Ep.30 エメラルド・キャノピー ― 森に紛れる敵意
木衡門をくぐった瞬間、背後の灯りがひとつ遠のいた。
初めてのソロ戦闘だ。無理せず、確実に。
頭の中で短く言い直し、足運びは慎重に、急がず、止まりすぎないことを意識する。視線は近くへ置くけど、遠すぎてもだめだ。
右前方で、地面に張りついていた蔦がぴくりと浮いた。次の瞬間、絡み合った繊維の塊がほどけ、ツタバインが身体を起こす。夜の中でも淡く光る緑の核が脈打っている。
蔦が走る。足首を払うように一本、膝を絡め取るようにもう一本。その上からかぶせるように、さらに細い蔦が伸びる。
「収束、硬化、鋭化。――《シャープエッジ》」
刃の縁が細く光った。最初の蔦を一閃で断ち、そのまま前へと踏み込む。横から来た二本目を身を沈めて外し、返した刃で根元を裂く。核を覆う蔦がほどけ、奥の核が覗いた。二歩目で踏み込み、打刀をまっすぐ通す。硬い感触が砕け、ツタバインは光へ崩れた。
視界の端に取得通知が浮かぶ。エーテルは内容だけを拾って目線を上げた。
続いて、左の草陰がはじけた。
リーフウルフだ。葉と樹皮を重ねたような毛並みが夜の森と混ざり、止まっている時より飛び出した瞬間のほうが輪郭を掴みやすい。低く、地を滑るように突っ込んでくる。
エーテルは正面で受けず、斜めへ踏み替えた。その動きをリーフウルフが追う。追ってくる動きに合わせて首筋へと短く刃を振る。その衝撃で体勢がわずかに流れたことで、覗いた核へと刃を通す。短い喉鳴りを残し、リーフウルフも光へほどけた。
次に出てきていたコケガードは、やはり手間がかかった。
丸い木塊に分厚く苔を貼りつけたような体が、低い唸りと共に近づいてくるが遅い。
エーテルは最初の一太刀を浅く入れ、切り口を見た。裂けた緑がうごめき、削れたぶんを埋め直していく。
正面から削る相手じゃない。
体当たりを半身で外し、脇へ回る。苔を裂く。まだ浅い。もう一歩ずれて樹皮の下を狙う。三撃目でようやく硬い感触に当たった。コケガードの動きが鈍る。そこへさらに踏み込み、打刀を深く押し込む。今度は届いた。核が割れ、コケガードは崩れ落ちるように散った。
数戦するうちに、一人でも大丈夫と分かった。ツタバインは蔦が伸びる前に断つ。リーフウルフは飛び込みの起点を止める。コケガードは回復する前に、核へ届く角度を作る。
離れた場所から短い声が上がった。少し遅れて何かがぶつかる音。別の方向でも枝が折れる。ほかのプレイヤーもこのあたりで戦っている。近すぎないが、遠くもない。
エーテルは大きく浮いた根のそばへ寄り、そこで腰を落とした。背を預け、指先の汗を柄で拭う。呼吸は乱れていない。肩も重くなかった。
一休止を挟み、そろそろ続きをしようかと、立ち上がりかけた時、右から火の玉が飛んできた。
小さな火球が葉を焦がしながらエーテルの横を抜け、背後の幹にぶつかって散る。熱が頬を撫でた。エーテルは反射で身を翻し、その方向を見る。
すぐに一人のプレイヤーが駆け寄ってきた。両手を上げている。
「悪い! モンスターと見間違えた!」
謝罪の声は早い。足も止まらない。近づいてから止まる位置も妙に近い。エーテルは打刀を下げたまま、相手の肩越しと周囲の葉陰を先に見た。近くにモンスターはいない。
「……次から気をつけてね」
「ほんと悪い。何か動いたのが見えて、リーフウルフかと思って」
言い分は通る。だが目線が合わない。謝りながら、少しずつ距離だけを詰めてくる。
エーテルは半歩下がった。
「そこまででいいよ」
男の足が一瞬止まる。
「こんなに近いと狩場も被るし、ここで分かれよう」
「……そうだな。そのほうがいい」
頷きながら、男は一歩引いた。だが身体の向きは切らない。離れる足でもない。
おかしい。
相手は頷き、一歩引いた。だがそれ以上はその場で動かなかった。
ひとつ息を吐き、エーテルが身体を返した直後、後ろで声が擦れた。
詠唱。
振り向くより先に踏み込む。間合いを一息で潰し、打刀を跳ね上げるように首筋へ走らせる。刃は皮膚の手前で止まった。男の喉が鳴る。続きかけた詠唱が切れた。
「待っ、待った! 降参、降参する!」
男が言い終わったすぐに、エーテルの視線の端に何かが光る。
空気が裂ける音。エーテルは首を引き、目の前の男を蹴って横へ跳んだ。続けて二本目がさっきまでいた場所を貫いた。
「は、避けた!?」
上から声が落ちてきた。枝の上に射手がいる。けられた男も目を剥く。
「今の避けるとかおかしいだろ……!」
上に射手。囮役の謝罪で足を止めさせ、背を向けさせてから詠唱と射撃を重ねるつもりだったのだろう。
「ちっ、やるしかねぇ! 挟め!」
射手が叫ぶ。囮役の男の顔から、さっきまでの柔らかさが消えた。
「最初からそうしろって言ったろ!」
短剣が抜かれる。上から一本、二本、三本と矢が飛んで来る。
一本目を身を沈めて外し、二本目を打刀の峰で逸らす。三本目は短剣の踏み込みに重なった。足止め狙いだ。エーテルは真正面で受けず、横へ逸らすように走る。射線と突進がずれる。
「逃がすな! 止めろ!」
「そっちが寄せろ、止め切れてねぇ!」
噛み合っていない。
その一拍で、エーテルは上を取ると決めた。
低い根を踏み、射手のいる枝へ体を向けた。それを短剣の男が追う。射手が矢を番え直す。そこで短剣の男が火魔法を重ねた。矢と火で押し込み、そのまま斬り込むつもりらしい。
「収束、展開、硬化、遮断。――《メタルシールド》」
斜め前の低い位置に、薄い金属板が立ち上がる。矢が突き立つと共に、火球が表面を叩いて弾けた。火花が散り、熱と衝撃がそこで止まる。
射手の顔が強ばった。
「もう防御魔法、作ってたのかよ!」
短剣の男が舌打ちする。
「聞いてねぇぞ、そういうの!」
「俺も今見たんだよ!」
エーテルはその言い合いの間に踏み込んだ。言い合いが終わる前に距離を詰める。まずは上。射手を自由にさせない。
枝へ飛び上がりざま、打刀を斜めに振る。構えたままの弓の腹を打ち、弦ごと潰す。
「うそだろ!」
射手が弓を手放し、腰の短剣へ手を伸ばす。だが遅い。返した一撃が太腿を裂いた。射手は枝を踏み外し、地面へ落ちる。
下から火魔法が飛んで来る。今度は射手を巻き込まず、エーテルの追撃を防ぐつもりで撃ってきている。エーテルは軸をずらして射線を外し、その熱の向こうから詰めてくる男を見る。
「こっち見ろよ!」
横薙ぎ。躊躇いなく振られた短剣を、エーテルは打刀で受けず、刃の内側へ体を入れる。短剣の切っ先が肩口を浅く掠めた。すれ違いざま、エーテルの刃が囮役の脇腹を裂く。
「っ……!」
男の足が止まる。地面から射手が叫んだ。
「下がれ! 今しかねぇ!」
「今じゃねぇ!」
またずれた。
エーテルは短剣の男を追わず、射手側に目標を定めた。
射手は落下の衝撃で足がまだ十分に動いていない。それでもエーテルに対抗するように、短剣を振ってくる。だが力の乗っていない短剣を打刀の腹で払い、肩から喉へ斜めに通す。射手の体が硬直し、そのまま光へ砕けた。
「おい、まじかよ……!」
短剣の男の声が裏返る。半歩、足が止まる。逃げればまだよかった。だが男は怒鳴って前へ出た。
「ふざけんな! お前、さっきから!」
感情で踏み込んでいる。歩幅が大きい。武器の間合と噛み合わない深さ。
エーテルはそこへ合わせた。打刀で受けるふりだけ見せ、一歩ずれて空振らせる。流れた右腕へ、斜めに刃を走らせた。
肘の先が断たれ、男の手から短剣が離れる。
「――ぁ、あ?」
男が自分の腕を見た。切り離された先は地面へ落ちる前に粒子へ崩れる。残った腕で何かを掴もうとして、掴めないまま後ずさる。男は片腕を失ったまま数歩よろめき、空いた肩口を見下ろす。
「う、腕……っ、戻るよな!? これ、戻るよな!?」
エーテルは答えず、間合いを詰めた。
男は反射で下がろうとする。だがもう遅い。打刀が首筋へ走る。刃が通り、男の体も光へ砕けた。
音が消える。
遅れて、枝に刺さっていた矢が一本、揺れて落ちた。エーテルは打刀を軽く振って残った光を払う。
「二日目からPKとか勘弁してよ、もう」
『お疲れ様です』
耳元に届いた声へ、エーテルは小さく息を吐いた。
「連携が甘くて助かっただけかな。でもPKがもういるならもう少し、気を引き締めないとね」
その後もツタバインを一体、リーフウルフを二体、コケガードを一体、処理した。手順は崩れない。ただ、草陰を見る時だけ、目の使い方が少し変わった。獣の揺れだけでなく、人の気配が混じっていないかまで確かめる。
次の戦闘へ入る前、視界の端でメッセージ表示が灯った。マッチーからだった。
『今、ログインしたよ~。どこにいる~? 合流しよ!』
『今はエメラルド・キャノピーだよ。すぐ戻るね』
返信を返し、エーテルは木衡門のある方角へ向き直る。足取りは、森へ入った時より迷いが少なかった。




