12 運命は汚泥の中に④
「!」
「あ、ユーニス」
茂みをかき分けて顔を出したのは、体中に葉っぱやら蜘蛛の巣やらをくっつけたユーニスだった。
「本当に、いた……」
「え?
あ、あの、ユーニス、ごめんね。銀竜に会ったんだけど、鱗取れなくて、でもきっと次は……きゃっ」
怒られる! と思ったラヴィニアは、先に謝罪の言葉を口にする。けれど最後まで言い終わらないうちに、広い胸に抱きしめられた。
「よかった……!」
かすれた声が、直接耳に響く。
突然の出来事に、ラヴィニアは体を硬直させる。「怪我はないか」と聞かれてかろうじてうなずき、「本当か?」と顔を覗き込まれて、なぜか急に顔が熱くなった。
「あ、あれ?」
「どうした。どこか痛むのか」
「ううん、大丈夫っ」
ラヴィニアは、ぐいっと両手をつっぱって、ユーニスから体を離す。ユーニスはそのラヴィニアの手をとり、袖をまくって傷の有無を確かめ、背中や足を触って異常がないか調べた。
「さっ、触らないでよっ」
「大丈夫なようだな。
顔が赤い。熱があるのか?」
ユーニスが、片手をラヴィニアのおでこに、もう片方の手をラヴィニアの首筋に当てる。どくんと心臓がはねたラヴィニアは、手足をばたつかせてユーニスから逃げた。ユーニスは、ラヴィニアの異変などにはさっぱり気づかずに追いかけてくる。
二人は、木をはさんでぐるぐると追いかけっこをすることになった。
「なぜ逃げる」
「なんでもない」
「なんでもないなら止まれ」
「あなたが先に止まってよ!」
ユーニスが伸ばした手を、ラヴィニアはぎりぎりのところで避ける。幾度か不毛なやりとりをした後、ユーニスは立ち止まってため息をついた。
「あんた、ここまでどうやって来たんだ?」
「えっと、竜に飲み込まれて気がついたらここに」
「竜に飲み込まれた?」
正直に答えたラヴィニアに、琥珀色の瞳が剣呑な光を帯びた。ラヴィニアは「しまった!」と思ったけれど、もう遅かった。
「あんたは! 考えなしに湖に飛び込むからそんなことになるんだ!
無謀と勇気は違うだろうッ 鱗が取れたとしても、あんたが死んだら元も子もないんだ!」
大声で怒鳴られ、ラヴィニアは耳を塞ぐ。けれど、そこで黙っているラヴィニアではなかった。
「わかってるわよ! だからごめんって最初に言ったじゃない! それにいきなり竜に飲み込まれたんじゃないもんっ
気がついたら変なところにいて、誰かいないかなって探してるうちに疲れて寝ちゃったら竜が」
「馬鹿野郎!」
「馬鹿って言わないでって言ってるじゃない!」
「見知らぬ場所でうたた寝なんぞするのは馬鹿以外にない!」
「わああ、言うと思った! 言うと思った! わかってたけど実際に言われるとむかつくーッ」
ラヴィニアは腕を振り上げて、ユーニスに殴りかかる。ユーニスはそれをひらりとかわし、ラヴィニアの腰をつかんで自分の肩に担ぎ上げた。
「な、何っ」
「帰るぞ」
「帰るってどこに?」
「城にだ。もうこんな旅はやめる。元から無理な話だったんだ。あんたと俺の二人だけで銀竜の鱗を取ってくるなんて」
そう言ってユーニスは、先ほどかき分けてきた茂みへと足を踏み入れる。ラヴィニアは驚いて足をばたつかせ、手近な若木をつかんだ。
「離せ」
「嫌。
無理って何? ここまで来てあきらめるなんてできない。イーティスの戴冠式のときに王冠に鱗がないなんてことになったら、大騒ぎになるわ」
「騎士団が近くまで来ている。あとは奴らに任せよう」
「なんで騎士団が? 銀竜の鱗は絶対に私が取ってくる。自分でやったことの責任は自分でとる!」
木の枝をつかんで言い切ったラヴィニアを、ユーニスは力づくで連れて行こうとする。若木がしなり、ラヴィニアの手がずるずると枝を滑った。
枝の節がラヴィニアの手の平を傷つける。それでもかまわず握り続けると、葉先が手の平をえぐった。
「あうっ」
「! 何をしている。意地を張るな」
「だって……」
痛みと悔しさでラヴィニアの瞳に涙が浮かぶ。ユーニスはため息をつき、泉に戻ってラヴィニアの傷口を洗った。白く濁っていた泉は、清らかな水をたたえていた。
――美味ナリ。
「え?」
「この程度の傷で泣くな。死ぬのはもっと痛い」
「そうだろうけど……ユーニス、聞こえなかった?」
「なんだ? 責任を果たそうという気持ちは認めるが、ときには引き返すことも重要だ。あんたはもう十分がんばった。一度城に帰って状況報告を……」
「しぃっ」
ラヴィニアはユーニスの口に人差し指を当て、耳を澄ませる。
――ソナタノ血ガ、我ラヲ救ウ。
泉が銀色に輝く。
ユーニスの背に庇われたラヴィニアの前に、銀の衣を身にまとい、背中に翼を持つ人物が現れた。
肌の色も銀。髪も銀。瞳の色だけが、見覚えのある藍色をしていた。
「銀竜……!」
「おい」
ラヴィニアは、吸い寄せられるように泉の上に立つ人物に歩み寄る。ユーニスの、ラヴィニアを止めようとした手は邪険に振り払われた。
「私の血があなたたちを救うって、どういう意味?」
――我ラハ長イ年月ヲ生キルウチニ、血ニ宿ル記憶ノ闇ニ囚ワレ、疲レ果テテシマッタ。遥カ昔、我ラカラ分岐シタソナタノ血ハ、生命力ニ溢レ光リ輝イテイル。
「血がなんですって?」
――カイル・ツゥイ・カィエターン。懐カシイ名ダ。ソナタニヨク似タ若者ヨ。
泉の上に立つ銀竜は、遠くを見るような目になって、勝手に語りだす。
はるか昔、各地を冒険して回っていたカィエターン王国の始祖は、その日たまたま人型をとって人里に降りていた銀竜の娘と出会い、恋をした。
カイルと銀竜の間には子が生まれたが、当時の銀竜の長に二人は引き離されてしまった。娘は鱗一枚を残して二人の前から姿を消した。カイルは子を連れて故郷に帰り、国を興した。
銀竜の娘は川に宿り、愛した男の国を恒久的に守ることを選んだ。彼女の想いは血を通じて眷属たちに伝わり、寿命を迎えた銀竜は土地に宿ることを選ぶものが増えた。そして今もなお、銀竜の長たるものは、各地の川や湖を巡ってカィエターン王国を守っているという。
「それが、始まり……。
あ、ねぇ、銀竜っていっぱいいるの? さっき会った小さな竜は子どもの竜?」
――チガウ。今ハモウ我ノミ。ソノ我モ、アト少シデ死ヌトコロデアッタ。
銀竜が、するりと銀の衣を脱ぐ。見せられた背中には、翼の間に大きな傷跡があった。
「それは」
位置的に、あの蛇から変化した銀竜と同じだった。怪訝な顔をするラヴィニアに、銀竜は唇の端を上げてやけに人間くさい微苦笑を浮かべた。
――鱗ガ戻ッテキタカラダ。
ラヴィニアが濡らしてしまった鱗は、元の場所に戻ろうとした。ところが、カイルの伴侶であった銀竜はとうに亡く、現代に生きる唯一の銀竜である彼の背中に突き刺さったという。
「ごめんなさい……」
ラヴィニアは、小さくなって謝る。自分の行いが、そんな迷惑をかけていたなんて知らなかった。
――ヨイ。傷ガ治ッタノモソナタノオカゲダ。
銀竜がラヴィニアの手をとり、枝で怪我をした傷口に口付ける。生暖かい感触がして、舐められている、と気づいたときには傷が消えていた。
「あ、ありがとう」
――ソレハ我ノ台詞ダ。
見れば、銀竜の背中の傷跡も消えていた。
――我ラヲ救ッテクレテ感謝スル。
藍色の瞳が細められ、優美な口元が微笑みの形に変わる。そのとき初めて、ラヴィニアは人型をした銀竜が非常に美しいことに気づいた。
(ご先祖様が好きになった銀竜も、きっとすっごく美人だったんだわ)
藍銅鉱石に自分が映る。手を引かれ、ふっと歩み寄りそうになったラヴィニアのもう片方の手を、ユーニスが掴んだ。
「待て。それ以上近寄るな」
「ユーニス?」
見れば、ユーニスはいつでも抜けるように剣に手を添えていた。
「どうしたの?」
「どうしたもこうしたもない。相手の正体もわからないのに、うかつに近寄るな」
「正体って、銀竜よ?」
国の象徴であり、今の話が本当であればラヴィニアの祖先といってもいい存在だ。例え近寄ったとしても、危害を加えるとは思えなかった。
「あんたを攫った」
「何か理由があったのよ」
「あんたを食おうとした」
「私の血で怪我が治るみたいね」
「俺たちの目的は鱗を持って帰ることだろう」
「あ、そうだったわ。ね、銀竜。鱗を一枚くれない?」
ユーニスの心配をよそに、ラヴィニアは軽い調子で銀竜を振り仰ぐ。
――シュルヴェステル・アヌウニ・オネイルフタ・アグンダ・テスカロス、ダ。
「シュ……?」
――シュルヴェステル。“強キ者”トイウ意味ダ。
「それがあなたの名前なの? シュルヴェステル、イーティスの戴冠式で、どうしても鱗が必要なの。一枚譲ってくれないかしら」
つま先の、ほんの一枚でいいの。というラヴィニアに、シュルヴェステルと名乗った銀竜はククッと喉を鳴らした。
――物怖ジセヌ娘ヨ。気ニ入ッタ。我ノ伴侶トナルガイイ。
「え? 別にそういうことは望んでないんだけど。
お礼なら必ずするから。お願い! ね?」
両手を胸の前で合わせて懇願するラヴィニアを、シュルヴェステルは可笑しそうに見つめている。その横で、今度こそユーニスが剣を抜いた。
「ユーニス、何するの!」
「こいつは銀竜じゃない。俺たちを騙そうとしている魔物だ」
「失礼なこと言わないで。この人は銀竜よ。私、変な場所でこの人のこと見たもの。同じ瞳の色をしていたわ」
「あんたを娶りたいなど、本物の銀竜が言うはずないだろう」
「ちょっと、それどういう意味」
「そのままの意味だ」
ラヴィニアを押しのけ、ユーニスがシュルヴェステルの前に立つ。
剣を正眼に構えると、シュルヴェステルは一歩引いて「デヴァドゥルガ……」とつぶやいた。
「なぜ俺の名を」
――|聖ナル山ノ名ヲ持ツ者ヨ。ソナタガ守護者デハ仕方ナイ。
ふわり、とシュルヴェステルの体が宙に浮く。輪郭がぼやけ、銀布の裾が泉に溶けた。
――|ニヴルヘイムデ、危ウク我ハ闇ニ染マッタママギョッルヲ渡ルトコロデアッタ。我ラ竜トテガルムノ牙ニハ敵ワヌ。ソナタニ会エテヨカッタ。
シュルヴェステルの姿が透けていく。
ユーニスの背中からラヴィニアが抜け出たとき、白蛇の大きさに戻ったシュルヴェステルが、ぽちゃんと泉に飛び込んだ。
さほど深いように思えなかった泉の中に、シュルヴェステルはどんどん潜っていく。
「待って! 鱗を」
――ソナタハモウ持ッテイル。
「えっ」
どこに、とラヴィニアが周囲を見渡すと、足元に王冠にあったのとそっくりな鱗が一枚、落ちていた。
「いつの間に……」
「本物だったのか」
呆然とするラヴィニアの隣で、ユーニスが剣をしまう。
キン、という澄んだ音に、ラヴィニアは顔をしかめた。
「あなたねっ、本当にどこまで失礼なの!? 危うくこれまでの苦労が水の泡になるところだったじゃない!」
「あんなおかしなものに、不用意に近づくあんたの気が知れない」
「だーかーらー」
ちゃんとわかってたの! と拳を握って力説するラヴィニアを素通りして、ユーニスが鱗を拾う。銀竜の鱗はしっかりとした厚みがあるのに向こう側が透けて見え、陽の光にかざしてみると、角度によって虹色にも銀色にも見えた。
「本物、か?」
「水に濡らせばわかるわ」
「馬鹿」
ぽかっとユーニスがラヴィニアの頭を叩く。
たいして痛くはなかったが、生まれてこのかた頭を叩かれたことなどなかったラヴィニアは、叩かれた場所を両手で押さえてユーニスを睨みつけ……ようとして驚いた。
「え? ユーニス、あなた笑って……あ痛っ」
べちっと鱗で顔面を叩かれ、ラヴィニアは鼻の頭を赤くする。
「しっかり持て。さぁ、帰るぞ。すぐ近くまで騎士団が来ているはずだ。帰りは早い」
「痛いじゃないの! ちょっと、ユーニス! 待ってってば……っ」
茂みをかきわけ、ラヴィニアは下山するユーニスを追う。
その手には、銀色に輝く竜の鱗が大切に握られていた。
馬で帰途についたラヴィニアとユーニスが騎士団に合流したのは、四番目の湖の前だった。
異臭を放ち、濁った水に満ちていた湖は、すっかり様変わりしていた。
陽光にきらめく白い石柱。
青空を映す澄んだ湖面。
爽やかな風が野花を揺らし、鳥が空を飛ぶ。
死の湖とは真逆の、天空に浮かぶ湖のようだった。
「ラヴィニア様!」
騎士たちに守られた馬車から、白髪交じりの髪をほつれさせて、細身の女性が駆け下りてくる。
「ソシエ! 貴女が来たの!?」
「ラヴィニア様が行方不明と聞いていてもたってもいられず……! あぁ、ご無事でよかった!」
「行方不明? どういうこと?」
ソシエに抱きつかれながら、ラヴィニアは後ろを振り返る。けれど、当然すぐそばにいると思ったユーニスは、離れた場所で騎士の一人と話していた。
「この髪! この服! なんということでしょう。
お肌もこんなにガサガサで! さぁ、馬車にお乗りくださいませ。たっぷりの蜂蜜と薔薇の香油であっという間に磨き上げてみせます」
「や、ちょっと待って。ユーニス! ねぇ!」
ラヴィニアは声を張り上げたけれど、ユーニスには聞こえなかったようだ。強引な教育係に無理矢理馬車に引きずり込まれ、ラヴィニアは憤慨する。
「待って。ユーニスと話をさせて」
「話など、城に帰ってからで十分です。ラヴィニア様のお肌のお手当が最優先です」
「肌なんて……きゃっ」
がたん、と動き出した馬車に、ラヴィニアはよろけて座り込む。座席には柔らかなクッションが多数置かれており、たいした衝撃もなくすっぽりとラヴィニアの体を包み込んだ。
「こんなに日焼けをなさって……。お顔のパックが先ですわね。泥を落としますから、目をつぶっていてくださいませ。
動いてはいけません。じっとしていてください!」
顔にべたべたといい匂いのする何かを塗られたラヴィニアは、身動きがとれず大人しくクッションに埋まっている。
その間にも、馬車は軽快な音を立ててラヴィニアが歩んできた道を戻っていった。
馬車を守る騎士たちもまた、軽やかに馬を走らせる。
「疲れてるだろ? おまえも馬車に乗せてもらったらどうだ」
ユーニスの要請を受けて騎士団を率いてきた副団長のブレットが、ユーニスの隣に並んだ。
「馬鹿言うな」
黒衣の上に漆黒の鎧を身に付け、ユーニスは笑う。
「ははっ、いい旅だったようだな。そりゃそうか。憧れのラヴィニア様とずっと二人っきりだったんだもんな」
「……」
「おいおい、なんでそこで黙るんだよ。さては、何かいい思いをしたんだな?
くっそぉ、いいなぁ。騎士団の連中でおまえの慰労会を計画してるからな。たっぷり話してもらうぞ!」
ブレットがユーニスの脇腹を肘で小突く。
ユーニスはそれをうるさそうに払って、「そんなんじゃない」と苦笑した。
「じゃぁ、どんなんだよ。なぁ、ラヴィニア様ってどんな方だった?」
「……ラヴィニア様は……」
ユーニスは、ラヴィニアの乗る馬車を振り返る。
「俺たちが忠誠を誓うにふさわしい、すばらしい方だ」
きらびやかな装飾を施した馬車を中心とする騎士団一行は、さらさらと流れる小川の横を進んでいく。
高い空に。
白い雲が一筋、浮かんでいた。




