潜伏
「親父、俺、しばらく家に帰らないから」
わかった、気をつけろよ、と言われ、がしがしと頭を撫でられる。
報告だけは怠るな、毎日うちに来なさい、とは、ディアスさん。
時間が惜しい。残りの肉を素早く食べようと、最後の1つに手をかけると、ぐいっとその手を引っ張られた。
緑色の瞳が、そこにあった。
ふわりと、ピンク色の髪の毛が肩に落ちる。
珍しい。髪、ちゃんとまとまってないじゃないか。どうしたんだ。
「……学校、来るよね?」
リーナは、串焼きを掴んだまま、微動だにしない。
ぐいぐいと引っ張ってみるけど、本当にびくともしなかった。
やっぱりすごい力だ。さすがだな。
「行くよ。サボったら目立つだろ」
「なら、いい」
そう言い残して、リーナはぼすっと軽く俺の胸のあたりを叩くと、仕事を始めた。
膝に落ちた小さな袋に気づいたのは、立ち上がろうとした時だ。傷薬と、緑色の魔石が入っていた。
リーナの家を出ると、俺はディアスさんに分けてもらったオーク肉の串焼きを麻袋に入れ、下町に向かった。
リーナの家から南側には店がない。正確には、看板を出しているところがない。
暗い路地を、月明かりを頼りに迷いなく歩く。
このあたりは、商業ギルドを通さないもぐりの飯屋や雑貨屋、肉屋、八百屋、薬屋なんかが、下町の人間にしかわからない場所でひっそりと営まれている。
見た目はただの民家だ。
明かりも少なく、夜には店は閉まる。
なんでひっそりやってるのか。市民権がなく、開業ができないもぐりの住民が営業しているからだ。
国としては長期旅行者扱いの、住民。
市民権は、とても高い。更に既に市民権持ちの人間の紹介が必要だ。
ちょっとひと旗あげようと他の街から王都に来た人間は、大抵ここで失敗する。
旅行者扱いでの王都の生活は辛い。
住居を買えず、ずっと家賃が先払いの狭い賃貸住宅の生活。信用がないから、安定した仕事もなかなか受けられない。
子供も学校にだって行けないんだ。
知り合いからの紹介が多い王都の就職状況において、つてもない、学校の卒業生でもない人間が身を立てるのはとても難しい。
住民登録がないから犯罪を犯しても特定しづらく、この地域の治安はかなり悪い。住民の連帯感は強いが、よそ者は歩いているだけで絡まれて、金品を巻き上げられることもままある。
しかし、例外はある。
俺は、その例外に向かって、暗い路地を迷いなく歩いていく。
こんこんこん。
俺は、ある扉の前に立っていた。
はーい、と声がして、がちゃっと勢いよく簡素な木の戸が開いた。
飛び込んで来たのは、明るい茶色のくるくるの巻き毛。
同じく茶色の大きな瞳、丸顔の馴染みのやつが、目を丸くしてこっちを見ている。
「ニムルス、どうしたんだよ」
「カイル、ごめん。しばらく泊めてくんない?親父とケンカしちゃってさ。ここに来ることは言ってるし、毎日肉買ってくるから。ほら」
すっと、ディアスさんが用意してくれたオーク肉の串焼きを差し出す。
カイルの後ろから、小さな男の子と女の子が走ってくる。匂いにつられて。
例外。それは、兵士になること。
給金が上がるし城の仕事だから信用もあり、市民権に手が届く。
その兵士の長男、カイルの喉が、ごくりと鳴った。
俺は知ってる。カイルは、この串焼きをずっと食べたがっていたんだ。店の開店前に仕事を終えるカイルには、これを食べる機会がない。
見開かれる、茶色いまっすぐな瞳。
俺は出来る限り、困ったような顔をしてにっこりと笑った。
その日から、俺はカイルの家の片隅で眠るようになった。
ぼろぼろの毛布を選んで持ってきて、それにくるまってリビングの片隅で眠る。
家族五人、ぎりぎりの広さで暮らしているのに受け入れてくれて、本当にありがたい。
朝には、少ない食事を俺にも分けてくれる。
家に帰れば食べれるんだけど、それだと家出の言い訳が通用しない。申し訳なく思いながら頂いた。
その代わり、俺がディアスさんからもらってくる肉が、晩ごはんになった。
カイルの両親も、ディアスさんのところで親父と会っていることを知ってるらしく、見守っていてくれる。
……多分、親父が手を回したな。一回、あいさつにでも来たんだろう。カイルの送り迎えは今もしてるからな。
でないと、まともな家庭は家出息子をかくまったりしない。
なぜかカイルの親父さん、ライルさんは、カイルと同じ薄い茶色の瞳を輝かせて自分の仕事について語ってくれるようになった。
新しく登用された、白の騎士団についてだ。
俺が憧れている設定になってるのか?
まあ、いい機会だ。たくさん聞いておこう。
ほとんど知ってる話なんだけどな。
ディアスさんは特別だから、あの方は信用できると、繰り返し語っていた。
一応前のめりに聞いておいた。
ちくりと、心が痛む。
秘密。守ろうとすると、どうしても、こんなにまっすぐに、なれない。
カイルな家族のきれいな瞳が、汚れた俺をまっすぐに見つめてくる。
絶対に、迷惑をかけないようにしようと心に誓った。
学校には、ちゃんと家に帰って着替えてから行くから、誰にも気づかれていない。
ただ、親父の手伝いを始めたからといって、剣術の授業は出なくなった。
司祭様は、うんうんと頷いていた。
以前から言われてたんだ。君はもう、完成された技術があるから、他のことを学んだ方がいいって。
親父の、表向きは冒険者の仕事の見習いになったと思ってるんだろう。
その通りだ。表向きじゃなく裏のほうな。
余った時間で、少し教会を散歩してみる。
あの、太った新人の巫女さんが、廊下の掃除をしていた。
その胸にきらりと光る、緑の簡素な首飾り。
あれは、隠してはいるけど魔石だ。攻撃を弾く効果もあり、傷ができたら癒すこともできる。
エリサさんが贈ったのかな?順調ってことかな。
俺のことも見慣れたのか、こんにちは、と、挨拶をしてくれた。
俺もこんにちは、と、返しておいた。
どんな、気持ちなんだろう。
貴族の都合に翻弄されて、娘を守ろうと頑張って、それでもできなくて、命まで狙われて。
当然、アリスがどうしてるかなんて、知らないよな。
おしえて、あげたいな。
いや、いけない。それはエリサさんの仕事だ。
余計なことして邪魔しちゃダメだ。
俺は、俺の仕事をしなければ。
夜になり、いつものように肉を持って、カイルの家に行く。
あらあら、気を遣わなくていいのに、と、カイルの母親は俺の頭を撫でる。
くすぐったい。じんわりと心があつい。
それを振り払うように、にっこりと笑った。
「いいえ、お世話になってるんだからあたりまえです!あの、これだけじゃ役に立ってないでしょ?俺、水汲みくらいできるから!明日からやるからね!」
カイルの母親、カーラさんは、少し赤みがかかった茶色い瞳を細めて微笑んだ。
カイルが、ちょっとびっくりしてた。
ちくり、胸が、また痛んだ。




