Ep.11 翠樹海 ― エメラルド・キャノピー
訓練場を出ると、二人はそのまま中枢域へ戻った。
戻ってきた先では、巨大な結晶柱が静かに脈打っている。足元には五芒星の光が淡く広がり、結晶の根元を照らしていた。五行を軸にしたこの世界で、それがただの意匠ではないことは、見ただけでわかる。中枢域の空気は人で満ちているのに、その中心だけは妙に落ち着いて見えた。
「やっぱここ、ちょっと安心するよね~」
肩を回しながら、マッチーが言う。
「少なくとも、この中ではPKできないみたいだしね」
「初日ってなおさら平和だよね~。みんな、この世界でどう遊ぶかしか考えてない感じ?」
「今のところはね。まだ、みんなこの世界を知るほうに意識が向いてる」
塔の中には、まだ大勢のプレイヤーがいた。武器を持ったまま立ち止まっている者。ステータスウィンドウを開いたまま動かない者。誰も彼も、まず情報を掴もうとしているように見える。
この世界のことを、まだ誰もよく知らない。
それでも視線は、もうその先を見ていた。
そんな人の流れを横目に、二人は北へ向かって歩き出す。
「さっき通った時は気にしてなかったんだけど、このエリアって木属性っぽい? 森っぽい建物多いし~」
中枢域の塔を出ると、木材を基調にした建物が並んでいた。蔦の装飾が壁を伝い、緑の多い通りが先へ伸びている。視界の端に表示されたエリア名は、《ペンタクルベース 木衡領》。
街並みは、深い翠とやわらかな木肌の色に包まれていた。建物は石ではなく木造ばかりで、外壁には年輪を思わせる円の意匠が刻まれている。通りは土と木板で整えられていて、踏み出すたび足裏へわずかな弾力が返ってきた。頭上では枝が絡み合い、陽光を細く濾して緑の影を落としている。風が通るたび葉擦れが広がり、街全体が静かに揺れた。
「エリア名の通りなんだろうね。木属性基盤って見てよさそう」
「都市構造が五角形っぽいしね~。中枢域の外に五区あるんだろうなってのはわかる!」
確信ではない。ただ、見えているものと、ほかのゲームで見てきた構造の感覚がそう繋がった。
エーテルは視界右上の都市マップへ意識を向けた。拡大だけでなく縮小もできるらしい。縮小していくと、都市全体の形がはっきりしてくる。各区画には、属性に対応しているらしい色が薄く乗っていた。
外郭は五角形。中心から各頂点へ向かって大通りが放射状に伸び、そのあいだを補助通路が繋いでいる。
中央にあるのが、中枢域。さっきまでいた塔のある場所だ。
北は木材基調の街並みで、木工ギルドと服飾防具ギルドがある木属性区画、木衡領。
左上は赤を基調とした火属性区画。武器ギルド、革細工ギルド。
右上は水路の多い水属性区画。魔法薬ギルド、道具製作ギルド。
左下は重い石造りの土属性区画。金属防具ギルド、刻印術ギルド。
右下は金属と装飾の多い金属性区画。装飾品ギルド、錬金術ギルド。
ナナミが説明していた各属性対応のギルドは、そのまま対応する区画に置かれているらしい。
「マッチー、右上のマップに意識を向けてみて。拡大縮小できるから、縮小すると《ペンタクルベース》の区画が一目でわかるよ」
「マップそこまで見てなかったや~。ありがと、見てみるね」
そう伝えると、マッチーの視線が右上へ流れる。周りでも同じように中空を見て視線を動かしているプレイヤーは多かったけれど、外から見ればやっぱり少し不思議な光景だ。
「お~! 区分けすごくわかりやすいね! 五角形の頂点ごとに分かれてるんだ~!」
「クラフトギルドの位置も見えるしね。ほら、木属性の対応だと木工ギルドと服飾防具ギルド」
「あ、本当だ! さっき通った時は全然見てなかったや。早くモンスターと戦うんだ~! ってなってた」
「マッチー、戦闘好きだもんね。もうちょっと他にも関心持ってくれると、私は助かるけど」
「……うっ。……あっ! ほらほら、エーテルちゃん! 遠くに見えるあの門! あれが外部フィールドに出る木衡領の外門だよ~!」
「わかりやすく話そらしたね。あんな遠くの門に振るなら、まずこの目の前の水晶体のほうが自然だったよ?」
二人の目の前には、水晶体があった。木工ギルドと服飾防具ギルドのあいだに置かれたそれは、中枢域の結晶柱と似ている。ただ、こちらは翠緑色だった。
「……こんなのあったんだ」
「本当に気づいてなかったんだ? 中央の結晶柱と同じ系統のターミナルなら、これも転移地点として登録できそうじゃない?」
マッチーの気づかなさに少し驚きつつ、エーテルは水晶体へ意識を向ける。予想通り、転移可能地点として登録された。
「……うん、やっぱり登録できた。マッチーもアクセスしときなよ」
「うん、ありがと~。もうちょっと戦闘以外も気にするようにするよ~」
「そうだね。気をつけよう。まあ、気にしすぎなくていいけど。私も戦うのは好きだし、そこは同じようなものだから」
少ししゅんとしたマッチーにそう返しながら、二人はまた歩き出す。話しながら進み、木衡領の最北部にある門のそばでも水晶体へアクセスして登録を済ませると、そのまま外部フィールドへ出た。
《外部相生領域 第一層 翠樹海 ― エメラルド・キャノピー》
門を抜けて、二十メートルも進まないうちに、目の前はもう樹海だった。
空が低い。そう錯覚するほど、樹冠は厚く重なり合っている。枝葉が幾重にも重なって、光を細く裂きながら地面へ落としていた。直射はない。淡い緑を通ったやわらかな明るさだけが、森全体に広がっている。
蜂蜜色の木漏れ日に染まる幹が前に並び、森は静かなぬくもりを湛えていた。地面に平らな場所は少ない。腐葉土の下を太い根が走り、踏む場所ごとに感触が変わる。沈むところもあれば、張った弾力が返ってくるところもある。
静かなのに、無音ではない。遠くで葉擦れが鳴る。けれど、風が吹いている感じとは違う。揺れているのは空気ではなく、森そのものに見えた。
幹には古い傷がいくつも残り、そのあいだから細い蔦が垂れている。無秩序に見えて、よく見れば地面へ伸び、また別の幹へ絡みついていた。
この森は視界が通らない。まっすぐ先を見ることができず、木立の向こうは常に薄い緑に遮られている。
立ち止まると森の音が近づき、歩けばまた遠のく。
ただ広がる森林ではない。
すべての上を覆う天蓋。
見上げても、そこに空はなく、枝葉の緑があるだけだった。
成長を司る木を、そのまま形にしたような場所。
翠樹海――エメラルド・キャノピー。




