おやすみ、涼香また明日」
お互いの部屋に分かれ、涼香はいつもの日常がまた始まると胸を躍らせ眠りについた。
まだ眠りが浅かったのか、耳に入った奇妙な異音に目を覚ました。まだ意識がはっきりとしておらず、頭の中は朧気だが、扉の向こうから大きな音が聞こえ、父の事が頭に浮かび意識がはっきりとなった。
部屋を出て父の扉を開けると、いつもとは打って変わって違う光景に涼香は、思わず声を上げる。部屋中に黒い影のようなものが蠢いていて、その中心にベットから転げ落ちたであろう父が頭を抱えてうずくまっていた。
父の名を呼び部屋に入ろうとした時、涼香の頭の中に、様々な声が舞い込んできた。父の言った悪い意味で人生を変えて来た人の声だ。呪詛のような声が頭の中を支配する。そんな声と共に、なぜか七海の顔が脳裏をよぎった。
「お父さん、しっかりして」
這いつくばり父の元へ辿り付くが、うめき声を上げるばかりだ。
そして、周囲の黒い影が涼香に襲い掛かろうとした時、部屋中を眩い光が包み込み、黒い影をかき消していった。次第に重たくなる瞼の中、父の名を何度も呼ぶも、そのまま意識が底へ沈んでいった。
その途中で涼香は机の上が、輝いていた様な気がしたのだった。




