表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
剋生の孔雀  作者: 氷炎
新しい世界 定めた目標

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

21/42

Ep.20 蒼環都市 ― 静かな現実

 


 最後に見えた赤い残光が途切れた瞬間、体の感覚が現実へ引き戻された。


 瞼の裏の暗さが薄れ、孔雀はゆっくり目を開ける。天井に埋め込まれた照明が、やわらかな白い光を落としていた。


 背中に触れているのは、居住ユニットのベッドだ。頭部を覆っていたフルダイブ装置が、静かな機械音とともに持ち上がり、接続が外れる。


 火鍛領の炉の熱。鉄を打つ槌音。赤く揺れる光。


 ついさっきまでそこにあったはずのものが、現実の静けさの中で急速に遠のいていく。


 孔雀は軽く伸びをした。


 孔雀が暮らしている居住棟047の生活ユニットは簡素だった。ベッド、端末、小さなテーブル。それだけだが、暮らすには十分だ。家事のほとんどは自動化されているから、自分の手を使う場面もほとんどない。


 腕の端末が小さく振動する。


 届いていたのは、やはり真智からのメッセージだった。


『落ちてる~?』


 孔雀はすぐ返す。


『今起きたとこだよ』


 返信はすぐ来た。


『そっち行くね~』


『了解。まってるね』


 数分後、訪問を知らせるチャイムが短く鳴る。


「開いてるよー」


 ドアが静かにスライドし、真智が顔を出した。


「早かったね」


「お邪魔しま~す。エレベーターすぐ来たの」


 同じ居住棟に住んでいるから、移動はほんの数分だ。真智は部屋へ入ると、そのまま窓の外を見る。海上都市の巨大な構造体が、夕方の光を受けて静かに光っていた。


「すごく静かに感じるよね~」


「火鍛領はずっといろんな音がしてたからね。まだ槌音が頭の中で鳴ってるよ」


「わたしもだよ。トンテンカントンって流れてる~」


 二人は顔を見合わせて笑った。


 孔雀が端末を操作すると、壁の一部が静かに開く。中の調理ユニットが動き出し、食事の準備を始めた。この都市の暮らしでは、料理もほとんど自動で済む。食材とメニューを選べば、それで十分だった。


 しばらくして、簡単な食事がテーブルへ並ぶ。


「いただきます」


「いただきます」


 向かい合って座り、食事を始める。


 味は悪くない。栄養もきちんと管理されている。けれど、整いすぎている味だった。


「火鍛領の宿の料理、ちょっと食べてみたかったな~」


「あの匂い、すごかったよね」


「今日はまあいいとしても、明日はどこかで食べてみようよ」


「そうだね。効果がなくても、おいしいは正義だし。太らないしね」


 その言葉に、二人そろって笑う。


「ゲームの中のご飯のほうが楽しそうって、なんか変な感じだけどね~」


「まあ、あっちは世界ごと作ってるもんね」


 孔雀はひと口運び、飲み込んでから続けた。


「それにしても、最初のイベント楽しみだね」


「ワールドスケールだもんね~」


「何だと思う?」


「さすがにまだわかんないかな~」


「第二層解放とか?」


「リリース初日でそれは早すぎるよ~」


「確かに。まだ私たち、レベル2だもん」


 また少し笑う。


 ゲームの話をしながら食事を終えるころには、外の光も少し傾いていた。


 真智が立ち上がり、自分の皿と、食べ終わっていた孔雀の皿も一緒に食洗機へ運ぶ。


 こういう気遣いを自然にやれるところが、真智らしい。だから一緒にいて楽しいし、一緒に遊びたいとも思う。


「じゃあ、わたし一回部屋戻るね。さっきも言ったけど、のんびりお風呂入るんだ~」


「片づけありがとうね。お風呂でゆっくりしておいで」


「二十二時前にはまたログインしてるよね~?」


「私は少し早めに入って、ちょっとぶらぶらするよ」


 真智が頷く。


「了解。じゃあまたあとでね。入ったらまたメッセージ送るよ~」


 そう言って真智が部屋を出ていく。ドアが静かに閉まり、部屋はまた静かになった。


 孔雀は一度、窓の外を見た。海上都市の人工構造が、水平線まで続いている。


 安全で、安定していて、穏やかな世界。


 そして、どこか物足りない世界だった。


 真智が出ていったあとも、孔雀はしばらく椅子に座ったまま窓の外を眺めていた。


 蒼環都市の夕方は、いつも静かだ。都市機能のほとんどが自動化されているから、人の慌ただしい動きは少ない。散歩道にはまばらに人影があり、遠くの人工砂浜では波が規則的に寄せては返す。


 すべてが整っている。


 そして、整いすぎている。


 孔雀は小さく息を吐いた。


「さて」


 席を立ち、浴室へ向かう。


 居住ユニットの入浴設備も完全に自動化されていた。温度も湿度も水量も最適化され、湯へ身を沈めると、それだけで体の緊張がほどけていく。


 湯気がゆっくり立ち上る。


 VRの感覚とは違う、現実の重さが体に戻ってくる。


 目を閉じると、頭の奥にさっきまで歩いていた街が浮かんだ。


 緑の影が揺れていた木衡領。


 静かな水音が続いていた水律領。


 金属の光が整然と並んでいた金錬領。


 重い石壁が連なっていた土城領。


 どれも、現実にはもうない景色だ。


 それなのに、不思議と強く残っている。


 最後に浮かぶのは、やはり火鍛領だった。


 炉の熱。鉄を打つ槌音。赤く揺れる光。


 あの世界の空気は、もちろん現実ではない。


 それでも、こちらより生きている感じがした。


 しばらく湯に浸かったあと、孔雀は浴室を出た。


 時計を見る。まだ二十一時半前だ。


 真智は二十二時直前に入ると言っていた。けれど孔雀は、少し早めにログインすることにした。


 イベント前の街の様子を見ておきたかった。


 部屋へ戻り、フルダイブ装置を手に取る。


 窓の外では、蒼環都市の夜の照明が静かに灯り始めていた。通路を歩く人影も少なく、街は穏やかなまま変わらない。


 けれど、ほんの数十分前までいた世界は違う。


 人が行き交い、槌音が響き、炉の火が揺れていた。プレイヤーの声が重なり、街はずっと動いていた。


 静かな現実と比べれば、あちらはずっと騒がしくて、落ち着きがない。


 それなのに、不思議と居心地がいい。


 現実の世界は安全で、穏やかで、完成している。


 そのぶん、揺らぎが少ない。


 だから人は、別の世界へ向かうのかもしれない。


 孔雀はベッドへ横になり、装置を装着した。


 視界がゆっくり暗くなる。


 接続音が静かに響き、意識が深く沈んでいく。


 時計はまだ、二十一時半を少し回ったところだった。


 イベントまでは、ゲーム内時間でまだ一時間ある。


 その時間を、あの世界で過ごすのも悪くない。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ