8 アルベールの手紙と不穏な王子の影
黄金(小麦)の海が風に揺れる初夏から盛夏の盛り。ロドニア王国のユージンの執務室のには、外の爽やかな陽光とは裏腹に、じっとりと重い「静寂」と、時折床を震わせる「微細な地鳴り」が満ちていた。
ユージンはと届いたばかりの書簡の封を開けた。差出人はアルベール。養成所の若き騎士の卵たちを引き連れ、国境付近で農作業の手伝いという名の地獄の特訓に励んでいた。
『ユージンよ、今年の我がロドニアでの麦の収穫は上々だ。泥にまみれて腰を落とす鍛錬のお陰で、生徒どもの足腰は強靭になってきている。だが、不穏な影がある。国境向こうのガルディア側では不作が続き、不気味な地震も勃発している。麦の価格が異常高騰している向こう側から、仲介業者を装ったハイエナ共が、ロドニアの境界を狙って現れるはずだ。我が養成所としては実戦訓練として、一匹残らず叩き出さねばならない』
モランにも、同じく書簡が届いていた。ゼノスが統治していた旧ロドニアではアルベールは『若き銀狼』と呼ばれた騎士団隊長、モランは諜報部のトップを任された同志である。
「フッ、アルベールらしいな……王宮の体格の良い輜重部隊と辺境警備隊を貸してくれと書いてあるぞ、ユージン……どうする?」
「……だからそれを、何で俺に聞くんだって⁈それって、お前たち側近かタヌキジジイの仕事だろうがっ‼」
モランは策士である。少しづつ、バレないようにユージンに仕事を回して意識させぬまま彼を頂点へと突き上げようとしている。
ロドニアの美しい麦畑……今年は見事にあのゼノス時代の美しい風景が戻りつつあるのだ。この機を逃すものかと彼も必死である。ユージンを『完成』させるために盤面を整えなければならない重要な仕事を担っているのだ。
「そうでなくても、俺は今、押し付けられた隣国の『サンオーレ』との通商条約の修正案で手一杯だ。
……そもそも、何で俺がやらなければなんねーんだっ‼……こんなもの、お偉いさんのお前かタヌキの仕事だろうがっ!俺は平民騎士だぞ‼」
もう何回叫んだことか。再就職してから、レティシアどころか今やオーギュストにまですっかり振り回されている。
ユージンのイライラは増すばかりである。
「……お言葉を返すようですが、ユージン様。辺境警備隊は『給料未払いの不良債権』のような連中。輜重隊はガストンの『王宮騎士団の単なる付属品』……これらを正規の予算外で動かすとなれば、この軍事行動は『特別損失』として計上しなければなりますまい……事務官たちに備品の『整備状態報告書』を叩きつけた貴方は今、事務の最高責任者ですね」
「……は?……いや……それは……ただタヌキ野郎に報告する……」
「時間が無いと言っているのです!麦が強奪されるまま放っておくか、兵を動かすサインをされるかどちらを選ばれますか?……さあ……」
モランは表情を変えずに淡々と詰め寄る。年若いユージンが勝てるはずがない。
「……もういい。分かった。貸せ」
モランが作成した書類に、怒りに任せてユージンは書類に乱暴にサインをして投げ出した。モランはそれを恭しく拾い上げて口角を吊り上げた。
「有難うございます。ハイエナには高価な王宮騎士団は必要ないという事ですな」
「……ああ、王宮騎士団のようなお飾りの高給取りを使う必要は無いだろう。……付属の輜重の方がよっぽど実戦で使える。オーギュトに蔑まれている荒くれ者揃いの辺境警備隊は、たしか義父と仲が良かったはずだ……酒で動くだろう。養成所のガキどもには鎌の使い方のいい練習になる……経費節約だっ‼……以上この問題は終わり!後の報告はタヌキにしろ!俺は知らん!」
「はい、仰せのままに」
笑っているのは筆者だけ?




