10 運命は汚泥の中に②
ラヴィニアが消えた。
なんとか湖を脱出したユーニスは、ラヴィニアを探すため、近くの村人に助けを借りようとした。
しかし、確かに存在したはずの村はいつの間にか廃村になっており、足を伸ばした先の村もろくに人は住んでいなかった。
他の村を頼るか、一人で戻ってラヴィニアを探すか。
ユーニスは、ラヴィニアが死んだとは微塵も思っていない。あの時の不自然な水の動きから考えて、何らかの不思議の力によってさらわれたと考えていた。
「俺の手には負えない……。王に……報告を……」
ぶつぶつとつぶやきながら馬を進めるユーニスは、憔悴しきっている。今も、馬を操るというより、馬の歩みに任せてただうつろに小川沿いをさまよっているだけだった。
「……?」
そのユーニスの目に、強い光が飛び込んできた。
小川の行く先、木々の間から、きらきらと光る湖面が見える。
もしや、と思ったユーニスは、地図を開く。どうやらいつの間にか五番目の湖へとたどり着いてしまったようだ。
ラヴィニアがいないのに湖に行っても仕方がない。けれど、何か手がかりがあるかもしれないと思い、ユーニスは湖へと近づいていった。
白い砂の上で目覚めたラヴィニアは、猛烈に反省していた。
(やっちゃった……)
ユーニスにあんなに怒られたあとだというのに、また考えなしに飛び込んで、わけのわからない状況になってしまった。
上を見ても下を見ても、真っ白な世界。どこまでも続く砂原には、ところどころ見覚えのある石の柱がある。
あれは、先ほどの湖にあった石の塊だ。
上を見上げればそこには、曇り空にも似た濁ったもやが広がっていた。ここはどこだろう。
ラヴィニアは、さくさくと乾いた音を立てる砂の上を歩いていく。どこを目指しているわけではない。ただ、なんとなく足が向くまま進む。
「?」
どれくらい歩いただろう。白い世界は時間の感覚を鈍らせる。すごく長い時間歩いていた気もするし、ついさっき歩き始めた気もする。石の塊はどれも似たようで、目印にはならない。けれど、そんな奇妙な世界で、ラヴィニアは何かを感じて立ち止まった。
「誰かいるの?」
問いかけるも、返事はない。
ラヴィニアはぐるりと周囲を見回し、何の気配もないことを確かめて、また歩き出した。
「……」
「……」
「……」
歩けども歩けども、何も変わらない。
砂は白く、空も白い。見えるものすべてが真っ白で、ラヴィニア以外の色はなかった。
「はぁ」
とうとう、ラヴィニアはため息を一つついて立ち止まった。そのまま、近くにあった塊に寄りかかってずるずると腰を下ろす。
「もう! なんなの、ここ」
つぶやいても、答える者はない。
座り込んでみたら、思った以上に足が疲れていた。ふくらはぎを揉みながら膝に頭を乗せると、急に眠くなってきた。
「ユーニス……探してるかな……」
怒りんぼうで口の悪い連れが、瞼の裏に浮かぶ。いくら口では嫌いと言っても、頼りになるのは彼しかいないし、本当はそんなに嫌な人ではない気がしている。
「ふぁ……」
あくびとともに、だんだん呼吸がゆっくりになっていく。
こんなところで寝入るなどユーニスがいたらまた怒られそうだけれど、眠気には勝てない。ラヴィニアは自分の膝を抱えると、すとんと眠りに落ちた。
『……ニア。ラヴィニア。こんなところで寝ると風邪をひくよ』
『ん……。だって、もう疲れちゃって』
『ふふ。ソシエをあんまり困らせちゃだめだよ』
『ソシエ?』
城の教育係の名にびっくりして飛び起きると、ラヴィニアを覗き込む兄がいた。
『イーティス? どうしてここに』
『君を探しに来たんだよ。
礼儀作法の勉強をさぼって、あとで恥をかくのはラヴィニアだよ。やればできるんだからソシエのところに戻ろう』
『う、うん』
差し出された兄の手は、しっとりと柔らかい。金の髪が風に揺れ、すみれ色の瞳が優しくラヴィニアを見つめていた。
(そっか。夢……)
豪奢なドレスについた草を払い、あたりを見回す。そこは、ラヴィニアがよく避難場所にしていた中庭の四阿の裏で、低緑樹の茂みがいい隠れ蓑になっていた。
『どうしたの? さぁ、行こう』
イーティスに手を引かれ、ラヴィニアは中庭を歩く。
幸せな、城の夢。いつまでも浸っていたい。けれど、そんな場合ではないことを、ラヴィニアはわかっていた。
『だめ。行けない』
『何言ってるの。ソシエを困らせちゃだめだよ』
『そうじゃなくて……。ごめんね、イーティス。私、必ず鱗を取って帰るから!』
『ラヴィニア!?』
ラヴィニアはイーティスの手を振り払い、兄とは逆方向に走り出す。
ドレスが足にまとわりつく。かかとの高い靴が石畳にひっかかる。この服は、なんて走りにくいのだろう。これでは旅はできない。
『あっ』
案の定、数歩も行かないうちに躓いた。手をつこうとした先には、白薔薇の株があった。
(わっ、やだっ、きゃっ)
「きゃあああああ!」
ばちっと目を開けたラヴィニアは自分の悲鳴に驚き、目の前に現れたもの見てさらに驚いた。
ずらりと並んだ牙。ぬらぬらと光る唾液。
一口でラヴィニアを丸呑みしてしまいそうな大きな口が、そこにあった。
「ななな、何何何なに! 痛っ、ううう」
逃げようとして石の塊にごつんと頭をぶつけたラヴィニアは、後頭部を手で押さえながら石の後ろに回り込む。
その間に、ぱっくりと開いていた口はゆっくりと閉じていき、ラヴィニアの前に現れたのが竜だとわかった。
「……もしかして、銀竜?」
城の大広間の壁面に描かれているのとそっくりな顔に、ラヴィニアは呆然とつぶやく。
ラヴィニアの背丈ほどもあろうかという頭部を覆うのは、王冠にはまっていたものよりも白っぽく青みがかった鱗。鼻の頭に一本、頭の上に二本角が生えていて、藍銅鉱石のような深く澄んだ藍色の瞳でじっとラヴィニアを見つめている。
首から下は白い砂の中に埋まっており、全体がどれくらいの大きさなのかはわからなかった。
――娘。我ガ同胞。
「は?」
――ヨクゾ来タ。コレデ我ラハ救ワレル。
「どうしたの? 何か困ってるの?」
ラヴィニアは、石の影から顔を出して、自分を映す藍色の瞳を覗き込む。
頭だけの銀竜は、一度まばたきをして、そのあとにんまりと笑った。
――ソナタノ血肉……。
「ん?」
――我ニ寄越セ!
がぁっと竜の口が開く。
ラヴィニアが「あっ」と思ったときにはもう遅く、襲いかかってきた銀竜に、一口で飲み込まれてしまった。
銀竜は、ラヴィニアを飲み込んだ勢いそのままに、砂の中に潜っていく。
どこまでも続く砂原が、しんと静まり返る。
濁ったもやは、一層の重さを増したように、空を覆っている。
不可思議な世界は、ラヴィニアが迷い込む前と同じく、ただただ白かった。




