Ep.35 エメラルド・キャノピー ― 見定め
中央塔から転移し、そのまま木衡門を抜けると、湿り気を含んだ空気が頬に触れた。
頭上は枝葉で覆われ、昼のはずなのに森の奥は薄暗かった。太い幹が何本も立ち、地表へ浮いた根が足場を押し上げて道を歪めている。垂れた蔦は風もないのにわずかに揺れ、葉の擦れる音が近くと遠くで重なっていた。
「さあ、行こっか~!」
マッチーが両手斧の柄を握り直す。
「うん。いこう」
二人は並んで奥へ入った。
最初に草陰から飛び出したのはリーフウルフだった。左の茂みが揺れた瞬間、エーテルが半歩だけ前へ出る。横へ回ろうとした葉狼の鼻先へ打刀を差し込み、軌道をずらす。そのまま空いた胴へ、マッチーの斧が横から叩き込まれた。葉と樹皮を散らしながら個体が転がり、そこへエーテルがもう一度刃を落とす。
前よりすんなりと刃が通る。
手へ返ってきた感触が、前の武器とは違っていた。止まる手応えではなく、そのまま抜ける重さだ。
次はツタバインの蔦が足元を這った。エーテルは下がらず、その場で刃を返す。伸び切る前の蔦が断たれ、切れた先が跳ねた。その向こうへマッチーが踏み込み、火を乗せた斧で徘徊型個体ごと断ち割る。散った火が一瞬だけ緑の影を赤く染め、すぐ消えた。
「やっぱり強いね、この武器~」
「うん。斬れ過ぎて逆に怖いかも」
そう言葉を交わし、笑い合いながら、そのまま二人は奥へと進んでいく。
コケガードの体当たりは受けずに外し、横から崩す。枝の隙間から飛んできた棘は幹を挟んで避ける。前に突き出た幹の根元に、樹幹と棘でできた細長い塊が立っていた。そこからまた棘が射出される。
「あれがトゲタワーだよ~。ここら辺が縄張りの個体なのかな?」
言いながら、マッチーが斧を振り抜く。下半分を砕かれた個体がぐらついたところへ、エーテルが踏み込み、核を割った。
進みながら、防具の感触も分かった。肩を回してもつっぱらない。脚を深く入れても裾が遅れない。装備は増えたのに、動くたび意識を取られる場所が減っていた。胸の前で刃を返しても、腰を落として踏み込んでも、動きの途中でどこかが引っかからない。
「この装備、かなりいいね~」
マッチーが浮いた根を飛び越えながら笑う。
「うん。踏み込みやすいし、邪魔にもならないよね」
「斧も振りやすいし、前より遠慮しなくてよさそ~」
そのまま二人は奥へ進む。だが、目当ての姿は見つからなかった。幹の陰にも、根の上にも、蔦の濃い場所にもいるのは小型ばかりだ。気配は多い。けれど、探しているあの徘徊型はいない。
「やっぱり、すぐにはいないね。探し物は見つかりにくいってやつだ」
「徘徊型っぽいもんね~。待っててくれる相手じゃないし」
その直後、遠くで重い音が鳴った。
何か大きなものが幹へ叩きつけられたような衝撃。そのあと、裂けるような音と短い叫びが重なる。
二人は同時に足を止めた。
「……あっちかな~」
「見にいってみる?」
「見るだけ、見に行ってみよ~」
走らず、慎重に様子を伺いながら進んでいく。根の陰を選び、葉の垂れた位置で止まる。
幹の隙間から先を覗くと、少し開けた場所の中央で、巨大な蔦束の個体がうねっていた。中心の核が、木漏れ日の下で鈍く明滅している。
その周りに四人のプレイヤーがいた。
一人は短槍を持った竜人の女で、前へ出る踏み込みが鋭い。別の一人は大太刀を持つ男で、横から支えるように動いている。後ろには片手槌と攻防盾を構えた男と、短杖と小型盾を持った女が一人ずついた。
誰が前へ出て、誰が後ろから支えるのかは、その場で十分見て取れた。前へ出る者に横が合わせ、後ろが空いた位置を埋める。四人で組んで戦い慣れているのも分かる。けれど押せてはいない。巨大な蔦束は大きく揺れているのに、崩れる気配がなかった。
「……やってるね~」
マッチーが低く言う。
次の瞬間、前へ出た竜人の女の足元へ蔦が走った。見えた時には、もう巻きついている。横の大太刀使いがすぐ間へ入ろうとしたが、その前に徘徊型個体の太い蔦が横薙ぎに振られた。女の身体が弾かれ、根の張り出した場所へ叩きつけられる。
「フォローは速い。けど、間に合ってないね。初めてあいつと戦うのかも」
エーテルの口から考察が出る。
残る三人はすぐ詰めた。だが、光る核が脈打った。地面を割って小さな蔦束が這い出てくる。眷属だった。大太刀が一体を斬り、短杖の女が位置を変える。その間に、徘徊型個体の蔦がもう一度走った。
次に崩れたのは大太刀の男だった。
眷属に足を取られた一瞬で身体がずれ、そのまま徘徊型個体の打撃を受ける。残った二人が開き、今度は後ろにいた槌を持った男が前へ出た。だが、眷属が割り込み、徘徊型個体の蔦がさらに重なる。
槌持ちの男が倒れ、短杖の女が最後まで残った。
逃げるのではなく、徘徊型個体の正面へ踏みとどまるように立っていた。杖で蔦を払って道を作ろうとする。けれど、そこへ蔦束が正面から被さった。杖が弾かれ、次の瞬間にはその姿も光へと散っていった。
森がまた静かになる。
さっきまで響いていた金属音も声も途切れ、葉の擦れる音だけが戻ってきた。マッチーが小さく息を吐く。
「やられちゃったね~。あの人たちには悪いけど、手出しはしないで良かったよね?」
「うん。あいつ以外だったら、手助けしても良かったんだけど、私たちの目標を考えるとね」
徘徊型個体はその場に留まり、外側の蔦束をゆっくり動かしている。切られた蔦はある。眷属を呼んだ直後らしい重さも残っていた。けれど、それは前回自分たちが見たのと同じだ。削られた直後だから弱い、という相手ではない。
「今なら行けそう、って感じではあるけどさ~」
マッチーが言いかけて、言葉を切る。
エーテルも視線を徘徊型個体から外さなかった。
「あの状態で戦うのは違うよね」
「うん。これで勝っても違うね~」
勝つだけなら、今飛び込む手もある。四人が削った直後の相手だ。仕留めること自体は、さっきよりやりやすいかもしれない。
でも、それは違う。
初日に倒されたやつへのリベンジなのだ。二人が欲しかったのはそういう勝ち方ではなかった。
「追おうか。回復を待つよ」
エーテルが言う。
「見失わない距離でね」
「回復したらってことだね~」
「うん。他のプレイヤーが戦い始めたら、その時は諦めよう」
あの個体がゆっくり動き始める。二人は幹と根の陰を使いながら、その後ろを追った。
蔦束の動き、核の明るさ、止まる位置。眷属をまた呼ぶ気配があるか。進む向きが急に変わらないか。見失わないぎりぎりの距離で、それだけを見続ける。
途中で二度、三度と徘徊型個体は立ち止まった。浮いた根の前、蔦の濃い幹の脇、わずかに開けた地面の中央。そのたび外側の束がゆっくり持ち上がり、また下りる。核の光も、最初に見た時より強くなっていた。
四人と戦っていた直後の消耗は、もうほとんど見えない。
そう思った時、マッチーが両手斧の柄を握り直した。
「もういいかな~?」
エーテルも足を止める。目の前の個体を見たまま、一度だけ息を吸った。
「うん。今度は、最初から全力だね」
「だね~!」
マッチーが笑う。
「やり返そっか」
エーテルは打刀を抜いた。
刃が緑の薄闇を細く返す。少し遅れて、隣で両手斧が持ち上がる。二人は顔を見合わせず、そのまま前を向いた。




