教室で眠りたい
きい、ぱたん。
司祭様が、次の授業のために部屋を出た。休憩の時間だ。
がたがたと、みんなが席を立ったり移動する。
ざわざわと、そこかしこで話し声が木霊する。
ひそひそと、また女が街の噂話で盛り上がる。
前なら、リーナに大事なこと、話そうとして毎回からみに行ってた。でも今はそんな余裕、ない。
体が痛い。とにかく、痛い。
なんだろう。もう本当に、少し掃除をするだけなのに。剣術の訓練の何倍も、体が痛いなんて。
ロザリー、ほんとすげえよ。あそこの重すぎる道具を、あの細っこい腕で、夜まで使ってんだよな?
それをいつからやってるかわかんないリーナが怪物なのも、頷ける。俺、とんでもないものに殴りかかったんだな。
殴り、かかって。
ぴり。右手がまた、痛む。
結局、俺はリーナと会う機会がふえたのに、何も言えていない。掃除だって、途中からロザリーが参戦して片付けるから、そこまで戦力になってない。
ちくしょう。くそ。この。
なんだかわからないもやもやした気持ちが、体の痛みに混ざってすごく気持ち悪い。
とりあえず、今は寝ていたい。ちょっとでいいから。
とにかく、眠い……。
びしっ。
誰かが、俺の頭を叩いた。なんだよ。眠いんだよ俺。
「起きなよ。司祭様、来てるよ」
ゆさゆさゆさ。体を揺すられる。
うー、だりぃ。誰?ああ、アリスもといハンカチ屋か。いや嘘だろさっき寝たばっかり。
かつ、かつ、かつ。石の床を鳴らす、司祭様の高級な靴の音が、深く響く。
ああ、と、アリスの声が小さく聞こえる。
ん?ほんとにいるの?
「カイル君は、歴史に興味がないのかな?」
がばっ。起きた。ほんとにいた!!
どっ、と、クラス中に笑いが起きる。え、なに。
「ぶっ……わんわん君、おでこが真っ赤だぁ!」
リーナの、声。みんなも、笑う。
くっ、ちくしょう。またわんわん君って!!
いつか勝ってやる!そして、言うんだ。ちゃんと、ごめんって。
みんなの笑い声が、響く。わんわん君って。
俺、そんなに、犬みてぇだったかな。
兵士になって、父さんみたいに、みんなを守りたいのに。犬みてぇって。
「あの、司祭様。ひとつ、よろしいですか」
凛とした声が響く。ロザリー。何してんだよ。注目されたくないだろうに。
「許します。話しなさい」
司祭様が重々しく頷く。
「実は、わん…カイル君は、わたくしと同じようにリーナの家で、短時間ですがお手伝いを始めたのです。贖罪によるものなので、今日はどうかお見逃し頂けませんか?
わたくしと同じように、いずれ慣れますから」
わあぁっ!!ざわざわざわ。みんなの声が、方々から聞こえる。
えらいじゃん、わんわん。なんだ、やるわね、わんわん君。かわいいだけじゃねえのな、わんわん。ちゃんとあやまってるのね、わんわん君。
わんわんわんわんうるせぇ!!!
怒りたい。でも、怒れない。
右手がぴりぴりしてるから。
俺は、乱暴者じゃない。街を守る、兵士になるんだ。
悪いことは、ちゃんと償うんだ。
まだ、大事なことは……言えてないけどな。
「わかりました。ならばよいでしょう。しかし、学校の成績も、兵士の試験には影響することを、忘れないように」
くっ、そうだ。
紙は高い。授業の内容は、頭で覚えるしかないんだ。特に、この、一番眠い歴史の授業は。
俺は、自分の腕をつねりながら、司祭様の話を聞いた。
終わる頃には、左手の手の甲が真っ赤になっていた。
「おい、犬。おまえ、飼い主のとこで尻尾振って働いてるんだって?」
ざりっと、安物の靴底が地面を擦る。
教会の南側の広場でかまえを取りながら、俺を挑発してきた奴。鍛冶屋の三番目の子供、ザムだ。
家業を継ぐのは上の兄ちゃんがいるから、外で仕事を探さないといけない。
冒険者か、兵士か。運良くどこかで見習いになれたらいいけど、こいつや俺みたいな力自慢は、たいていどちらかになる。
つまりは、俺のライバルだ。
これまで、こんなこと言って来なかったのに。なんだよ。
「うるせえ!俺は犬じゃねえ!!」
ぶん、と、上段から木の剣を振り下ろす。
ザムは、剣の腹でそれを受け止める。が、どさっと地面にしりもちをつく。
あれ?こいつとは、力はおんなじくらいなのに。
「ぐっ……なんだよ!リーナのこと殴ったくせに、今更手伝いなんかしやがって!気に入られてぇんだろ!やっぱ犬だ!わんわん言ってみろ!!」
ザムの顔がちょっと赤くなった。悔しいのか?
「うるせえよ!おれは、おれは、わるいことはちゃんと謝るんだ!街を守る兵士になるんだから!!」
ふっ、と、ザムは口の片方を吊り上げて起き上がり、俺を睨む。
ぶん、と、剣を横腹に凪いでくる。俺は難なく受け止めた。
あれ?手応えが、違う。
「何言ってんだよ!もう半年も前のことじゃねえか!ご主人様に近づきたいだけなんだろ!?この色ボケが!兵士になんかなれるか!!」
がんがんがん、ザムは真っ赤になって何回も打ち込んでくる。
でも、あれ?勝ったり負けたりしてた相手なのに、なんか、軽く流せるぞ?
ていうか、なんでそんなにリーナにこだわんの?
お前も、ひそひそ悪口言ってたじゃねえか。
「……なぁ、お前もリーナのこと、いんらんだとかいんばいおんな?とか、よくわかんねぇけど色々言ってたと思うんだけど……なんでそんなにこだわるんだ?」
がん!ザムの蓮撃が、止まる。
切り結んだままの体勢で、じっとザムの黒い目を、見てみた。ゆらゆら、揺れている。
「……それは!ロザリーがついた嘘だったじゃんか!店に行ったらほんとにふつうだったんだよ!
あんな、か、かわいいんだから、尻尾振ってんだろお前!?気にいらねぇんだよ!!ふぬけってやつだ!おまえは、ふぬけ、だ!」
ぐぬ、と、口を引き結んでまた、ザムは剣を俺に振るう。
顔は、真っ赤だ。なんかちょっと涙目だ。いつも互角なのに、一撃も入んないからなのか、それとも。
「……おまえ、リーナのこと、好きなのか?」
ザムはついに耳まで真っ赤になった。
闇雲に剣を振ってくる。そんなんじゃ当たんねぇよ。
はあ。体、痛ぇんだけど。
しょうがねぇから、一撃でのしてやった。
今度、話、聞いてやろう。
うん、そうしよう。
周りのやつらが、手を止めてこっちを睨んでるのは、気のせいだ。うん。気のせいだ。




