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悪役令嬢の母ですが、娘が断罪されるまであと三年あるので王国ごと改革します  作者: 虹の箸


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9/25

完璧な王太子など、この国には必要ありません

王城の奥深く。

重厚な扉の向こうで、王太子エドワードは私を待っていた。

「――よく来てくれた、クライス公爵夫人」

「殿下の御召しとあらば」

私はカーテシーをして顔を上げた。

十八歳。

金色の髪に整った顔立ち。

幼い頃から次期国王として最高の教育を施され、その聡明さを称賛されてきた青年。

そして――。

私の娘が、ずっと愛してきた人。

「座ってくれ」

「失礼いたします」

勧められたソファへ腰を下ろす。

エドワードは向かいには来ず、執務机に座ったままだった。

なるほど。

今日は娘の婚約者としてではなく、王太子として私と話すつもりらしい。

「早速だが、本題に入ろう」

「はい」

「南区画で始めた服飾事業についてだ」

予想通りだった。

「複数の貴族から抗議が届いている。平民に貴族の真似事をさせ、身分秩序を乱しているとな」

「まあ」

「……驚かないのか?」

「すでに直接、同じことを言われましたので」

エドワードの眉が動く。

「ローゼン侯爵夫人か」

「お名前は申し上げておりませんわ」

「言わなくても分かる」

でしょうね。

私は出された紅茶へ口をつけた。

「それで、公爵夫人」

エドワードの声が低くなる。

「どう弁明する?」

「弁明?」

私は首を傾げた。

「何についてでしょう」

「何?」

「我が商会が王国法に違反したのでしたら、その条文をご提示くださいませ」

「……」

「あるいは、王家や貴族のみが使用を許された紋章や意匠を無断で使用したのであれば、直ちに改めます」

「そういう話ではない」

「では?」

エドワードが黙った。

「私どもは服を作り、それを欲しいという方へ正当な価格で販売しております。商業ギルドを通し、必要な税も納めている。少なくとも私は、それ以上の罪を存じません」

「……相変わらずだな」

「あら?」

「イザベラから聞いていた以上だ」

思わず眉を上げる。

「娘が私の話を?」

「昔からな」

ほんの一瞬。

エドワードの表情が柔らかくなった。

だが、すぐに消える。

「問題は法律ではない。貴族たちの不満だ」

「つまり」

私はカップを置いた。

「本日は、保守派の方々へ『王太子殿下はきちんとクライス公爵夫人を叱りました』と示すために呼ばれたのですね」

エドワードの顔が固まった。

「……公爵夫人」

「はい」

「言葉を選べ」

「失礼いたしました」

謝った。

反省はしていない。

「ですが殿下」

私は彼を見る。

「本当にお怒りなのですか?」

「……何?」

「平民女性が少し美しい服を着ることに」

答えがない。

「殿下ご自身が?」

「……」

沈黙。

十分だった。

「やはり」

「何が言いたい」

「お疲れなのですね」

「は?」

初めて、王太子の顔から仮面が落ちた。

私は彼ではなく、机を見る。

決裁を待つ書類。

外交文書。

陳情書。

報告書。

十八歳の青年一人が処理するには、随分な量だ。

改めて顔を見る。

薄い隈がある。

「……ひどい顔をしていらっしゃいますわ」

「余計なお世話だ!」

年相応の反応が返ってきた。

少し安心した。

「眠っていらっしゃる?」

「必要なだけは」

「何時間?」

「……四時間」

「少なすぎます」

「王太子とはそういうものだ」

即答だった。

「なぜ?」

「なぜって……」

「なぜ王太子なら、眠ってはいけないのです?」

「そんなことは言っていない!」

「では、六時間眠ればよろしいでしょう」

「簡単に言うな!」

エドワードが机を叩いた。

「私が一つ判断を誤れば、多くの人間に影響する! 貴族は隙を探している。官僚は私の決裁を待っている。父上から任された仕事に失敗すれば、次期国王としての資質を疑われる!」

声が響く。

「だから私は間違えられない!」

私は黙って聞いた。

「王太子なのだぞ、私は」

拳が震えていた。

「常に正しくなければならない。弱みを見せてはならない。誰よりも賢く、誰よりも冷静で、誰よりも――」

言葉が止まる。

「完璧でなければならない?」

私が続きを口にした。

エドワードは答えなかった。

けれど、その沈黙が答えだった。

ああ。

また、同じだ。

公爵令嬢だから。

王太子だから。

平民だから。

男爵令嬢だから。

生まれた場所によって、こうあるべきだと決められる。

ただし――。

私は目の前の青年を哀れむつもりはなかった。

苦しいからといって、他人を傷つけていい理由にはならない。

「殿下」

「……何だ」

「イザベラを『堅苦しい』と仰ったそうですね」

空気が変わった。

「……娘から聞いたのか」

「ええ」

エドワードが視線を逸らした。

「事実だ」

「なぜ?」

「……」

「なぜ、あの子といると息苦しいのです?」

エドワードの眉が寄る。

「私はそのような――」

「殿下」

遮った。

「今ここには、私しかおりません」

彼が黙る。

「王太子としての正解ではなく、エドワード様ご自身のお気持ちを聞かせていただけませんか」

長い沈黙だった。

やがて。

「……怖いんだ」

あまりにも小さな声だった。

「イザベラが?」

「違う」

エドワードが苦しそうに額へ手を当てる。

「彼女の前にいる、自分がだ」

私は何も言わない。

「イザベラは完璧だ」

彼は続けた。

「語学も、歴史も、礼儀も。十三歳の頃には、私が覚えていなかった他国の儀礼まで暗記していた」

「ええ」

「私が間違えれば、彼女はすぐ気づく」

「指摘されたの?」

「……いや」

「では?」

「何も言わない」

自嘲するように笑う。

「それが余計に怖い」

なるほど。

「彼女が完璧であればあるほど、思うんだ。私は本当に、この女性を隣に立たせる資格のある王なのかと」

初めて聞く本音だった。

「だから、リリアナ嬢のところへ?」

エドワードの表情が曇る。

「……彼女といると楽だった」

「どうして?」

「私が失敗しても分からないからだ」

その言葉に。

私は僅かに眉を動かした。

エドワード自身も気づいたらしい。

「いや、違う。今の言い方は――」

「続けてください」

「……貴族の常識を知らないから、私を王太子として値踏みしない。何を言っても驚くし、笑う。だから……」

「安心できた?」

「……ああ」

ようやく分かった。

でも。

それで終わらせてはいけない。

「殿下」

「何だ」

「それは、リリアナ嬢に随分と失礼ですわ」

エドワードが顔を上げた。

「……何?」

「彼女が知らないことを利用して、ご自分だけ安心していたのでしょう?」

「利用など――!」

「では、彼女が失敗したとき、何が間違っていたのか教えて差し上げました?」

エドワードが止まる。

「笑って許すことは優しさです。でも、彼女自身が学びたいと思っているなら?」

「……」

「いつまでも『何も知らない面白い少女』として扱われることを、彼女が望んでいなかったとしたら?」

沈黙。

私は静かに告げた。

「リリアナ嬢は、殿下が少し怖いそうです」

エドワードの顔から表情が消えた。

「……私が?」

「ええ」

「なぜ」

「ご自分が失敗するたびに殿下は笑う。でも、何がおかしいのか分からない。自分は珍しい見世物として面白がられているだけなのではないか――そう感じることがあるそうです」

「……」

「もちろん、殿下にそんなおつもりがなかったことは分かっています」

「私は……」

エドワードの指が震えた。

「彼女を傷つけるつもりなど……」

「意図がなければ、人は傷つかないのですか?」

今度こそ、彼は黙った。

厳しい言い方だと思う。

でも、この青年は三年後、国王になるかもしれない人間だ。

十八歳だからと、すべてを許していい立場ではない。

「もう一つ」

「……まだあるのか」

弱々しい声だった。

少しだけ可哀想になった。

でも言う。

母なので。

「昨日、イザベラとリリアナ嬢が会いました」

「何だと!?」

エドワードが勢いよく立ち上がった。

「イザベラは何をした!?」

――その一言。

私は聞き逃さなかった。

「殿下」

「……何だ」

「なぜ最初に、イザベラが何かしたと思われたのです?」

エドワードが固まった。

「それは……」

「あなたは、あの子をそんな女性だと思っているの?」

「違う!」

即答だった。

「なら、なぜ?」

答えられない。

これもまた、彼の中に作られた「イザベラ像」なのだろう。

完璧で。

厳格で。

自分を評価し。

平民上がりの少女を嫌っている公爵令嬢。

本人を見る前に、役割を見ている。

「安心してください」

私はため息をついた。

「イザベラはリリアナ嬢に、似合う服の大きさを教えていました」

「……は?」

「二人で服を見ていましたわ」

「……イザベラと、リリアナが?」

「ええ」

「二人で?」

「何度聞かれても二人です」

呆然としている。

「リリアナ嬢は、イザベラに憧れているそうです」

「……」

「イザベラも、初めて彼女自身を見ようとしています」

エドワードがゆっくり椅子へ座った。

「私は……」

呟く。

「何を見ていたんだろうな」

私は答えなかった。

それは、本人が考えることだから。

「殿下」

「……何だ」

「イザベラが努力したのは、あなたを責めるためではありません」

彼が顔を上げる。

「あなたの隣に立ちたかったからです」

青い瞳を潤ませた娘の顔を思い出す。

「殿下に相応しい女性になりたくて、あの子は必死に頑張ってきた」

「……」

「でも、その努力を当然だと思わないでください」

エドワードが息を呑む。

「そして、あの子の人生があなたのためだけにあるとも思わないで」

私は真っ直ぐ彼を見る。

「イザベラは、あなたの婚約者である前に、一人の人間です」

静寂。

「リリアナ嬢も同じ」

「……」

「そして殿下。あなたもです」

彼の目が僅かに見開かれた。

「王太子である前に、十八歳の一人の人間です」

「……そんなことを言われたのは、初めてだ」

「では、覚えておいてくださいませ」

私は立ち上がった。

「完璧な王太子など、この国には必要ありません」

「……公爵夫人」

「必要なのは、間違えたときに間違えたと認め、知らないことを学び、人の話を聞ける国王です」

エドワードは長い間、何も言わなかった。

やがて。

「……事業の件だが」

「はい」

「法に抵触していない以上、王家から停止を命じる理由はない」

私は微笑む。

「賢明なご判断です」

「ただし」

やはり来た。

「貴族からの反発は、これで終わらない」

先ほどまでとは違う目だった。

「あなたが思っている以上に、身分秩序から利益を得ている者は多い。服程度なら笑っていられる。しかし、雇用や教育まで手を伸ばせば……本気で潰しに来る者が出るぞ」

私は目を細めた。

これは警告だ。

そして、おそらく――。

「ご忠告、感謝いたします」

「……止めないのか?」

「まさか」

私は笑った。

「むしろ、やる気が出ましたわ」

エドワードが呆れた顔をした。

「イザベラは誰に似たんだろうな」

「あら。当然、私でしょう?」

「……そうだったな」

初めて。

王太子が自然に笑った。

◇

公爵邸へ戻った頃には、すっかり日が暮れていた。

玄関ホールへ足を踏み入れる。

「お帰り」

低い声がした。

見ると――。

アレクシスがいた。

「まあ。珍しい」

「自分の家にいるだけで珍しがられる夫というのも悲しいな」

「普段、この時間はまだ王城でしょう?」

「今日は君を待っていた」

足が止まった。

「……私を?」

「ああ」

アレクシスが近づいてくる。

その手には、一通の書簡があった。

「王太子殿下との話は?」

「事業停止にはなりませんでしたわ」

「そうか」

それだけ言うと、夫は書簡を差し出した。

「では、次だ」

嫌な予感しかしない。

受け取る。

差出人を見た。

――財務卿。

「……何かしら、これは」

「君の事業に関する調査命令だ」

私は顔を上げた。

「調査?」

「表向きは税務監査」

アレクシスの表情から笑みが消えた。

「だが、本命は別だろう」

「……」

「エレオノーラ」

二十年間、政治の中枢を歩いてきた男の目になっていた。

「どうやら君は、本当にこの国の虎の尾を踏んだらしい」

――なるほど。

王太子を説得すれば終わり。

そんなに甘いはずがなかった。

服を売った。

女性を雇った。

平民へ教育を与えようとした。

それだけで困る人間がいる。

そして今度は。

その人間たちが――私たちを潰しに来る。

「あなた」

「何だ?」

私は書簡を畳んだ。

「六か月で結果を出せと仰いましたわね」

「ああ」

「少し予定を変更します」

アレクシスが眉を上げる。

私は笑った。

「六か月後には――」

書簡を夫へ返す。

「私を潰そうとしたことを、後悔させて差し上げますわ」

一瞬の沈黙。

アレクシスの口元が、ゆっくりと上がった。

「……やはり最近の君は面白いな」

胸が、ほんの少しだけ跳ねた。

――困った。

敵が増えたというのに。

なぜか私は今、夫のその笑顔の方が気になっていた。

お読みいただきありがとうございました。

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次回もどうぞよろしくお願いいたします。

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