第八話:名前と、一枚の写真
その日の夜、チェックインも途絶えた静かなロビー。
床に落ちていた小さな古い写真を、ユイがひょいと拾い上げた。
「ん……? なにこれ」
古びた色褪せた写真。
そこに写っていたのは、今の無愛想で完璧なフロント係とは似ても似つかない、どこかあどけなさを残した青年だった。
ごわついた簡素な生地の服を着ている。
その隣には、満面の笑みを浮かべてレイナがぴったりと寄り添っていた。
「……え、これ……あのフロントの奴……?」
「あら、見ちゃいけないものを見ちゃったねぇ」
いつの間にか背後に忍び寄っていたレイナが、ことりと首を傾げながらユイの肩を覗き込む。
ユイは目を丸くして、レイナと手の中の写真を見比べた。
「えっ、レイナさん!? ってことは、これ……いつの写真!? なんかめちゃくちゃ色がエモいんだけど!」
「さあ、どうだろうねぇ。あれから……もう、七十年以上は経っているかねぇ」
「ななじゅうっ……!? え、じゃあ何、この人めちゃくちゃおじいちゃんじゃん! いや見た目めっちゃ若いけどさ!」
「教えてよ、レイナさん! ねぇねぇ、この服なんなの? 戦争とかの時代のやつ? めっちゃ気になるんだけど!」
ユイが面白がって根掘り葉掘り詰め寄った瞬間、カウンターの奥から冷たい空気がフリーズしたような気配が走った。
「……お前たち」
フロント係の男が、信じられないほど険しい顔でカウンターから身を乗り出していた。
その耳のあたりまで、わかりやすく真っ赤に染まっている。
「……それを、こっちへ寄越せ」
男の伸びてきた手が、ユイの手から写真を素早くひったくる。
男は慌ててそれを胸元のポケットに押し込み、必死に冷徹な仮面を取り繕おうとした。
「……業務に関係のない私語だけでなく、他人の私物まで漁るとはな。居候の教育をもう少し見直さねばならんようだ。それと……」
男はレイナへちらりと鋭い視線を投げる。
「……お前も、面白がって囃し立てるな」
「ふふっ、ごめんごめん。でも、大事な宝物なんでしょ、庄吉?」
「っ……!」
レイナが茶目っ気たっぷりに本名を口走ると、ユイはきょとんと首をかしげた。
「――って、え? 今、なんて……ショウキチ?」
「……ッ!」
「ちょ、何それ! 庄吉って……! めっちゃおじいちゃんの名前じゃん! 昭和の文豪とか、村の名士みたいな名前すぎでしょ、ウケる!」
「うるさい! ……さっさと自分の部屋に戻れ!」
男はもはや何も言い返せなくなり、ぐっと唇を引き結んで完全に背中を向けた。
耳だけでなく、首筋まで真っ赤に染まっている。
その様子をニヤニヤと眺めながら、ユイは
「へぇ〜、庄吉くんねぇ〜」
と満足そうに鼻を鳴らす。
背中を向けて帳面に向かう男の背中は、いつにも増して激しい羞恥と孤独を纏っていた。
窓の外では、終わらない夜の星が、冷たいホテルのロビーを少しだけ優しく照らし出していた。




