Ep.19 火鍛領の宿 ― 炉火の休息
周囲のプレイヤーたちも、少しずつ動き出していた。
半透明のウィンドウを見上げたまま止まっていた視線が、ようやく地上へ戻る。互いに顔を見合わせ、あちこちで小さなざわめきが立った。火鍛領の通りに、ゆっくりと揺れが広がっていく。
「今の通知見た?」
「ワールドスケールって何だよ」
「リリースイベントじゃないの?」
「そう言えば、このゲームって特に何かするって聞いてないよな」
「ストーリーとかクエストとかも聞いてないよね」
「戦うだけでも俺はいいけどな」
笑う声が混じる。興奮をそのまま口に出す声もある。
イベントの話題はあっという間に通りへ広がって、火鍛領の空気を少しだけ落ち着かなくした。
通りの中央では、三人組のプレイヤーがその場で相談を始めていた。
「二十二時ってことは、今は一回落ちる感じ?」
「ご飯とかあるしな」
「俺、先に宿とっとくわ」
そう言って一人が駆け出し、残りの二人も慌ててそのあとを追う。
別の場所では、武器を担いだプレイヤーが仲間へ声をかけていた。
「イベントまでに装備整えとこうぜ」
「今から?」
「時間あるだろ」
笑い声が上がる。
誰も彼も、少し浮き足立っていた。
マッチーも辺りを見回す。
「そう言えばログアウトって、どこでやるんだっけ~?」
火鍛領の通りを見渡しながら、思い出すように言う。
このゲームはフルダイブ型だ。現実と同じように歩いて、触って、匂いまで感じる。
だからこそ逆に、普通のゲームみたいに、どこからでもメニューひとつでログアウトできるわけではない。
エーテルは少し考えてから答えた。
「ログアウトはたしか、各領の宿泊施設だったはずだね。事前情報に書いてあったよ」
「あ~、安全ログアウト地点ってやつだね」
マッチーはすぐに頷いた。言いながら、通りを歩くプレイヤーたちへ目を向ける。確かに何人か、同じ方向へ流れていっている。たぶん宿を探しているのだろう。
エーテルも少し笑う。
「緊急時以外は、ちゃんとした施設を使ってねってことだね」
「最近のVRゲームだと、その仕組みけっこう一般的になってきたよね~」
納得したように、マッチーが腕を組む。
「まあ、そのほうが雰囲気あるよね」
「うん」
エーテルも頷いた。
「どこでもログアウトできたら、街に来る意味が薄くなるしね。……まあ、このゲームで他に拠点があるかはまだわかんないけど」
「そこら辺もわかんないよね。楽しみいっぱ~い」
「うん。後の楽しみって、いくつあってもいいからね」
知らないことを知っていく感覚は、それだけで価値がある。
「イベント前とか、宿の混み具合すごそうだよね~。まあ、ペンタクルベースの大きさ見る限り、プレイヤーが泊まるぶんには余裕ありそうだけど?」
「プレイヤーはたぶん、二千人くらいしかいないだろうし、余裕そうだね」
二人は小さく笑った。
火鍛領の石畳には、炉火の赤みが淡く落ちている。その中を並んで歩き出す。
明るい空の下でも、石畳には炉の熱と光の気配がうっすらと滲んでいた。建物の壁には煤が残り、ところどころの炉口から橙色の光がこぼれている。
遠くでは、変わらず鉄を打つ槌音が響いていた。
カン、カン、と乾いた音が一定の間隔で繰り返され、街全体へ火鍛領らしい活気を通している。
この世界は、現実時間で翌日の昼までは昼のまま固定されている。けれど火鍛領では、炉の火が途切れず息づいているせいで、昼の中にも独特の熱と赤みが混じっていた。
その空気を感じながら歩き、二人は五領最後の水晶体へたどり着く。
火鍛領の水晶体も、ほかの領と同じく属性を映した灼色の光を放っていた。
「ここの水晶体も綺麗だね~」
「だね。どの水晶体も、ちゃんとこの属性ですよって感じでわかりやすいのがいいよね」
そう話しながら、二人は転移登録を済ませる。
これで中枢域を含め、五領のクラフトギルド前は全部登録し終えたことになる。
「さて、宿屋はどこかな~」
「たぶん近くにあると思うよ」
二人は通りを進む。
少し歩くと、通りの角にひときわ大きな建物が見えてきた。
黒鉄の柱で支えられた、重い造りの建物だ。入口の上には炎の紋章が刻まれ、赤く揺れる灯火が掲げられている。
周囲には何人かのプレイヤーが出入りしていた。
「向こうにもそれっぽいのあるけど、ここでいい?」
「うん。どこがいいかもわかんないし、ここにしよ~」
中へ入った瞬間、外よりさらに暖かい空気が流れてきた。炉の熱を建物の中へ回しているのだろう。暑いわけではなく、ちょうどいい温かさだ。
壁際には石造りのかまどがあり、その上の鉄板では肉や野菜が焼かれている。香ばしい匂いが室内へ広がっていた。
中央には長い木卓が並び、すでに十人ほどが腰を下ろしている。食事をしている者もいれば、ただ座ってイベントの話をしている者もいる。
その匂いに、マッチーが思わず鼻をひくつかせた。
「うわ~、いい匂い!」
「焼き料理だね。豪快だけど、火鍛領って感じする調理法だ」
エーテルも周囲を見回す。
壁も柱も、黒鉄と木材の組み合わせでできていた。余計な装飾はほとんどない。火鍛領らしく、実用をそのまま通した造りだ。
「なんか落ち着くね」
「うん!」
マッチーが満足そうに頷く。
入口の横には受付があり、宿の受付係らしい女性が立っていた。エーテルたちはそこへ歩み寄る。
「ようこそおいでくださいました。宿泊利用でよろしいでしょうか?」
受付の女性が穏やかに声をかける。
「はい。同室でも大丈夫ですか? 宿を出る時間は、たぶんばらばらになると思うのですが」
「問題ございません。では、一室の利用料金として属性硬貨を五枚お願いいたします。硬貨はどの属性でも構いません」
エーテルはマッチーへ目で合図を送り、メニューを開いて所持品を確認する。
持っている硬貨は木貨だけだった。そこから五枚を取り出し、受付の木皿の上へ載せる。
「これでお願いします」
女性はそれを確認し、小さく頷いた。手のひらで階段のほうを示しながら告げる。
「確認いたしました。お部屋は二階、左手一番奥になります」
「はい。ありがとうございます」
「ありがとうございます~」
「どの属性硬貨でもいいんだね~」
「そうみたいだね。これで、領域に対応した硬貨じゃないと駄目だったら、ちょっと恥ずかしかったかも」
二人で話しながら階段を上がる。
廊下には簡素な木扉が並んでいた。左手の一番奥まで進み、扉を開ける。
中にあったのは、小さな部屋だった。
ベッドが二つ。窓が一つ。
それだけだ。
余計な装飾はない。けれど、それで十分だった。
マッチーが満足そうに頷く。
「こういうの好き」
「うん。視界がすっきりしてる」
二人はそれぞれベッドへ腰を下ろした。
「二十二時だよね」
「うん!」
「私は少し早めに戻ろうかな。ちょっと街をぶらついてみたいし」
「わたしは久しぶりのVRゲームだったから、ちょっと長くお風呂入りた~い」
マッチーが笑う。
「あ、エーテルちゃん、このあと部屋行くね~」
「うん、わかったよ。じゃあまた後でね」
「うん。またすぐにね~」
そう言って、マッチーはベッドの上でふっと力を抜いた。どうやら先にログアウト操作へ入ったらしい。数秒もしないうちに、眠るみたいに静かな状態へ落ち着く。
ログアウトに入ると、こんなふうに眠ったようになるのかもしれない。
その寝顔を少し眺めていたくもなったけれど、そんなことをしていたら時間が足りなくなる。エーテルは思い直し、UIのログアウト項目へ意識を向けた。
視界に淡いウィンドウが浮かぶ。
【ログアウトしますか?】
迷わず選ぶ。
視界がゆっくり暗くなっていく。
火鍛領の炉の光が、暗転する寸前に一度だけ揺れた。




