第十話:真鍮の鍵
レイナは、当時の町娘たちとはどこか雰囲気が違っていた。
凛としていて、それでいてどこか抜け落ちていて、独特の美しさがあった。
「うちの実家、古すぎるから恥ずかしいの」
そう言って、老舗の旅館を切り盛りしていると言いながらも、絶対に俺を実家へ連れていってはくれなかった。
どこへ行くにも「庄ちゃん」と俺の後ろをついてきた。
一緒にいるのが当たり前で、俺にとっても彼女の隣が自分の居場所だった。
「好きだ」と素直に言えない俺が、彼女に贈った精一杯の告白。
『俺が、その旅館をついでやるよ』
それが、俺たち二人のあいだの特別な約束だった。
だが、時代がそれを許さなかった。
特攻隊としての出征が決まった前夜。
俺はレイナを呼び出し、冷たい言葉を浴びせた。
「俺はこれから人を殺しに行くんだ。どうせ地獄行きだ。俺のことは忘れて、源三と幸せになれ。あいつなら大切にしてくれるから」
それが、俺の精一杯の「カッコつけ」だった。
自分が死んだあと、俺に縛られて生きてほしくなかった。
レイナは涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、俺の手に固いものを押し付けた。
「絶対肌身離さず持ってて! 絶対だよ!」
一本の、古びた真鍮の鍵だった。
そう叫ぶと、レイナは振り返りもせず走り去っていった。
その直後だった。
怒相を浮かべた源三が飛んできて、いきなり俺の顔面を殴りつけた。
「お前、何カッコつけてレイナさんを突っぱねてんだよ!!」
夜の空き地で、俺たちは泥だらけになりながら殴り合った。
あいつは
「逃げろ」
「生きてレイナさんのところへ戻れ」と泣きながら拳を振るってきた。
だが、俺は譲らなかった。
最後に源三を押し倒し、荒い息を吐きながら言い捨てた。
『あいつと幸せになれ』
それが、俺が源三に残した最後の言葉だった。
翌朝、出征当日。
日の丸の旗が振られる人混みの中に、レイナの姿はなかった。
『これでいい』
そう自分に言い聞かせ、片道の燃料だけを積んだ戦闘機の操縦桿を握りしめた。
離陸する機体から見下ろした街並みは、どこまでも青く静かだった。
雲を抜け、眼下に敵の艦隊を見つける。
視界が急降下し、風切り音が悲鳴のように響く。
操縦桿を両手で強く握り締め、俺は溢れる涙を止められなかった。
(ごめん、レイナ……俺、約束守れなかった……)
強烈な金属音が鼓膜を破り、世界が真っ白に弾けた。
何があったのかは、わからない。
激しい衝撃も痛みもなく、ふと気がつくと、俺は見知らぬ古い建物の前に一人で立っていた。
手の中には、あの時レイナが渡してくれた真鍮の鍵が、強く握りしめられていた。
静まり返った木造の玄関。
古めかしい看板。
ここがどこなのかも分からないまま佇んでいた、その時だった。
「庄ちゃん!」
聞き覚えのある、愛おしい声が静寂を破った。
振り返ると、そこに彼女がいた。
美しい姿のままのレイナが、息を切らせて走ってくる。
「……レイナ? なんでお前が……?」
呆然とする俺に、レイナはぽろぽろと涙をこぼしながら、勢いよく胸に飛び込んできた。
「旅館、継いでくれるんでしょ?」
ぎゅっと抱きしめ返した腕のなかで、彼女の温もりが確かに伝わってくる。
「……ああ。継ぐよ。絶対に継ぐ」
手の中の真鍮の鍵が、カチリと音を立てて、この古い旅館の扉を開けたような気がした。




