Ep.28 金錬領 ― 夜の道行き
ログイン処理を済ませ、次に目を開けたとき、背中にあるのは少し硬めの寝具の感触だった。
石壁に囲まれた空気。窓の向こうから差し込む、昼とは違う明るさ。エーテルはゆっくり瞬きをしてから上体を起こした。
土城領の宿の部屋は昨夜と変わらず簡素で、二つのベッドと窓がひとつあるだけだ。けれど、窓の外にあるのは昼の白さではない。暗さの中に灯りが浮いている。
「……ほんとに夜なんだ」
『はい。通常の昼夜循環に戻っています』
頭の中に聞こえた声に、エーテルは少しだけ笑った。
「昨日はずっと明るかったから、まだ変な感じ」
『見え方はだいぶ変わると思います』
「うん、もうそれは分かるかも」
窓の方を見たままそう返して、隣のベッドへ目を向ける。そちらは空いていた。エーテルはそれを一度だけ確かめてから、軽く髪を押さえた。
昨日のことを思い返すと、自然に浮かぶのは戦いのことと、そのあとに聞いた生産の話だった。錬金術ギルドで聞いた、素材を整えて次のクラフトへつなぐ流れ。あの話を聞いてから、装飾品のことがずっと頭のどこかに残っている。
「やっぱり、装飾品気になるんだよね」
『昨日もそう言っていましたね』
「うん。せっかくの相生の金だもん」
そこまで言って、ふと止まる。
「……でも、木貨と土貨しかないんだよね」
思い出して、自分で少し笑った。気になるからといって、すぐ何か作れるとは限らない。必要な素材も、必要な硬貨も、まだ見ていない。だったら順番はひとつだった。
「ナナミ、まず装飾品ギルドで確認した方が早いよね」
『はい。その方が分かりやすいと思います。必要なものが先に分かれば、そのあとも動きやすいです』
「だよね。今日はそうしよっか」
そう決めると、考えはすっとまとまった。昨日みたいに勢いで次へ次へと動くより、今はその方がしっくりくる。先に知る。それから決める。その順番でいい。
軽く身支度を整えて部屋を出る。宿の廊下にも、夜だからといって途切れない人の気配が残っていた。扉の向こうで声がしたり、階下から足音が上がってきたりする。静かではあるけれど、止まってはいない。
外へ出た瞬間、見え方の違いがはっきりした。
空はちゃんと夜の色をしている。昼のような均一な明るさはなく、そのぶん通り沿いの灯りや建物から漏れる光が目についた。昨日までなら気に留めなかったはずの光が、今は先に目へ入ってくる。
「昼と全然ちがうね」
『灯りの位置が見えやすいですね』
「うん。なんか、同じ場所なのに目の向き方が変わる感じ」
通りにはプレイヤーが普通にいる。歩いている姿も、立ち止まって話している組も、どこかへ向かう人影もある。景色は夜なのに、世界の熱は昼からそのまま続いているみたいだった。
「夜なのに、ちゃんと人多い」
『現実側の時間を考えると、いまはまだ活動している人が多い時間ですね』
「だよね。昼すぎだもんね」
エーテルは頷いて、土城領の通りを歩き始めた。
宿の前を離れるにつれて、夜の見え方が身体に馴染んでいく。昼は領の輪郭や通路の位置の方が先に目に入った。今は、灯りの集まる場所と、人の流れの方が先に見える。同じ通りなのに、時間が変わるだけで目の入り方まで変わるのが面白かった。
土城領そのものは変わっていない。岩と土の重みを感じる落ち着いた区画で、足元の石畳も、建物の並びも昨日のままだ。けれど夜の中では輪郭が締まり、遠くの灯りが点になって浮く。そのあいだをプレイヤーたちが行き交っていた。
「昼だと、もっと道とか建物を見てた気がする」
『いまは光と人の動きの方が目に入りやすいのかもしれません』
「うん、たぶんそれ」
歩いていくうちに、通りを進むプレイヤーたちの向きが少しずつ中央塔のある方へ揃っていくのが見えた。中枢域へ向かう流れだ。昨日も人が集まっていた場所だったが、夜になってもその動きは途切れていない。ひとりで歩く者もいれば、連れと並んで話しながら進む者もいる。エーテルもその流れへ足を重ねた。
中枢域へ近づくにつれて、見える光の量が増えた。暗さがあるぶん、中央へ向かうほど灯りの存在感が強くなる。広く明るいというより、必要なところに光が置かれていて、その間をプレイヤーが動いている感じだった。
「こっちはやっぱり多いね」
『中央に向かう人が集まりやすいからですね』
「昼も多かったけど、夜だと余計そう見えるかも」
中央塔の周辺には、夜でも普通に人が集まっていた。塔へ出入りしているプレイヤーもいる。立ち止まって画面を見ている者もいる。昨日は勢いのまま通った場所でも、今日は目の止まり方が違った。ひとつひとつを拾えるぶん、見えるものが落ち着いている。
「昨日、ほんと見てるようで見てなかったかも」
『昨日は新しく見るものが多かったですから』
「うん。今日は、もうちょっとちゃんと見れてる」
中枢域の中を歩きながら、エーテルは一度だけ中央塔を見上げた。夜の方が、中心らしさが強く見える。灯りが集まっているからか、人の流れが自然に寄っていくからか、自分でもよく分からない。ただ、いまこの都市の流れがいちばん濃く集まっているのはここだと、素直にそう思えた。
でも、今は中央塔に用があるわけじゃない。目的は夜の景色を見ることじゃなく、装飾品ギルドで必要なものを確かめることだ。エーテルは周囲をひとまわり見てから、そのまま金錬領へつながる通路へ入った。
中枢域を離れると、周囲の流れが少しずつほどけていく。さっきまでの密度はないが、それでも歩いているプレイヤーは多い。ひとりで移動している者もいれば、何か話しながら通っていく組もいる。夜でも領をまたいで動いている人は多かった。
「昨日より、ちゃんと見れてるかも」
『今日は目的が先に決まっていますからね』
「それあるかも。昨日はほんと、全部が新しすぎたし」
装飾品が気になる。けれど木貨と土貨しかない。だから、まずは必要なものを知りに行く。その一本が通っているだけで、歩き方まで変わる気がした。
金錬領へ入るころには、周囲の見え方もまた変わった。昼のときに目についたのは、設備や窓口の機能の方だった。夜は、灯りに照らされた場所と、その間を動くプレイヤーの姿が先に入ってくる。同じ領を別の時間で見ている、という感覚が昼よりも素直にあった。
「こっちはまた違うね」
『光の出方が土城領とは少し違います』
「うん。こっちの方が細かい感じ」
歩きながら、頭の中でやることをもう一度並べる。まずは装飾品ギルド。必要な素材、必要な硬貨、いまの手持ちで触れられる範囲。それが分かれば、そのあとにマーケットを見るのか、錬金術を試すのかも決めやすい。
「うん。その方が早いよね」
『はい。先に条件が分かった方が、そのあとの動きは組みやすいです』
昨日考えたことは、こういうところにも残っていた。追い込まれてから何とかするより、先に見る。先に知る。必要なものを確かめる。その方が、崩れにくい。
金錬領の通りは、夜の中でも光が細かい。派手というほどじゃないが、土城領より灯りの反射が目に入りやすく、そのぶん歩いているプレイヤーの影もよく見えた。通りを横切るたび、足元に落ちる影の形が少しずつ変わる。昼は機能の多さの方が前に出ていたが、夜は歩いている時間そのものが長く感じられた。
やがて、目当ての建物が見えてくる。
「さて、どうなるかな」
『装飾品ギルドですね』
エーテルは小さく笑って、そのまま装飾品ギルドへ向かった。




