11 運命は汚泥の中に③
ぱしゃんと何かがはねた。
岸辺に座り込んだユーニスは、湖の上に波紋が広がりやがて収まっていくのを力なく見つめていた。
打てる手はすべて打った。
城に事情を知らせる早馬を送り、情報屋に腕のいい占い師の手配を頼んだ。もしものときを考え、各湖に金で雇った見張りを置いた。
四番目の湖については、五番目の湖に着いてから情報を得た。少し前まではここと同じように澄んだ湖だったが、最近になってにごり始め、気づけばあのような状態になっていたということだった。
「くそっ」
ユーニスは、足元の小石を湖に向かって投げる。
剣を持って戦うなら、いくらでもできる。どんな強大な敵であろうとも、向かっていく。けれど、今のこの状況では、これ以上自分にできることはない。
何か方策はないのか。
苛立つ心のままに再び大きく振りかぶって小石を投げると、マントの下でガサッと音がした。地図だ。
ユーニスは、はっと気がついて地図を湖の水で濡らす。五番目の湖のところには、
『光の道をたどり、聖なる山を登る』
と書かれていた。
「光の道?」
もはや、頼れるのはこの地図しかない。
ユーニスは、この地図の文字は王子や王妃が書いたものだと思っていたが、ラヴィニアは違うと言っていた。ならばこれを書いたのは誰なのか。
「光の道……光の道とは……」
つぶやきながらじっと地図を見つめていたユーニスは、五つの湖をつなぐ一本の筋に目をとめた。
「これはなんだ?」
道ではない。湖につながる街道はあるが、地図にある筋は街道よりも蛇行している。
一体何を示しているのだろうと考えていると、地図が乾いて文字がすぅっと消えていってしまった。ユーニスは舌打ちをして、地図ごと湖にばしゃりと浸けた。
「!」
濡れた地図に、たくさんの文字が浮かび上がる。
文字が書かれていたのは、湖の上だけではなかったのだ。白い幹を持つ木がある山や熱い湯が湧き出る不思議の泉。珍しい果物が採れる場所や恐ろしい魔物に遭遇したという話もあった。この地図はさながら誰かの冒険の記録のようであり、ユーニスにはその“誰か”を知っていた。
「カイル・ツゥイ・カィエターン」
地図の端に小さく書かれた署名を読み上げる。カィエターン王国の者なら知らぬものはない開国の祖が、この地図の記し手だった。
「なんてことだ」
本物であれば、城の宝物殿に鎮座されていなければならない代物だ。かといって、偽物であるはずがない。その証拠に、水で文字が浮かび上がるような仕組みをユーニスは他に知らなかったし、始祖の名を口にしたとたん、地図上の湖が淡く光り始めていた。こんな不思議、本物以外では起こりようがない。
光は、一番目の湖から二番目の湖へ、さらに三番目の湖へと道をつないでいく。
「これが……光の道?」
順番に輝き出す光は、とうとう五番目の湖へとたどり着き、さらに地図の上部に描かれた山へと伸びていった。
山の斜面を蛇行しながら昇っていく光の筋を見て、ユーニスはとあることに考えつく。
小川。
そういえば、城を出発してから、ずっと小川のそばを進んできた。さらさらと流れる水は、ときに湖に流れ込み、ときに湖から別の湖へと流れ出ていた。
ユーニスはそれは当然のことと気にもとめていなかったが、今、見比べてみると、地図上の光の道と目の前を流れる小川の位置はぴったりと一致していた。
光の道は、とうとう山頂まで到達し、強い光を放った。ユーニスは地図と実際の地形を見比べ、小川の先にある山を特定すると、地図を懐にしまって馬に飛び乗った。
ラヴィニアはあそこにいる。
そう確信したユーニスは、掛け声とともに馬の腹を力強く蹴った。
目覚めたとき、一番初めに視界に入ったのは、名もない小さな花だった。
ラヴィニアの小指の爪ほどの大きさの花は、水色の花びらが五枚あって、真ん中は黄色かった。茎は細く、葉は丸い。それがたくさん咲いていて、とてもかわいらしかった。
「……」
ぼうっと花を見ていたラヴィニアは、ぱちぱちと瞬きをして体を起こす。
「ここ、は」
しっとりと柔らかな下草。若木が日陰を作り、少し離れたところでは渾々《こんこん》と清水が湧き出ている。眼下に広がるのは、これまで自分が歩んできた土地。
ラヴィニアは、カィエターン王国を一望できる山の上にいた。
「どうして……。私、銀竜に食べられて……」
ラヴィニアは、自分の体を検分するも傷一つなく、ならばこれは夢かと頬を叩いてみれば、当然のように痛かった。
「???」
どういうことだろう。
混乱したラヴィニアは、水でも飲もうと泉に近づく。すると透明な清水の中に、白い蛇がいた。
「きゃあっ」
驚いたラヴィニアが飛び退く。ラヴィニアの腕ほどの大きさの白蛇はぷかぷかと水に浮き、死んでいるように見えた。
「この水は、飲まないほうがいいわよね?」
冷たくておいしそうなんだけどなぁと、ラヴィニアは水に指先を入れる。その瞬間、頭の中に弱々しい声が響いた。
――痛イ。痛イヨウ。
「ん?」
――痛イ。背中ガ痛イ。
背中? とラヴィニアは白蛇の背中を見る。と、ラヴィニアが蛇だと思ったものの背中には翼があり、長い胴体の両端には鉤状の爪がついた手足があった。
「もしかして」
――痛イ。痛イノ。
蛇のようなものが、泉の中で体をくねらせる。翼が上下し、その間から白い液体が流れ出た。
泉の水が濁っていく。
それはまるで、ラヴィニアが囚われた四番目の湖のような色だった。
「待って。動かないで」
ラヴィニアは、泉に手をつっこんで、奇妙な蛇の首根っこを押さえる。さらにしっぽを押さえて翼の間を見てみると、体を覆う鱗の中に、一枚だけ色の異なる鱗があった。
「ここが痛いの?」
ラヴィニアが指先でつつくと、白蛇は「ピィッ」と啼いた。鱗はそこだけ二枚重ねになっていて、上から突き刺さるように重なっている色違いの鱗の部分から、白い液体が漏れていた。
「ちょっと我慢してね」
ラヴィニアは、爪の先で薄い鱗をつまむ。そして痛みで暴れる蛇をぐっと押さえこみ、一気に鱗を引き抜いた。
――ピイィィィ!
悲鳴とともに、泉の水が吹き出す。咄嗟に頭を腕で覆ったラヴィニアの前で、蛇は巨大な竜へと姿を変え、天に昇っていった。
「や、やっぱり銀竜! えぇ? 銀竜って何匹もいるの!?」
銀鉱の中で出会ったものと、ついさっきラヴィニアを食べようとしたものと、今の竜。
始祖以外誰も見たことのない竜に、ラヴィニアはもう三回も会っている。
「そう、三回も……って、あああ! 三回も会ったのに鱗取ってない!」
さすがのラヴィニアも、頭を抱えて地面を叩く。
これじゃユーニスに馬鹿って言われても仕方ないかも。
珍しく反省をするラヴィニアの背後で、低木の茂みが大きく揺れた。




